第7話 ネロ それは貴族の甘い次男坊

 コーカル市の中心部であれば、ネロが名門リンミー家の子息で、あの市長の双子の弟であると誰もが知っていることだ。

 だが少し郊外に入ると、ロキ市長の顔は知っているが、その弟のことなど知らない。

 もっと郊外になると、ロキの名前は知ってるが、顔は知らない。

 そうなってくると、ネロは本当にファッション冒険者に成り下がる。 

 夜もずいぶん更けた。

 それでもネロは焦らず急がず、てくてくと歩いていた。

 早く移動するのならば、魔法師団へ一度戻り、魔法陣を使ってワープするのが一番手っ取り早い。もしくは自ら移動魔法を使ったっていい。

 けれどもネロは急ぐことをぐっとこらえる。

 ハルリア村の現状が不明なのだ。

 ワープした先が火の海でないという保証はない。リテリアの森も同じこと。

 ゾッとした。昼間、ネロたちは魔法陣を使って様々な場所にワープしていたのだ。

 転送先が無事だったから良かったものの、もしもそこが炎の海だったら。

 ネロは息を飲み、次にはため息を吐いていた。

 カンバリアの平和に慣れきってしまっている。

 危機感は感じていたつもりだったが、甘かったようだ。

 

 今歩いている街道は、ネロが頻繁に使う道だ。

 緩やかに曲がりくねり、いくつもの街を経由して、最終的にはハルリアの港にたどり着く。

 遠くに集落の光がちらほら見えてきた。 

 今夜は野営するよりは、集落で宿をとったほうが良いだろう。

 この辺りは魔物も野生動物も出ないが、林の中をつっきっている部分の道は、夜盗注意の看板が出ている程度には危険だ。

 なによりも、疲れている。

 早く横になりたいのだ。

 集落につくと、ネロはすぐに酒場を探した。

 この集落には昼に立ち寄ることが多く、夜に訪れるのは初めてだ。確か、たびたび食事で利用した食堂兼酒場は宿屋も営んでいるはずだ。

 その店はすぐに見つかった。

 繁盛しているようで、賑やかな声が通りに響いている。

「こんばんは。食事と宿をお願いしたいんですが、空いてますか」

 カウンターの向こうでフライパンを振る女主人に声をかけると、彼女は笑顔で振り返った。

「はいこんばんは。宿ね。部屋はあるけど、高いとこしかないよ。最近は冒険者が多くてね、安い部屋はすぐ埋まっちまうんだ」

「……そうですか」

「なんなら、相部屋相手を酒場で探したらどうだい。三人で泊まれば、一番安い部屋よりもちょっとだけお得に使えるよ」

「いいんですか、そんな裏技教えちゃって」

 ネロはつい笑った。

「客を逃すよりもずっといいね。食事はなんでも出せる、酒もたんまりある。これでも味には自信があるよ。そこのテーブルでいいなら座りなよ。酒場の立ち飲みテーブルでもいいけどね」

