三人の時間

第三話 あたし、山岳仕様になります!

「本当に久しぶりね、伊原くん。元気だった?」

蓮弥れんやさんかー、元気元気。俺はいつでも元気だよ?」


 仮面を外して、ニコニコと愛想よくふるまう天狗さん。

 え、なにその笑顔、キモい。普通に引くぐらいキモい。

 あと、あたしを相手にするときと態度が違いすぎない……?


「というか、あんた誰よ!」


 そうだ。

 なんだこの筋肉達磨!

 天狗さんといい、この達磨といい、こっちではみんな、ガタイがいいの!?


「あら、あなたが噂のリィルちゃんね? ほんっとに天使みたい! 可愛いわぁー。ねえ、ハグしてもいい?」

「いいよいいよ、存分に抱いてやってくれよ蓮弥さん」

「ちょ、クソ天狗、なに勝手に──あぎゃああああああああああ!?」


 ハグっと。

 問答無用で抱きしめられるあたし。

 硬い!

 この男、全身が岩みたいに硬い!


「きゃー、柔らかい! 若いっていいわねぇ、嫉妬しちゃうわー」

「いやああああああああああ!?」


 なにを思ったか頬ずりをかましてくる巨漢。

 痛い、そり残しの髭がチクチクして痛い……!


「さ、最低だ……」


 あたしが解放されたのは、存分に全身をもてあそばれてからだった。

 ぐったりと床に突っ伏し、思う。

 あたし、汚されちゃった……


「失礼なやつだな、おまえ。蓮弥さんは汚くないぞ」

「そうそう、お肌には気を遣っているの。毎日バラのオイルでお肌を磨いているし」


 たしかに、なんか甘い残り香がする……


「っていうか!」


 跳ね起きたあたしは、びしっとその男を指さし詰問する。


「誰よ、あんた!」


 問いかけると、巨漢と天狗さんは顔を見合わせ。


「「あははははははははは!!」」


 なんかよくわかんないけど、声をあげて笑い始めた。

 あのね、うん。


 あたし、こいつらきらい……!


§§


「挨拶が遅くなったわね、私は一条いちじょう蓮弥。伊原くん──伊原優士郎ゆうしろう──あなたが天狗さんと呼ぶ、彼の上司よ」

「上司? 上役のこと?」

「ええ、上役で。以前は同じアカデミックに所属していたの。そのあと同じ研究機関に就職して、伊原くんはとあるプロジェクトの主任研究員! あたしは別の部署で働いていたのよ。今日はね、彼の推進しているプロジェクト〝Kプラン〟が、いよいよ現実味を帯びてきたってことで、激励に駆け付けたのよ」

「相変わらず言いくるめ方がうまいなぁ、蓮弥さんは。上にせっつかれて俺の査察に来たって言えば済むのに」

「激励は本当よ? 伊原くん積年の夢だもの」

「そのカバーアップ──後始末ディスポーサルだけどな。でも、うれしいよ」


 えーと。

 それは、つまり。


「天狗さんと、あんたは」

「あたしのことは蓮弥と、呼び捨てでいいわ」

「レンヤは……天狗さんの、友達なの?」

「────」


 あたしが問いかけたとき。

 二人は全く違う、だけれど、たぶん根底が同じ表情をした。


 レンヤは困ったように、だけれど優しく微笑んで。

 天狗さんは、眩しそうに目を細めて、口元をゆがめた。


「蓮弥さんは、蓮弥さんだよ。リィル、それだけだ」

「だめよ、伊原くん、説明になってないわ」

「でも、蓮弥さん」

「あのねリィルちゃん。あたしと彼は──家族だったの」


 家族って……


「ま……まさか! 天狗さんとレンヤは結婚──」

「馬鹿だなぁ……このエルフ、ポンコツだなぁ……!」

「いて」


 スパンと、天狗さんに頭をはたかれる。

 え? 違うの?

 そういうことじゃないの……?


