Scene 4.
熱弁を振るって息を荒くしている一号に向かって、弁論者二号が横合いからこわごわと意見を述べた。
「あ、あの、一号さん、“猫” という言葉すらなくしてしまうのは、さすがに……困るのでは。
私の国には『吾輩は猫である』という、とても有名な文学作品があるのですが。
そこからから猫がなくなってしまうと……」
「猫の代わりに犬にすればいい」
「えっ!?」
まるで何でもないことのように言ってのけた一号の台詞に二号は絶句する。
言葉を失ってしまった二号に変わって、続けて七号が食いついた。
「じゃ、じゃあ、ポーの『黒猫』はどうなります?」
「黒兎でも黒鼠でもいいだろう!」
「それじゃ作品が成り立ちませんよ! 兎やら鼠じゃ……何か違うでしょう!?」
「そんな “パンがなければケーキを食べればいい” 的理論がまかり通るとお思いですか!?」
一号の暴論に七号ばかりか六号も猛抗議の声を上げる。
まるで一号の熱弁にあおられたかのように、続けざまに円卓のあちこちから声が上がった。
長靴を履いた猫は?――チェシャ猫は猫じゃなきゃダメだろ――人間になりたがったやつは――一〇〇万回生きたのとか――三毛犬じゃあホームズじゃない――みかんだって猫じゃないと――
言葉が放り投げられ積み重なり、部屋中に熱気と共に膨らんでいく有様を、しかし破裂寸前で議長の一声が押しとどめた。
「皆様、静粛に」
大きくも激しくもないその声は不思議と弁論者たちの耳に届き、まるで気球から空気が抜けていくように、議論の熱はしぼんで落ち着いていった。
弁論者たちの視線とカメラの注目を集めて、議長はやはり冒頭から変わらない淡々とした無表情で言う。
「この弁論は、全世界で多くの人々が視聴しているということを忘れないでください。
弁論者一号、あまり興奮しないように」
「……失礼いたしました」
すっかり気持ちが静まった様子で、弁論者一号は議長に頭を下げると、深く椅子に身を沈めた。
奇妙に熱狂した議論が議長のおかげで収束したところで、再び細い手がおずおずと挙がる。
「あの……よろしいでしょうか」
「はいどうぞ、弁論者二号」
「賛成派の皆さんの意見を伺って、やっぱり、スパイだからといって猫を撲滅するのは、ちょっと難しいんじゃないかと思うんです。
世界中にいる猫を捕まえて、隔離させるにしろ安楽死させるにしろ……現実的に、無理ですよね?」
二号が問いかけるのに、五号が答えの代わりに問い返して言った。
「無理だとして、ではどうする?」
「共存することはできないでしょうか?」
「共存?」
「はい、今私たちは、人間が猫によって宇宙からスパイされていて、このまま地球は宇宙人に支配される、みたいな前提で話してますけど、必ずしもそうじゃないんじゃないかなって。
宇宙人がスパイしていても、その目的はまだわからないですよね。
単なる調査かもしれないし、好奇心かもしれないし。
わからないから、不安になって過剰に怖がってしまうんだと思うんです。
だったら、こちらからもコンタクトを取ってみてはどうでしょう。
猫を通じて、そういうこともできるんじゃないでしょうか」
真剣な様子で言って、弁論者二号は他の弁論者たちの反応をうかがうように周りを見回した。
まともらしい二号の発言に、弁論者たちがそれぞれ考え込んだ風に沈黙している中で、三号だけがぼそりとしたつぶやきをもらす。
「コンタクト、ねえ……」
横合いからの気のない声に、しかし二号はめげるでもなく、かえって三号の方へ体ごと振り向いて、熱心な様子で発言を続けた。
「猫と私たちが一緒に暮らし始めてから、とても長い時間が経っています。
その間に、宇宙人は何かしようという意志があったら何だってできたはずなんです。
何もなかったということは、少なくとも、私たちに敵対的ではないと考えていいんではないでしょうか?