「こっちのテーブルでいいですよ。数日は歩きだから、体力は温存しておきたいんで」

「へえ。なんだい、ギルドの冒険者かい? 一人? 仲間は?」

「一人です」

 ネロは苦笑いを作って見せる。

「それなら尚更旅の仲間をつかまえないと。そんなひょろっこいなりをして一人で冒険だなんて。勇敢と無謀は別物なんだよ」

 そう言って女店主は、ネロをなかば強制的に酒場の席へと連れていった。

 いや、仲間とかいらないんだけど。出かかった言葉を飲み込む。下手に断って不審がられれば、極秘任務に支障が出る。

 それに、もしかしたら今日の異変についてなにか情報が得られるかもしれない。

 そのような打算もあり、ネロは困り笑いを浮かべながら、女店主のするがままに動いた。

「なあ、あんたら、ギルドの冒険者かい?」

 見るからに戦士という男の集団が振り向いた。

「なんだい女将。そうだが?」

 手前にいた一人が答えた。

 手入れの行き届いたアーマーで固めていて、小物の防具もしっかりとしている。初心者ならば手を抜きそうなものだ。

 しぐさから背中の筋肉の屈強さが分かった。腰もいい。左足に古傷があるかもしれない。

 実力はそこそこありそうだ。

「このひょろっこい男を仲間にしてやってくんないかい? 一人旅だって言うんだよ」

 女主人のその言葉に、酒場は一瞬静かになり、その次には爆笑に包まれた。

「あーっはっはっはっは、なんだ兄ちゃん。そのかわいい顔で、女主人に甘えたのかい? 仲間がいないんだよ、さみしいよーってか?」

「かわいい面だがそれなりにいい年だろ? 自分で仲間位探しなよ。じゃなきゃさっさとお家に帰って仕事を探しな。冒険者は夢だけじゃやってけないんだぜ?」

「女将。おおかたこいつ、仕事が辛くて辞めちまって、小さい頃からの夢だとか言って旅に出ちまったんだろうよ。心配なら仲間なんかよりもこの酒場でバーテンにでもなってもらったらどうだ? 女に人気でるぜ?」

 再び爆笑。

「じゃああたし、通っちゃおうかなー」

 と酔っぱらった女の声もする。

 見れば、大きなロッドを壁に立てかけた魔法使いだった。

 まだ若い。十代だろう。

 同じ魔術を生業にしているためか、ネロはその少女の持つロッドが妙に気になった。

 まだ笑っている戦士集団を無視して、少女のそばに寄った。

「なに? お酒付き合ってくれるの? うれしーな、あははは」

 まさか。ネロはそう思いながらも、口角を一瞬だけ上げて見せた。

「残念ながらお酒は一緒に飲めないな。それよりもそのロッド、どうした?」

「えー?」

「思うに、……高そうだが」

「そうよ? わかる? あげないんだからね」

「もらったりしないよ。けれど、……それ、……」

「えー? 気になるんだぁ。見る目あるじゃーん。これね、おねーちゃんのおさがりなの。おねーちゃんは凄腕の賢者なのよ? 新しい杖を見つけたからって、こっちをあたしにくれたわけー」

「そうか。姉君は賢者か」

 であれば、なんだかいっそう気になる。魔道具の異変。

 魔法師団でも大きな被害をこうむった現象だ。

 しかしこの酔っ払い少女は、ロッドの異変に気が付いているのだろうか。

「そのロッド、どこかで落としたり、一度壊れたりしたか?」

「……え?」

 きょとんとした顔に、ネロは直感した。

 異変に気が付いていない。

 もしくは、もともと壊れていた。

「いつもらった?」

「もらったのは三年位前かなー。一年前にギルドに入ったんだけど、その前からずっと使っててぇ。これを使うと、簡単な火属性の魔法でも威力が全然違うのよ。やってみせたげよっか?」