「違う違う、そりゃあ蓮弥さんは魅力的だけどさぁ」

「うれしいこと言ってくれるのね、伊原くん。伊原くんも、昔は理知的だったのに、最近はすっかりワイルドになっちゃって、おねーさん大好き! あ、でもね、リィルちゃん。勘違いしないで。彼と結婚していたのは、私の妹──一条蓮歌れんかなのよ」


 はあん?

 なるほど?


「妹さんが天狗さんと結婚……どうりで」


 ここでようやく、あたしは彼らの間にある、異様に親しい空気の正体を理解した。

 つまりもなにも、彼らは身内だったのである。

 あたしで言えば、レンカは天狗さんにとってのマィムみたいなもんなんだ。


「身内……そうだな、身内だ。そんな身内だった俺たちが、いまじゃあ上司と部下ってわけだ」

「働き甲斐のある職場でしょ? なにせ、国家公認の鳥獣検査機関の研究主任で、プロジェクトリーダー兼現場担当。伊原くん自体は嫌がるけど、部下だって大勢いるし、予算だって引っ張り放題なんだから」

「ははは、そりゃあ蓮弥さんの尽力あってだからなぁ、俺の力じゃない。自分の地力以外は誇れないなぁ」


 気やすい様子で会話をする二人に、なんとなく胸のなかがもやもやする。

 あたしにはわからない話で盛り上がる二人の間に、よくわからないまま割って入る。


「しょ、職場ってことは! レンヤは……〝町〟からきたの?」

「そうよ。本当はこの国の真ん中に、私のデスクはあるのだけど、いまは九州に出向してきているの」

「仕事が肉体労働だから、そんなムキムキなの?」

「違うわ。私、身体を鍛えるのが趣味なのよ」

「そうそう、蓮弥さんはすごいんだぞー。仕事の合間にダンベル体操してたり。一緒に働いてる頃は日常風景だったなぁ、なつかしいなぁ……」


 日常風景ってことは。

 え、もしかして……


「天狗さん、まさかお仕事してる人なの!?」

「なんで驚くんだおまえ、失礼だぞ豚。ひとをなんだと思ってたんだ?」

「えっと、うん、その」

「はっきり言えよ」

「町で暮らせないって言ってたから、犯罪者かなんかだと思ってた」


 あたしがそういうと、二人はまた顔を見合わせて。


「犯罪者ですって、伊原くん」

「敵わないなぁ、蓮弥さんには……」


 レンヤは楽しそうに笑い、天狗さんは困ったように頭を掻いていた。


「天狗さんは、猟師じゃないの? じつは偉い人なの?」


 そういうものだと、思っていたのだけれど。


「下手な大企業に勤めるよりは、エリートでしょうね。そうね、猟師っていうか、マタギよね、伊原くんは」

「マタギ?」

「東北──九州より北の大地で、熊を狩る猟師のことよ。だから、正確ではないけれど、たぶんマタギね」

「それって」


 天狗さんを見る。

 彼は、笑っていた。

 もう、さっきまでの困り顔とは違う。

 凶悪な、恐ろしい面持ちで、鬼気をたたえて笑っていた。


「そうだ。俺は殺す。コディアックを殺す。人の道を外れてでも、あの化け物をほふる──ただのマタギだよ」


§§


「結局、レンヤはなにしに来たの?」


 とりあえずお湯でも飲もうと。

 毛皮をお尻の下に引きつつ囲炉裏を囲んだところで、ずっと気になっていたことをあたしは聞いた。

 すると、レンヤは「あらやだ!」とおおげさに両手で口元を隠して驚く。


「私ったら、すっかり忘れてたわ。今日は伊原くんに頼まれて、リィルちゃんにプレゼントを持ってきたの」

「天狗さんが?」


 あたしに?


