第13話 出会いカフェ
修学院大学は山手線の駅に程近い。そこから新宿までは数駅の距離である。
亜莉沙と舞美は大学の正門で落ち合って、電車に乗り込んだ。
山手線の車内は、帰宅ラッシュ時刻で混み合っている。「痴漢が出そうね」などと話ながら、2人はずっと立ったまま新宿に着いた。
改札口を出ると、新宿はいつもの喧騒だった。
駅に向かって黙って足早に歩いている人もいれば、なんだか解らない外国語で、大声で話をしているグループもある。
亜莉沙と舞美は、慣れた足取りで人波をかわしながら、北方向の歌舞伎町に向かった。
歌舞伎町には何度も来たことがある。コンパなどはここで開くことが多いのである。
危険な街と言われることもある街だが、亜莉沙も舞美も特にそう感じたことは無い。
むしろリーズナブルな価格の店が多い、学生にとっては使いやすい繁華街のイメージだった。
舞美は店への道をよく知っているらしく、入り組んだ歌舞伎町の路地をすいすい進んでいく。亜莉沙はその後を付いていく形で、二人はほとんど縦に並びながら歩いた。
路地の角地に看板だらけのビルがある。
「ここだよ。」
舞美はその看板の一つを指さした。
その看板はだいたい5.6階あたりの高さに付いていて、ピンクの可愛いデザインと絵文字で「出会いカフェ ERIKA」とある。
ここが舞美がよく来ているという出会いカフェのようだ。
ERIKAとは、自分のキャバクラでのキャストネームだと思って、亜莉沙は少し声を出して笑った。
「何笑ってんの?」
舞美は亜莉沙の、キャバクラでのキャストネームまでは知らないのだ。
それにしても汚いビルであった。
看板は確かにピンクで可愛い。しかし、それがかかっているビルからは、何というか淫靡なオーラが沸き立っているようだ。
亜莉沙はそれにも特に驚きはしない。
だいたいキャバクラにせよそれ以外の所にせよ、風俗関係の店とは淫靡なオーラが出ているものなのだ。初めてこの種のバイトを始めた頃ならいざしらず、今の亜莉沙はすっかり慣れっこになってしまっている。
亜莉沙と舞美は、これも古ぼけたエレベーターの前立った。
エレベーターの脇にある看板で「出会いカフェ ERIKA」が6階にあることを確かめて、2人はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターはそのまま落下してしまうのではないかと思うような振動とともに、ゴトゴトと音まで立てながら上昇して行く。
6階に着くと狭いスペースになっていて、「出会いカフェ ERIKA」のピンクの大きな看板がかかっている。
看板以外は壁も床も黒っぽい色が使われている。
右の奥に狭い受付のようなスペースがあり、眼から上だけ見えるようにして若い黒服が座っていた。
「女性の方ですね。お二人ですか。」
丁寧な言葉づかいで話しながら、黒服は立ち上がる。
黒服の背後には分厚いカーテンがかかっていて、そのカーテンの向こうから男の声が聞こえる。
「こちらへどうぞ。」
黒服はカーテンを見ている亜莉沙と舞美の視線を遮るように、立ち上がって反対側の通路を手で示して、そちらへ進むように促す。
舞美は慣れた様子でそれに従う。
黒服は2人に先だって歩きながら、亜莉沙と舞実に小さな紙片を渡した。
紙片にはただ2ケタの番号がプリントされている。
「ご指名の時は、番号でお呼びしますので、こちらへおいでください。」
黒服はそれだけ言って、舞実のほうを見た。
「また来てくれたんですね。」
黒服は親しげに舞美に話しかけている。
舞美は「ええ、でも来たのはだいぶ前ですよ。」などと、適当な返事を返していた。
通路の奥には、これもカーテンで仕切られた入り口があり、黒服はそのカーテンをめくって、亜莉沙と舞美にそこに入るように手で合図した。
中は待合室のようなスペースになっていた。
