Case.4

ギフトカード横取り未遂事件

1

 遙が新聞を読むなんて珍しい、と両親にからかわれながら、わたしは夕刊の特集記事を眺めていた。

 特集は流行りのtopSALEについてのものだ。この記事では、フリーマーケット的に買い物と出品ができるそのサイトの便利さや楽しさを認める一方で、利用者の拡大とともに悪質なユーザや取引が見られるようになってきたと伝えている。

 たとえば、粗悪品を売りつけるユーザ。売り手がアップする写真を頼りに売買契約が交わされるので、その写真の撮りようによっては、買い手が不利に立たされることもある。また、以前攸子や英里奈から話を聞いたように、紙幣を額面より高く売りつけ、金融らしきことをする売り手も後を絶たないという。この新聞社の調査でも、以前噂されていた偽札の出品が確認されたらしい。

 品物のトラブルなら問題が顕在化しやすいだけマシなようで、より深刻になっているのは、ユーザ間のレビュー機能やメッセージ機能を通しての嫌がらせだという。前者では出品者としてのユーザに口コミとして評価が与えられ、悪質な出品を防ぐ機能を持つ。後者は価格交渉や品質の確認に役立てられている。しかし、性質の悪い利用者は、不当に低い評価のレビューを書いて貶めたり、反対に、仲間内で不当に高い評価をつけあって粗悪品を高く売れるようにしたりするのだとか。メッセージ機能の悪用方法については、言わずもがな。ありとあらゆるイタズラが横行しているが、かといって個人的にやり取りする機能であるがゆえに規制もしにくく、歯止めが利かない。

 こうした悪徳ユーザへの対策が遅れてはいないか、と記事は批判的に論じている。

 攸子や英里奈は、安く品物を手に入れる手段として気楽にtopSALEを利用している。その気楽さで彼女たちはわたしに利用を勧めることもあるけれど、機械音痴のわたしが始めるとしたら、ろくなことが起こらないような気がする。顔の見えない匿名のやり取りの中に悪い人が紛れ込んでいても、わたしはそういう人を目敏く区別できるだろうか。遠く離れたところにいる、知らない人ばかりの中、良い人と悪い人とが混ぜこぜになっている――きっと被害に遭うまでわからない。

 しかし、とふと思う。サイトが号令をかけて悪徳な商売や書き込みを禁止したら、それでうまくいくものなのだろうか。英里奈はルール的にはグレーゾーンの立場に置かれ、苦しんでいた。良心に頼りきっては危ういけれど、事はお金の問題だ。そういう場合のトラブルは大きくなりやすいし、日常生活にも影響を与えてしまう。

 ……わたしも赤石さんに毒されてきたかも。

 新聞を畳んで、麦茶で喉を潤す。梅雨入りして蒸し暑さが増してきたこのごろ、麦茶がおいしい。



 昨晩と打って変わって梅雨寒の一日だった。

 降ったり止んだりを繰り返すものだから、体で感じる温度の上下が辛い。教室によって空調がついていることもあればそうでないこともあり、大学にいる時間ずっと気分が悪かった。三限の教室は冷房が効きすぎていて、九〇分間身を縮めていたわたしは体をさすりながらキャンパスを出た。パーカーでも一枚羽織ってくればよかった、冷たい風が恐ろしくて自転車を漕ぐ気にもならない。

 運良く雨は降っていなかった。夏服姿の高校生に交じって自転車を押しながら、大学の脇の並木道を歩く。ほんの数年前まで自分も高校生だったというのに、袖の短いワイシャツやセーラー服を苦にしない彼ら彼女らに感心してしまう。

 そうした後輩たちの中に、ひとり見知った顔を発見する。中学生から高校生への過渡期にある、未完成の顔立ち。どちらかというと背が低く、肩幅も大きくはないが、腕や脚に相応の力強さを感じるのは、制服や革靴が体に馴染んできたころだからだろうか。一見して穏やかで真面目な為人とわかる風貌の男の子。

 少し思案を巡らせて、その彼は二か月前に「きよたけ」で出会った五十嵐航大くんと思い出した。自販機の前に立ってぼうっと考え事をしているような表情だ。

 久しぶり、と気楽に声をかけてみる。

 彼もわたしを一瞬思い出せなかったようだが、ああ、と声を上げた。

「青山……先輩でしたっけ、あの食堂の」

「ガッコーで会うのは初めてだね。どうした? 何を買うか考えていたの?」

「いや、そんなことはないです」

 と言って彼は冷たい缶ジュースを購入した。「蒸し暑くて嫌ですね」と、半袖の彼はちょっと共感できないことを呟く。

「たいしたことではないんですけど、変なことがあったので、考えていて」

「変なこと?」

 気になって訊き返してしまった。ただの顔見知りでしかないのだから、やたらと話を聞こうとしないほうがよかったかな?

