(22) ジャパンカップ、直線の攻防

 

 あと1ハロン(200メートル)。イアンが視界の端にアルフォンソのモンダッタを捉えた。

 

 ―― やっぱりあいつか。

 

 来たな、と覚悟していた。元より3コーナーで動き出したとき、アルフォンソが絶好の位置に付けたことを察知していた。ワイドレナに差し切られることがなによりショックだが、アルフォンソに負けるのも同等に屈辱だった。

 

 イアンはマルクに多くの勝ち星を奪われているが、不思議と強烈な敵対心が沸かなかった。それはどうも人づてに聞いたところ、マルクもそうらしいのだ。彼にとってイアンは邪魔な存在であるはずだ。もしいなければ、少なくとも年間GⅠ3勝、重賞10勝くらいは増すことができるだろう。

 

 もちろん互いにフェアにやっているということも大きい。そしてヘンにくっ付かず、また離れず、適度な距離を保っているということも。しかし案外この淡い連帯感

の理由は、アルフォンソなのでないかと思うことが多々あった。アルフォンソという大敵を共に心の底に住まわしているからこそ、相手が自分のキャリアに水を差す存在なのに、イマイチ嫌えないのではないのかと。敵の敵は味方、という存在になってしまっているのではないか、と……。

 

 一完歩ごとに距離が縮まっているのが分かる。スパッと切れる脚ではないが、モンダッタは着実に伸びている。半馬身までくる。交わされてしまうだろう。イアンは観念した。

 

 しかしそこでモンダッタが、イアンの予測から外れた行動をとる。スッと内に寄り、リュウスターと併せてきたのだ。

 

 ―― なぜ!?

 

 イアンは追いながら思った。なぜ一気に引導を渡さず、こちらを生き返らせる行動をとった? なぜだ?

 

 馬は抜かれると戦意を喪失して伸びなくなる。交わされた時点でレースは終わりだった。だから交わせるのであれば交わし、相手をつぶした方がいい。ヘタに併せると、相手が二の足を使って一緒に伸びてしまう怖れがある。

 

 瞬間、からかわれたのかと思ってカッと血が上った。いつでも抜き去れるので、ちょっと並走してもったいぶってやろうじゃないか、と。アルフォンソならやりそうなことだ。

 

 しかし積年の恨みを持つ男のことは、知り抜いている。今のアルフォンソの気配はちがった。遊びの「気」が発散されていないのだ。

 

 じゃあ、どうして。イアンは思い、次の刹那にリーディングトップの頭脳が答をはじき出した。時間にして100分の1秒。土壇場のトップアスリートは1秒考えてしまったらタイムオーバーだ。

 

 ―― アルフォンソはうしろから来るなにかに怖れている!

 

 だから、抜け出してモンダッタを単走にしたくなかったのだ。単走になれば脚が鈍る。うしろから伸びてきている馬がいれば、呑み込まれやすくなる。それで、リュウスターが二の足を発揮するリスクを怖れながらも、並走させることによってモンダッタの伸び脚を維持しようとしたのだ。併せれば、追いついた方も追いつかれた方も互いに伸びる。

 

 リュウスターが抜かせまいと、闘志をみなぎらせているのが手綱から伝わってくる。キヨマサを競り落として緩んだ気が吹き飛んだ。現在モンダッタにクビ差リード。ゴールまであと50メートルほど。これを守り切るべく、イアンは馬に張り付いて懸命に手綱をしごく。ジャパンカップは2着が最高着順なのだ。そのときの1着がアルフォンソ。まったくうれしくない2着!

 

 今は馬に負荷をかける分、鞭を入れるのは邪魔な動きだった。ただ重心をぶらさず馬の首をリズムよく前に押すだけ。我慢しろ、我慢だ、リュウ! 声に出しながら追った。

 

 イアンはアルフォンソの怖れているうしろから来る「なにか」までも分かった。そしてその馬が外から飛んできた。アルフォンソはその馬の脚を知っているのだ。レース経験は乏しいが、古馬GⅠで通じる脚だということも。その脚が東京の直線でさらに活きるということも。そして、「あいつ」がその脚をしっかり引き出すということも。

 

 場内の実況、ラジオの実況、テレビの実況が、まるで「せーのっ!」とタイミングを揃えたかの如く、同じ言葉を叫した。

 

「大外からトーユーリリーィッ!!」

 

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