そこは4メートル四方ほどの四角い部屋で、真ん中にソファが四角く並んでいる。どれも安物なのは一目でわかるが、それでもピンクの柄で女の子らしいデザインである。
片方の壁際には、カウンターがしつらえてあり、いくつかラップトップパソコンが並んでいる。
反対側の壁は、こちらは一面マンガが並んだ棚になっている。棚には少女マンガのほかに、マガジンラックになっている部分もあって、女性誌が並んでいた。
さらに違う方向の壁際には、テープルが置かれていて、そこにはコーヒーメーカー、ドリンクマシン、さらにお菓子がたくさん盛られた皿が置かれている。
その正反対の壁には、プリントの大きな絵が飾られている。
亜莉沙は少し絵に知識があり、それがルノワールの作品の一つだと解った。もっともこんな場所に本物のルノワールがかかっているはずは無い。それでもその絵は、この全体に少女っぽいインテリアに、大人の女性の雰囲気を加味する効果はあるようである。
しかし、この女性的な部屋に異様な雰囲気を与えているのが、カウンターの前部分に貼られている壁一面の巨大な鏡であった。
鏡はカウンターからほとんど天井に届く大きさで、カウンターから上の壁はすべて鏡と言っていい。初めて見る亜莉沙に、この存在が少々不気味な印象を与えていた。
その時、部屋には女の子が4人いた。亜莉沙と舞美が入って来ても、誰も目を向けようともしない。
皆若い子たちである。4人とも20代前半かそれくらいに見えるメイクをしている。
舞美は慣れた様子で、ソファの空いている場所に腰を下ろした。亜莉沙も並んで座る。
「飲み物とお菓子取りにいく?」
舞美はそう言って立ち上がったので、亜莉沙もそれに従った。
なんだか亜莉沙は緊張していた。
あの鏡のせいなのだ。なんとも言えず不気味な印象を与える。さらに何かがあの向こうにいるという気配が、亜莉沙を落ち着かなくさせていた。
舞実にやり方を教えられながらドリンクマシンを操作して、亜莉沙はアップルジュースをプラスチックのコップに注ぎ、お菓子を選んで撮った。
舞実と亜莉沙はまた並んでソファに腰を下ろした。
この間、他の4人は全く亜莉沙たちに目を向けようとしない。
それは感心が無いのでも、ましてや気付いていないのでもない、この場所ではそうするものよ。お互いに余計な関心を持たないようにするのが、この場所のルールよ、と無言で2人に説明しているように思える。
亜莉沙はお菓子の包装を破いて、それを口に運んだ。
舞美はスマホを取り出していじり始めていた。
「あっち見ないでね。
あの鏡。マジックミラーなの。あの鏡の向こうに男がいるのよ。マジックミラー越しにこっちを見て女を選んでるのよ。」
「うん…。」
亜莉沙はそれだけ返事をした。
そうなのだろうと思っていたが、改めて舞美に言われてちらりと鏡の方を見てしまった。
あの鏡の向こうで、男たちは新しく入ってきた自分たちを見ているのだろう。そして「ご指名」しようかどうか考えているのだろう。
男たちは今どんな表情をしているのだろう。
欲望で舌なめずりをしながら、部屋の女の子たちを舐めまわすように見ているのだろうか。
そう思うと、なにか鳥肌が立つような緊張感を覚える。
「さっきの黒服、知ってるの?」
「知らないよ。ここは2回来ただけだけど、顔覚えられちゃって。」
美しい舞美は、黒服たちにも覚えられてしまっているというわけか。
それなら「ご指名」はまず舞美からかもしれない。
そんな亜莉沙の予想を、マジックミラーの向こうの男たちが読み取ったように、カーテンが開いて黒服が顔を出した。
「27番さん。ご指名です。」
舞美の番号だった。
「ちょっと行って来るね。」
亜莉沙にそう言って、舞美は立ち上がってカーテンの向こうに出て行った。
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