「やめとくれ! 店の中だよ! 火の魔法だなんて、とんでもないね!」

 女将の一声で、酔っ払い魔法使いの大参事は回避された。

「そのロッド、ちゃんと手入れはしているのか?」

「んもー、してるよう。うるさいなぁ。それよりお酒飲も? おかみさーん、おかわりー!」

「あんたねぇ、まだ子供のくせに飲みすぎだよ」

「もうお酒飲める年ですぅうう。それに勇者の仲間なのよ? お酒くらいで倒れるわけないじゃない。ねー?」

 勇者の仲間。急に鼻白んだ。

 この国の勇者など、たかが知れている。

 ロッドが気になるものの、なんちゃって勇者の関係者とは距離を置くに限る。

「女将さん、やっぱりあっちのテーブルで食事をお願いするよ。部屋も……金はまだ余裕があるから、一人部屋をお願いしたい」

「いいのかい?」

「ああ。いいんだ」

 まだ余裕があるというより、金にはよっぽどのことがない限り困らないのだ。 

 ネロは静かに食事をはじめた。食堂側にいる人々から憐みのまなざしを向けられている。

 居心地が悪い。

 女主人が申し訳なさそうにコップに水を注いでくれた。

「でも悪いことは言わないよ、一人での旅はやめな。最初の戦士の男なんて頼りがいがありそうじゃないか」

「たしかに、あの男性は実力者でしょうね。でも大丈夫、俺の旅はそんな危険なものではないから」

「そうかい?」

 ネロは微笑みを返した。

 ここではあまり情報は得られないだろう。そして困ったり苦しそうな人間もいない。つまり、あの衝撃波の影響を受けたものはいない。

 そう判断して、ネロは食事を楽しむことにした。

 食事後。

 食事代を払い、宿代を前払いで渡しておく。

 夜中に盗まれて金を払えませんでしたとは言えない。

「朝食はどうする?」

「一番早い時間は何時?」

「朝の五時だね。それよりも早いなら、携帯食をいくつかみつくろっておくから、部屋で食べると良い」

「朝の五時でお願いします。出来立てが食べたいんで」

「あんた、良いとこのお坊ちゃんだろ」

「……分かります?」

「最初はナンパな男が来たかと思ったんだけどね。言うこと全てが甘ちゃんだよ。苦労を知らない家で育ったんだろう?」

「あー、よく言われるんですよ、それ」

「痛い目見る前に、家に戻ったほうがいいよ? 朝食は五時だね。ゆっくり休みな」

「どうも。おやすみなさい」


 部屋に入ったネロは速攻でマントを脱ぎ、壁にかけた。

 体が一気に軽くなった。

 魔法剣と杖は空間魔法でしまい込む。

 小さなひずみを作って物を押しこむくらいなら、ベルトを外すのと同じくらいの面倒くささですむ。

 それから上着を脱ぎ、靴も脱いで底の泥を削る。

 シャワーを頭からかぶり、顔を洗い、歯を磨き、眠りやすい服に着替えてベッドにもぐった。

 部屋に入ってからベッドにもぐりこむまでに十五分かかっただろうか。余りの疲労に、身体が快眠に向けて無駄のない動きを勝手に行っていた。

 目をつむる。じわりと疲労が眼球の奥からしみだしてきた。今日は本当に疲れた。いつもの仕事に加えてのあの地獄の仕事量。そして緊迫感。すぐにでも深い眠りにつけそうだった。