 わたしの心配は杞憂だったのか、航大くんは苦笑いするような表情を浮かべて、

「また聞いてもらっていいですか? 先輩ならこの前みたいに気づくことがあるかも」

 と切り出した。

 その前に、大学のロビーに移動しようと提案した。立ち話をするには寒くて仕方がない。


 ロビーは先刻までの教室よりはマシだったが、やはり寒かった。カップ式の自販機で時季外れにも温かいココアを購入し、適当なテーブルで航大くんと向かい合う。わたしはそれほど体を冷やしていたけれど、彼は涼しくて快適なのだろう。

「それで、困ったことって?」

「いや、困ったことではありません。変なことです」

 妙なところで真面目な子だ。でも、確かにそこには大きな違いがある。彼はトラブルに頭を悩ませているというほどではなく、わたしを相手にできるようなささやかな疑問をこれから語ろうとしているのだ。

 端的に言うと、と彼は前置きする。

「盗まれたはずのお金が、盗まれていなかったんです」

「……え?」

「まあ、これから詳しく話しますので。そうですね、まず状況から順番に――」



 授業が終わって、おれは友達の健一――前にも話しましたよね、遊び好きのあいつ――と少し教室に残っていたんです。ぐだぐだとくだらない話をしていただけでそれほど遅くはありませんけど、そのときにはもう、教室におれたちふたりと、同じクラスの女子の箕原みのはらしかいませんでした。

 箕原が結構関わっているので、いまのうちに少し話しておきますね。いや、気になるとかそういうのじゃありませんよ、茶化さないでください。……ええと、箕原はクラスでも目立つってほどではなくて、そう、普通の人。平均って感じ。休み時間や放課後にはよく携帯を見ていますね。なんでも、趣味は小物づくりらしくて、手作りのアクセサリをtopSALEに出品して小遣い稼ぎをすることもあるみたいですよ。いや、あいつの趣味はC組でもそこそこ有名で、別におれと仲がいいというほどではなくて……だから、からかわないでもらえます?

 健一とおれの話に戻しますよ。

 実は、おれ、きのう誕生日だったんです――あ、ありがとうございます。一六歳です。それで、健一がプレゼントだって言ってギフトカードをくれたんですよ。ああ、あれです。コードを入力すると、ネットで買い物ができるようになるんです。

 いや、おれもよく知らなかったんです。健一はしょっちゅうスマホゲームに課金するから、使い慣れていたみたいですけど。おれはあまり興味がなくて。電子書籍を買うのにも使えるって聞いて、ありがたく受け取ることにしました。漫画でも買ってみようかなって。

 おっと、話が逸れましたね。そんなわけでおれはカードのことをよく知らなくて、その場で健一に教えてもらいました。ケース? を破ってカードを取り出して、裏面のシールをコインで削るとコードが出てくるんです。暗号みたいなわけのわからないアルファベットや数字の列ですけどね。で、それをサイトの画面で入力する。あとはサイト内で自由に買い物ができる、と。

 金額? 千円でした。うん、おれも最初気になったんですよ――ケースに『1000-50000』なんて書いてあったから、もしかして高いんじゃないかってびっくりしちゃって。いや、健一ならやりかねないので。あいつ、『高かったんだぜ』って冗談まで言うし。結局、あとでコードを入力するまで千円って知りませんでした。なんだか、レジで金額を指定できるらしくて、健一は一番安い額で買ったということですね。五万円だったらどうしようって、期待半分でドキドキしてましたよ。

 ああ、『あとで』っていうのは、もらったそのときはコードを入力できなかったんですよ。あのときクラスメイトが駆け込んできて『提出課題間に合った!』って大声出して。何のことか訊いてみたら、きょう締め切りの数学の課題のことで! おれ、まだ出してなかったものだから肝を潰しましたよ。『先生は部活見に行っちゃったぞ』ってそいつが言うから、健一に先に帰っていいって言って、大急ぎで教室を出たんです。