それなら、コンタクトさえ取れれば、友好的な共存の道もあると思います」
心なしか声を弾ませながらそう言って、二号は賛成の声を期待しているかのようにじっと椅子の上に身をすくませた。
「ふうん……一理あると、俺は思いますけど」
「問題はその方法だがなぁ……」
弁論者八号と五号がそう言ったきり、衝立の向こうからはあからさまな賛成の声も反対意見も発せられない。
二号の発言を吟味しているらしい気配が、ぼんやりと沈黙の中に漂っている。
議論がこの日何度目かの停滞を迎えたのを沈黙の中に見て取って、議長はあえて一人の弁論者に向かって意見を求めた。
「弁論者四号はいかがですか?」
「…………」
「弁論者四号?」
「……え? あ、ああ、自分ですか? 呼びましたか?」
くり返し議長から呼ばれてようやく、円卓の四番目の席に座っているその彼――弁論者四号は、まるで今居眠りから覚めたばかりといった、ひどくぼーっとした声で返事をした。
議長はその四号のシルエットにうなずいてみせて、
「ええ、あなたですよ、弁論者四号。
あなた、この弁論が始まってから今まで一度も発言していませんが、何か意見はありませんか?」
「意見って言われても……」
「では、先程の弁論者二号の共存論を聞いて、どう考えますか?
あなたは最初に賛成派と言われましたよね。
猫を撲滅すべきという立場から、共存という考え方をあなたはどうとらえますか」
声ばかりか、四号は自分の意見すらもぼーっとしていてはっきりしないらしい。
議長は察しよく、四号が意見を述べやすいように質問を丁寧に変えた。
その議長の気回しに、しかし四号はとぼけた調子で答えた。
「え、撲滅?
自分、撲滅したいとか言ってませんけど」
「……はい?」
議長の顔に、この弁論開始からはじめて表情らしいものが浮かんだ。
銀縁眼鏡の奥で両目を軽く見開き――困惑している。
議長同様、他の弁論者たちの間にも戸惑った様子でかすかにざわつく空気が流れる。
彼らの内心を代表するかのように、弁論者一号が四号に向かって尋ねた。
「君、最初に君は、確かに論題について賛成だ、と言っていたはずだが」
「いや、でも……」
「言われていましたよ。
私、この弁論が始まってからずっと、皆さんの発言は全てメモを取っていましたから、間違いありません。
四号氏は“賛成”と言われました」
口調までも几帳面に弁論者六号が言った。
その言葉に、四号のシルエットは緩慢な動きで頭をかきながら、
「えーっと、自分は、あの……自分の前に発言した、この人……えっと、三号さん?」
「は? 僕?」
唐突に引き合いに出された三号の迷惑そうな声には無頓着に、四号は続けて弁解がましく言う。
「はあ、この人が反対だと言われたんで、それに自分も賛成だ、という意味で、言ったんですが……」
「…………」
四号の発したぼんやりとした台詞に、その場に何とも言いようのない虚脱させられる雰囲気が漂った。
「……まぎらわしい!」
「真面目に参加しろ!」
「論題について賛成か反対かと聞いただろうが!」
「えっ、そうでしたっけ?」
円卓の四方八方から上がる抗議の声に、四号はあくまでとぼけた調子を崩さずに頭をかいていた。
何となく、衝立の向こうの顔はへらへらと緊張感なく笑っているような気がする。
文句や抗議や叱責の声に円卓は雑然とする。
ざわつく弁論者たちを、しかし場が盛り上がりすぎる前に、わざとらしいせき払いがやんわりと制した。
「……静粛に。
えー、では四号さん、改めて、あなたは論題について反対ということでよろしいですか?」
「は、はあ」
無表情に戻った議長が改めて確認するのに、四号はぼんやりとした調子のままうなずいた。
それに議長もうなずき返して、
「それでは、反対派としての意見を聞かせていただけますか」
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