「これよこれ」


 レンヤがあたしの目の前に置いたのは、その巨大な背中に背負われていた、もっと大きな荷物だった。

 さすがにたじろいでいると、


「ほら、開けてみろよ」


 天狗さんが、促してくる。

 おっかなびっくりバックを開けると、その中には──


「いつまでも、そんなかっこうじゃいられないだろ。九州といってもここは山で、これからぐっと冷え込んでくる。そのまえに、必要なものさ」


 それは、何枚もの服だった。

 服だけじゃない、靴に、手袋、帽子に、あとなんか見たこともないやつ。

 これが、あたしへのプレゼント……


「もちろん山じゃ手に入らない調味料や貴重品も補給物資として持ってきたのよ。ほら、見て見て! 箸とかお皿とかコップもあるのよ。可愛いでしょう! さあ、それよりさっそく着てみましょうよ、リィルちゃん。大丈夫、私が着付けてあげるから」

「え? ちょ」

「ほら、こっちに行きましょう! 伊原くんは覗いちゃだめよ?」

「はーい、おとなしくしておきまーす」


 ニコニコと笑顔であたしを見送る天狗さん。


「は? うそでしょ? だってレンヤはオトコ──」

「よーし、レッツゴー!」


 むんずとあたしを捕まえて、引きずり始める筋肉達磨。

 あたしは、


「さ、最低だあああああああああああああああ!!」


 そう、絶叫するしかなかったのだった。


§§


「馬子にも衣裳だな。エルフにもサバイバル衣装」


 天狗さんのそんな反応もむべなるかな。

 あたしのかっこうは、ガラッと変わっていた。


 靴底が曲がらないトレッキングシューズとかいうものに、まったく引っ掛かりがない奇妙な繊維のズボン。

 ポケットが後ろと左右についたベルトに、緑色の長袖シャツ。

 天狗さんとおそろいの、収納スペース満載のタクティカルベストを羽織って、金髪の上から褐色の帽子をかぶる。

 手には指先を覆っていない、不思議な手袋。

 腰にはさらに、毛皮を巻いている。


 それが、今現在の、あたしの出で立ちだった。


「初期装備更新だな。本格的に山でも動ける、山岳仕様ってわけだ」

「着心地はどうかしら、リィルちゃん?」


 えっとねぇ。


「すごく、あったかいし、動きやすい」

「だろうな」

「えっと、えっと」

「なんだ」


 いぶかしげに顔をしかめる天狗さんを見て、あたしはうつむいてしまう。

 こっちに来て、あたしは待っていても贈り物なんて届かないことを知った。

 エルフの村で、自分がどれだけ恵まれた環境にいたかも。


 だから。


「ありがとう、天狗さん……」


 蚊の鳴くような声で、あたしは言う。

 ありがとうと。

 お礼の言葉を。


「────」


 それを聞いて、彼は。

 天狗さんは、少しだけ目を大きくして。

 また、歯を見せて、笑った。


 その笑顔に、どうしてだか凄く、ほっぺたが熱くなる。耳までかぁっと熱くなる。

 混乱しながらさらにうつむくと、天狗さんが立ち上がった。


 彼は部屋の奥へと行くと、なにか黒い、金属の箱のようなものを持って帰ってきた。

 そうして、言う。


「これは無線機だ。蓮弥さんに直接つながるようになっているから、使い方をあとで教える」

「天狗さん?」

「俺に何かあったら、俺が教えるべきことを全部教える前に、どっかに行ってしまったら、これで蓮弥さんに助けてもらえ。これが、唯一外界との連絡手段だ」


 え?

 どういうこと?


「……できれば、蓮弥さんには面倒をかけたくないけどさ」

「伊原くん……」

「リィル、おまえは社会じゃ生きていけない。何の権利も持ってないからだ。それでも、蓮弥さんはおまえを助けてくれるだろう」

「ええ、そうね、約束するわ」

「さっすが、蓮弥さんだ。頼りになるなぁー」


 二つ返事で請け負うレンヤに、天狗さんはまいったなぁという感じでうなずく。

 それから、彼はあたしを見て。


「それからリィル、お礼を言うなら、俺にではなくて蓮弥さんにだ」


 だって。


「政府に繋がりがある蓮弥さんが、口を利いてくれたから──俺はこの山で、補給を受けながら狩りができるんだからな」


 あのヒグマを、追い詰められるのだからと。

 彼は、凶悪な表情で笑うのだった。

 それが、まるで得難い幸福のように──

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