七、最後の晩餐


 原題は『べれんの国よろうてつ国中吟味する事』。

 マタイによる福音書に描かれるヘロデ王による幼児虐殺と最後の晩餐について描かれている章。




 帝王は御身様を詮議するべき土を掘り返し空を翔けるほどに徹底的に探し回らせていたが、行方はいまだに知れなかった。

 もしや土民の子供の中に紛れ込んでいるのではと疑いを抱いた王は「乳児から七つまでの歳の子を一人残らず殺すべし」と命じ、皆殺しにさせた。その数はじつに四万四千四百四十四にも及んだ。このようにむごく哀れな事は他に無かった。

 この事件を御身は遠くで伝え聞き、さて数万もの命が失われたのは全て我のせいにに他ならないと強く感じ、彼らの後生の助けのためにの森に赴き、そこでありとあらゆる苦行をなされていた。

 かかる所により御告げが下る。

「数万の幼子の命が奪われたのは其の方に故がある事だ。の悦びは失われてしまうだろう。それはなんとも心もとない事だ。死せし子供達の後生を助ける為に、其の方は責め虐げられ、命を苦しめ、身を棄てるべし」

 その御告げを受けた御身ははっと平伏して、御血の汗を流された。昼五カ条のはこの時に創られたのである。

 それから御身はの寺に戻られ、なにとぞ悪人によって苦しめられ、命を棄てなければと思うようになった。


 しかる頃、弟子のうちの一人の(※ユダ)という者がその心の中ににわかに悪心を抱いていた。我が師御身はいま吟味の最中である、御身が此処に居る事をに訴えれば褒美の金にあずかれるだろうというたくらみを抱いていた。

 御身は人の心を悟る事ができたのでそれを知っていたのだが、敢えて「この十二人の弟子の中に、私に敵対しようとしている者がいる」と語った。

 弟子達はそれを聞いて「さような心を抱いている者など、一人もおりませぬ」と口を揃えて主張したが、御身はさらにこう宣った。

「朝ごとに飯に汁をかけて食べる者が、私に敵対する徒だ」


 の心の中は次第に悪逆の心が強くなっていき、の日(※水曜日。キリシタンの断食の日)にいつも通りに朝食を食べてからに急いで向かっていった。

 ほどなくに対面したはこう訴え出た。

「帝王がかねがねお尋ねになっている御主は、の寺の和尚なのです。早く召し捕って死罪にしてしまいましょう」

 それを聞いたの喜びは並々ならぬ様子で「望みのままに褒美をくれてやろう」と言って多くの金を遣わせたのだった。


 さては褒美の金を受け取って引き返してきていたのだが、にわかのうちにその姿が変わり始めている事に気が付いた。鼻高く舌長くなり、一体どうすればいいのだと思い悩んだがどうしようもなく、仕方なくそのままに戻っていってしまった。

 その姿を見た他の弟子達は集まって来て、「さては、お前は師匠の事を訴え出たのだな。なんて不届き者。そのせいでそんな顔になったのだ」と口々に責め立てた。面目を失ったは御寺の脇に受け取った金を捨て、そこいらの森の中の茂みに駆け込んで、首を括って自害してしまった。

 の寺の脇に金塚という場所が残っているのはこれが所以である。




【註釈】マタイによる福音書に描かれる、真の王の誕生を恐れたヘロデ王が生まれたばかりの幼児を虐殺したというエピソードが描かれている。キリストが受難と死を望んだ事をこの事件に対する贖罪のように描いているのがなんとも面白い。やはりどことなく仏教的な色彩が入り混じっているようにも感じられる。

 そしてそれに呼応するようにしてユダの裏切りが露呈する。葡萄酒にひたしたパンを与えて裏切りを告発する有名な場面が「朝ごとに飯に汁をかけ食する者」になっている。ユダが裏切りを決行した日が断食をする水曜日で、にも関わらず普通に食事をしていたと描写している点も面白い。隠れキリシタンにとってこの精進潔斎の風習が如何に重要視されていたかが窺える。

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