第4話 コンビニスイーツ

 ぐぅ、と腹の虫がなった。作業する右手と視線はそのまま、左手であたりを探る。スティックパンの袋らしき感触があったので、掴んで持ち上げる。……なるほど、空である。最後の一本を食べたのは何時間前だったか。思い出せないけれど、ここまで腹の虫が主張してくるということは、胃袋はそろそろ限界を迎えているということだ。

 時計を見ると午前二時。草木も眠る丑三つ時。んん、と伸びをする。とりあえずこのネームはひと段落したことだし、いったん中断だ。何か食べよう。この前ミカゲさんが作ったお夜食はとっくに平らげてしまったけれど、冷蔵庫を探れば、それなりに食べるものが──


「……ない」


 田舎を出てからの付き合いであるはずの冷蔵庫ちゃんの中は、若かりしあの頃に電気屋で見た時と同じように空っぽだ。ちくしょうこのやろう、中身がないなら稼働している意味なんてないじゃないか。一目ぼれしたメタリックレッドを睨みつけるも、冷蔵庫は小さなモーター音を響かせるだけだ。

 食べ物がない、と自覚した瞬間、余計にお腹が減ってきた気がするから人間の身体って不思議だ。冷蔵庫が空ということは、ここから何かを作り出すことは不可能だ。

 午前二時。近所のコンビニは、早歩きで五分。今のギリギリの体力だと、七分くらいか。しばし迷う。この時間に女一人で出歩くのはちょっと怖いけど、一昨日くらいから外に出てないし……気分転換にもなるだろうし。なにより自分へのご褒美に何か甘いものとか食べたいし? 

 ヘアバンドを取り去って、撫でつけられた前髪を手櫛で整える。多少、いや、かなりボサボサだけどまあいい。財布と、スマホと、家の鍵だけ持てばいいか。床に散乱した荷物の中からそれらを探し出し、スウェットのまま玄関に向かう。内鍵を回して家のドアを開けると、同じタイミングで隣の家のドアが開いた。


「……ミカゲさん」

「こんにちは。いや、こんばんはですね」


 ドアからひょっこりと顔を出したミカゲさんは、非常にどうでもいいことを訂正しながら、相変わらずのボサボサの頭をポリポリと掻いた。……まぁ、今の私には彼の頭についてとやかく言う資格はないけれども。私は家の鍵を閉めながらミカゲさんに尋ねた。


「お出かけですか?」

「いえ。物音がしたのでどうしたのかなと思って様子を見ただけです」


 そういえば前に、ここのアパートの壁は薄いってミカゲさんが言ってたな。私は漫画描いていると周りが見えなくなるから、全く気にしたことはなかったんだけど。さっき財布を探してドタバタガサゴソしてたのが聞こえていたのかもしれない。


「そういうアヤちゃんは、お出かけですか?」

「はい、コンビニに」

「今から?」

「はい」


 するとミカゲさんはふうん、と言いながら自身のあごひげをさすった。なんだかそのしぐさ、実年齢よりおじさんっぽい。


「ご一緒してもいいですか?」

「え?」


 聞き返した返事をもらう前に、ミカゲさんはさっさと靴を履き替えて外へ出た。あぁ、そういえばミカゲさんは財布とか鍵とかは玄関に置くタイプの人でしたね! って、そうじゃなくて。


「ちょうど気分転換がしたかったんです。今日は徹夜コースでしたから」


 ミカゲさんは自分の家の鍵を閉めてから、キーケースをポケットに入れた。私がぽかんとしている間に、「さ、行きましょうか」と、すっかり主導権を握られている。私はさっさと歩きだしてしまうミカゲさんの背中を慌てて追いかけた。


 前を歩くミカゲさんから、ふわりといいにおいがした。ミカゲさん、もしかしたらシャワーを浴びたばかりだったのかもしれない。このにおいは、ミカゲさんの家のシャンプーのにおいだ。このにおい、好きだなぁといつも思うんだけど、いつもどこのシャンプーか聞きそびれる。

 深夜の住宅街なので、車どおりは全くない。でもミカゲさんはあくまで自然に車道側を歩く。

 ほんとうは、ちょっと一人は心細かった。というのが顔に出ていたのだろうか。いや、ミカゲさんのことだから、これがたとえ真昼間でも、何かと理由をつけてついてきてくれただろう。ミカゲさんの甘やかしは絶妙で、それでいて押しつけがましくない。だから私は、ついつい彼に頼ってしまうのだけど。