 しかし。

 ネロは目をあけた。

 気になる。あの、ロッド。

 あの少女のロッドには、大きな宝石がはめ込まれていた。しかも質の良い古木で作られていて、よく磨かれている。

 宝石にも、古木にも、どちらにも精霊が宿っていてもよさそうなものだ。

 しかしその精霊がいない気がする。

 そればかりか、杖にかけられている魔法が失敗している。

 あれではまともな魔法が使えないだろう。

 食堂のスプーンを使ったほうがまだましかもしれない。

 だがあの魔法使いの少女は、ロッドを使ったほうが魔法の威力が増すと言った。だとしたら、あえての『失敗』なのだろうか。

 それとも一度壊すかなにかして、修理をほどこしたさいに、間違えたのか。

 後者のほうが可能性が高い気がする。壊した際に精霊がいなくなったのかもしれない。 

 もしくは、やはり今日の衝撃波の影響だろうか。

 精霊が消えうせるほどの影響。ないとも言い切れないが、あの少女はけろりとしていた。

 衝撃波の影響で倒れた魔法師のほとんどは、所持している魔道具も一緒に変質してる。

 衝撃波の影響で魔法師が倒れたのか、それとも変質した魔道具の影響を受けて倒れたのか、まだはっきりわからない。

「あ、そうだ。魔公サヴァランのタリスマン」

 ネロは国宝級の恐ろしい魔道具の存在を思い出した。

 すぐに空間魔法を発動させて、わずかにできた空間のゆがみに腕を突っ込む。

 手探りで魔道具の入ったカバンを引っ張りだした。

 鞄の中で、タリスマンはほのかに光を放っていた。

 手に乗せれば吸いつくような感触。

 魔力を吸われている。

「……、持ち主の魔力を吸収するとは……本当にタリスマンか? これ。守護符じゃなくて呪いのアイテムなんじゃねーの?」

 サヴァランには呪術のほうが似合っている。

 守護とか結界とかではないな、あの人は。

 あの人の先祖だぞ。絶対の呪いのアイテムだ。

 心の中で冗談を言い、にやにや笑いながらタリスマンを手のひらで転がした。

 呪いのアイテムではなく本当にタリスマンであるならば、明朝からさっそく装着したい。

 はたしてこれは自分が装着しても大丈夫なものなのか、疲れているが今のうちに探っておこうと、慎重に魔力の触手を伸ばしてゆく。

 魔力を吸われているためか、ネロの魔力の触手は、するすると石の中に潜ってゆくことができた。


 これは。


「……」

 全然わからない。

 ネロは一瞬だけ考えを放棄した。

 いや、分かるのだ。

 複雑な魔法が重ね掛けされているのが分かる。

 分厚い地層の崖を見上げている気分、いや、底の見えない海底へゆっくり沈んでゆく気分になる。

 息苦しく、じっとりと冷や汗がにじんでくる。

 調べる気持ちがごっそりと削がれてゆく。まともに調べようものなら頭の情報処理能力がパンクするだろう。そして体中の魔力がぐちゃぐちゃにかき回される。

 一瞬で、廃人だ。

「やーめた」

 タリスマンをベッドに放り投げた。

 が。

 即座にタリスマンをつかみ直す。

 なんなのだ、この物体は。なんなのだ、このペンダントは。なんなのだ、このタリスマンは。

 これは、一体なんなのだ。

 ベッドの上で胡坐をかくように足を組み、タリスマンを柔らかく握る。

 その手を、組んだ足首の上にそっとおろした。

 背筋を伸ばしてゆっくり息を吐いた。

 そして、視力を忘れる。瞼から力を抜き、視力はもちろん、聴力などの五感を鈍らせる。 

 第六感にだけ集中するのだ。

 タリスマンただそれのみに、意識と魔力と法力を集結させる。



 脳裏にサヴァランの姿が浮かんだ。

 浮かんだというよりも、その映像が光の津波のように押し寄せてきて、脳みそを押しつぶそうとしている。

 溺れる。肺に水が入ってくる錯覚。サヴァランの手が伸びて、頭をつかむんだ。

 だがこれはサヴァランではない。所長ではない。先輩ではない。

 似ているが、別人。魔公だ。

 魔公サヴァラン。

 魔公サヴァランが唱える呪文が、ネロのなかに注ぎ込まれる。

 サヴァランの指から、手のひらから、脳みそに魔力が注ぎ込まれる。

 錯覚だ。錯覚だ。錯覚。

 でも頭がどうかしそうだ。

 脳みそがドロドロに溶けて、沸騰して、蒸発してしまいそうだ。

 息ができない。息ができない!

 涙が熱い。溢れだす涙で眼球が火傷する! 痛い、熱い、痛い!

 

 これは錯覚!


 タリスマンを放せばこの苦しみから解放されるのに、ネロにはそれができなかった。

 魔公サヴァランが目の前にいるのだ。頭の中にいる。

 その紡ぐ呪文。

 ネロは、それが知りたかった。

 だって、分かるのだ。

 魔公のかけている呪文が一言一言、一字一句、その意味が分かるのだ。

 魔公サヴァランの研究のすべてが、頭の中に収まる。

 痛い、熱い、頭が蒸発しそうだ。


 蒸発、してしまいそうだ。


 ああ……




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「起きてるかい? もう、五時半だよ? 朝食、どうする?」



 はっ!



 ネロは我に返った。

 木の扉が何度もノックされている。


「あ……」


 かすれた声が出た。


「ああ、すみません……少し、寝坊してしまったみたいで、すぐ行くんで……」

「起きたのかい。わかった、急がなくていいから、準備ができたら降りてきな」

 女主人の足音が遠のいてゆく。

 生きている。

 全身がこわばっていた。指先には強い震え。

 顔にはいくつもの涙の跡があり、口はカラカラに乾いていた。

 代わりに着ている服が肌に張り付くくらい湿っている。

 ああ。

 生きている。

 そして、頭の中に、あの呪文が残っている。口角が上がった。

 タリスマンが、ころりと手から転がり落ちた。

 かすかに光っている。

 魔公サヴァランのタリスマン。

 魔王のために作られたタリスマンだった。


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