(14) ともし火

 

「よいしょっ」

 

 掛け声だけ。起き上がれない。

 

 時やんはもう一度、よいしょと言って身体に力を入れた。

 

 しかし起き上がれない。

 

 ―― もうこりゃ、本っ当にダメだな、おれ……。

 

 天井を見ながら、思った。ここ数日、目覚めて、すぐに起き上がれないのだ。

 

 起きようという気はある。しかし、身体に力が入らない。

 

 ―― 普段なにげなく起き上がったり歩いたりしてるけど、あれってたいへんなことなんだな。

 

 と、思う。こうやって身体に力が入らないということを体感すると、普通の行動がすごいことに思えてくる。

 

 ぼんやり30分くらいそのままでいて、ようやく力を込められるようになってきた。

 

 ごろん、ごろんと左右横向きになる。一気に起き上がれなさそうなので、まずは準備体操だ。それをふまえて、ようやく両手の筋肉を使って上半身を起こす。

 

 布団の上で座り、ホッとひと安心。そのまま起き上がれないで餓死する心配は、今日のところはなくなった。

 

 ―― こうやって、身体に込めなければならない「力」を、自分はタイムシーフの「気」を見ることに使ってるんだろうなぁ。

 

 時やんは思う。あのタイムシーフと弥生の周辺を飛び回る閃光を見るには、それなりの代償が必要なのだろう。自分はそれを、自分の生気を捧げることによって、見られるのだろう。

 

 時やんはゆっくりと立ち上がり、トイレに行き、そして歯を磨いた。それだけのことで疲れてしまい、また布団に戻って腰を落とした。

 

 じっと、カレンダーに目を向ける。

 

「12月の2週目なんだけどなぁ」

 

 かすれ声で、呟く。

 

 これまで、12月は遠征をする日だった。

 

 遠征先は、中京競馬と阪神競馬。特に、中京が外せなかった。

 

 もうずっと前、それこそ、あの馬券の怪物ネンさんと会った頃からの行事だ。その頃、冬の中京でウインターステークスという名物レースがあったので、それに合わせて遠征していたのだ。

 

 その当時は、まだダートでGⅠレースなどなかった。だからダート馬は格下扱いで、だから裏開催の中京でのレースだった。ウインターステークスはいくつかあるダートの重賞の中で、最も長い、2300メートル戦だった。特異なレースだったので、毎年同じような顔ぶれだった。

 

 ウインターステークスはその後、東海ステークスとくっ付いて年明けの重賞となった。その後ダートのGⅠレースが創設され、しばらく11月の東京競馬場でやっていたのだが、それが冬の中京に移された。そのGⅠが、先週行われたチャンピオンズ・カップだ。

 

「しっかし、予想に反してなかなかすごいレースだったな」

 

 プルートーであっさり決まると思っていた時やんは、あらためて思った。

 

 プルートーはレース後、短期休養して来年2月のフェブラリー・ステークスに向かうと表明した。

 

「今年は、中京も阪神も行けないな」

 

 カレンダーを見つめながら、時やんは呟いた。そしてしばらく経って、

 

「いや、もう中京も阪神も、見ることはないかもなぁ」

 

 言い換えた。もはや、命の火が消えかかっていることは承知しているのだ。

 

 ―― でも……。

 

 座っているのもつらくなった時やんは、ごろんと横になった。そして、

 

「中山にだけは、這ってでも行かないとなぁ。弥生との約束を、果たさないと」

 

 苦し気に、呟いた。

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