 深夜のコンビニの照明は、数日間引きこもりだった私にはまぶしすぎた。ミカゲさんの後ろに隠れるようにしながら、私は店内を物色する。

 このあと数日の食料も確保しておきたいけれど、コンビニだと高くつくしなぁ。おとなしくご褒美のデザートだけ買っておくか。エクレアにしようか、プリンにしようか──悩みどころである。種類の違う二種類のコンビニスイーツを持ってうんうんうなっていると、プリンのほうをひょい、と奪われた。


「これ、帰ってからすぐ食べるんですよね?」

「そうですけど……」

「太りますよ?」

「分かってますよ! 返してください」


 だからせめてどちらかにしようとしているのに! ミカゲさんはプリンをまじまじと眺めてから、そっと自分のかごの中に入れた。


「えっ!? 私の……」

「はい、アヤちゃんのですよ」

「え?」

「こんな時間まで仕事してるアヤちゃんに、僕からのご褒美です」


 確かに、かなり迷っていたしお腹も減ってたしどっちも食べたいと思っていたけど。その申し出は本当に嬉しいけど。


「自分で太るって言ったんじゃないですか!」

「僕はアヤちゃんに太ってほしいと思ってますよ」


 そう言いながら、ミカゲさんは私の脇腹をチョン、とつついた。完全に油断していたので、「ひょあ!」と変な声が出た。その反応は予想外だったのか、ミカゲさんはしぃ、と人差し指を立てて笑う。思わずごめんなさいと言ったけど、あれ、これ悪いの私ですか!? 

 やる気なさそうにレジに立っていた店員さんに一瞥され、二人でこそこそと棚の奥に隠れる。騒がしくならないようにか、ミカゲさんが私の耳元に口を寄せて、小さな声で話しはじめた。


「カップラーメンと菓子パンばかり食べてる割には、細いんですよ、あなたは。まぁ、不摂生に食事を抜いているからでしょうが」

「う……」


 今度は二の腕をムニムニとつままれている。わざと抜いてるわけではないんだけど、不摂生なことには変わりないから言葉が出ない。でも、別に太りたいわけでもないから、私は別にこのままでもいいんだけどなぁ……。無抵抗でいると、ミカゲさんはさらりと爆弾発言をした。


「今のままでも抱き心地はいいんですけど、もうちょっと肥えてくれたほうが抱き心地はよさそうですね」

「だっ……!?」


 それって、どっちの意味の、ですか。

 とは、こんなところでは聞けない。私が聞けないとわかっているのか、ミカゲさんはいたずらっぽく笑ってから、かごにもう一つおいしそうなチーズタルトを入れて、さっさとレジに向かってしまった。



 * * *



 結局二つもデザートをご馳走になってしまったのに、私ときたら今日は徹夜だと言っていたミカゲさんに何もしてあげていない。それに帰りがけに気づくあたり、やっぱりなんだかなぁ、である。

 家の中に入ろうとするミカゲさんの背中に、慌てて声をかける。


「ミカゲさん、今度何か奢ります」

「いいですよ。それ食べて引き続き仕事頑張ってください」


 ちらり、と手に提げたコンビニの袋を見る。一つだけのはずが、ミカゲさんの手により三つになったコンビニスイーツ。ミカゲさんはくっくと肩を震わせた。


「今度会った時の抱き心地が楽しみですね」

「……ミカゲさん!」

「おやすみなさい、ではないんでしょうけど。お互いに。おやすみなさい」


 ミカゲさんは逃げるように家の中に入って行ってしまった。また、返事をしそびれた。でも、私もこの後寝ないつもりだし、何と返せばよかったのだろう。

 玄関の鍵を開けて、家の中に入る。さっさと食べて作業を再開しよう。行儀は悪いが歩きながらエクレアの袋を開けて頬張る。ほとんど噛まずに飲み込んだ。生き返る、とまではいかないが、空っぽだった胃が喜んでいる。机の前に腰かけて、二個目のプリンに手を伸ばす。プリンもするすると流し込むように食べて、コトリ、と容器を横に置いた。これで私の甘いもの欲は満たされた。三個目のチーズタルトはまたあとで食べるでもいいんだけど。

 背もたれに身体を預ける。すると、ミカゲさんの家のほうから、ジャー、という水道の音と、トントントン、という足音が聞こえた。確かに壁、薄いかも。姿は見えないのに、そこに確かにミカゲさんを感じる。なんか、不思議だ。

 ぷに、とお腹をつまんでみる。……もうちょっと太ったほうが、彼にとってのご褒美になるのだろうか。時刻は午前二時半。私はしばらく迷ってから、冷蔵庫にしまうはずのチーズタルトにそろそろと手を伸ばした。

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