 体育館まで提出しに行ったんで、五分くらいかかったんですかね? 戻ってきたら、箕原しかいませんでした。そのとき、あっと思い出して――そういえば、カードを鞄に突っ込んだだけにしてたって。もしかしたら高額かもしれないのに、危ないことをしたなって。

 まあ、気にしないことにして帰ろうとしたら、カードがないんです。冷や汗ものですよ。プレゼントを、しかもお金を失くすなんて。そしたら、箕原が近寄ってきて、こう言ったんです。

『ごめん、使っちゃった。悪いと思ったけど仕方がなかったの。お金はなんとかして、あした必ず返すから』

 って。失くしていたカードを机に置いて。コードの書かれた部分がコインでスクラッチされたあとのものでした。

 頭が真っ白になって、どういうことか訊こうとしたときには、箕原は荷物を持って逃げていっちゃって。追いかけようかとも考えましたけど、お金が無事か先に確かめることにしたんです。コードが見えるようになっているし、『使っちゃった』と言ってもいたから、もしかして箕原に入力されてしまったんじゃないかって。

 ……ああ、そうです、コードは一回入力すると二度と使えなくなるんですよ。先輩、それも知らないなんて、おれ以上に疎いみたいですね。

 とにかく、大慌てでコードを入力してみたんです。そしたら、まったく異常なく千円が残高に加えられたって確認画面が表示されて。おかしいなって思って、金額を健一にメールで訊いてみたら、やっぱり千円だって。つまり、箕原はコードを使ってないってことですよ。

 これって不可解ですよ! だって、箕原は間違いなくおれのカードを盗んだんです。そして、コードを使ったと言っている。それなのに、肝心のお金は使われないで残っている。

 盗まれたのに、盗まれていないんです!



 話を聞きながら、彼の言っているギフトカードとやらがコンビニでよく売られている光景を思い出していた。いつごろからか店内の一角を占めるようになっていたので、使ったことはなくても存在としては身近なものだったかもしれない。

 ゲームに使うものとは薄々知っていたけれど、てっきりゲームセンターなどの機械に通して使うものだと思い込んでいた。テレホンカードのように。この恥ずかしい見当違いは内緒にしておこう、いましがた航大くんに機械音痴がバレてしまったことだし。

 さて。

 お金を盗んだというのにそれを使わないとは、何事か。ギフトカードというものをわたしはよく知らないけれど、何かしら使い道があるからこそ、悪いことをしてまで得ようとした意味があるはずだ。それは現金だろうと同じことだ。

 そして、この話を一層おかしなものにしているのは、箕原さんが「使った」と発言していることだ。現金ではないから、一回限りのコード入力を終えると「使った」と表現されるのだろうが、それを完遂せずしてなぜそう言ったのか?

 とりあえず、航大くんにいくつか確認をしてみる。

「盗んだのは本当に箕原さんなのかな?」

 航大くんは、聞くまでもないと言いたげに深く頷いた。

「おれが教室を出ていたとき、健一が帰ってからは箕原しか教室にいませんでしたから。それに、自分で盗んだようなことを言っておいて、そうでないとしたら何の得があったんです?」

「ごもっとも」

「まあ、返すときだけ箕原が――とは考えられなくもないですけど、証明できませんよね。コードが使われていないのを含めて、誰がそれで得をしているのかよくわかりません」

 箕原さんが盗んだように演技させられた、被害者の側だったという可能性は薄そうだ。まあ、そうだとしたら「お金を返す」と約束するのは行き過ぎている気がする。

「その、箕原さんに嫌がらせをされる心当たりはないんだよね?」

「もちろん、何も」

 だとすれば、彼女なりに、お金を盗んで達成すべき目的があったはずだ。

 それでも結果的に目的が果たされていない――コードが入力されていない――とすれば、何が原因か?

「箕原さんがギフトカードを使えなかったということはない?」

「それは、箕原に知識がないということですか? だとすれば、健一が直前に、おれに使い方を説明していたのを聞いていたはずです。それでもよくわからなかったとしたら、盗もうとする強い理由がないと。……あ、その理由によっては白状したことと関係してくるかもしれない」

 確証のないことを例外として一旦横におくとすれば、航大くんが口にしている「盗まれたのに盗まれていない」という状況は勘違いやすれ違いの産物ではなく、確かに発生した、すなわち箕原さんが発生させたことと考えていいだろう。しかし、何が起こっていたのか判然としないのだ。

「…………」

 時間を確認。

「航大くん、これからまだ時間ある?」

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