第1話:孤独はつらいむ


 ぽちゃん、ぽちゃんと一定のリズムで滴る水の音。

 澄み渡る洞窟の湖は、底で光を発する結晶によってアクアブルーに輝いている。


 水面では蛍のような仄明かりが点滅し、光の届かない洞窟で育った毒々しい雑草に絡まり舞踊ダンスを踊っていた。小さな蝶にも見えるのは、だだっ広い洞窟が濃密な魔素マナで満たされている証拠だろう。


 ガシャン、ガシャン、ガシャン――


 気温は低め、空気はじめじめ、今日も今日とて洞窟日和。

 はろはろ、元気? そんなこんなで、やっぱり僕は歩き続けていた。


 これまで幾許の時が過ぎ去ったのか、判然としていない。

 というか数える気も起きない。ふとした時に「どのくらい経っただろう?」と思うことはあっても、一日の始まりと終わりを告げる太陽と月は結晶の張りついた天井に遮られているのだ。体内時計をチクタクと刻むのにも限界がある。

 

 ってことで、大分経ったんじゃないかな。

 漠然とそんな気がするし、最初こそ混乱の坩堝に放り込まれたような有様であった僕だけど、今ではこの環境にも随分と慣れたものだ。


 魔導人形のように勝手に動く脚に順応して身体のバランスを取り、自由に動かせる上半身だけで準備運動もお茶の子さいさい。椅子に座っているようなものだと思えばいい。感覚が鈍い籠手の先、錆び付いた指で綾取りだってできそうなレベル。


 そして永遠と続く当てもない放浪の最中さなか、なんとなく察していたことがある。


(うーん……きっと僕、転生したなこりゃ)


 そう、『輪廻転生』だ。


 輪廻転生とは、命ある者が死して天に昇った霊魂が何かの拍子に再びこの世に舞い戻り、生まれ変わることを何度も繰り返すことを言う。本人に前世と呼べる記憶はないらしいが、稀に記憶の欠片を引き継ぐ者もいるのだとか。


 記憶が改変されていなければだが、僕が元いた世界は『アルバ』という色彩豊かな惑星だったはずだ。惑星とは仮説として存在する『異世界』を裏付けるための仮称であり、なんとこの惑星せかいの外には幾つもの惑星せかいを内包する空――『宇宙』があるらしい。


 と、興味は尽きないが、それはまたいつか話すとしよう。


 それでだね、その世界で人間として生きていた(気がする)僕は、根本的な原因はわからないが命果て、こうして鎧の魔物に転生したのだろう。

 今の僕が唯一覚えているセピア色の記憶の断片より、恐らくは出血死。人の身体ってあんなに血が出るんだねびっくり。


(…………)


 記憶の事を思い出す度に胸の奥がもやもやして苦しいのは、一人じゃなく二人で死んでいたからだろうか。あの少女の名前と顔は今でも思い出せないけれど……どういう、関係だったんだろうか。


 無論、仮説として存在する『異世界』に転生した可能性も考慮していたが……魔素マナが蝶を象っている時点で惑星『アルバ』なのだと思う。


 蝶は『秩序神』の使い、濃厚な魔素マナが蝶を象るのは神代から受け継がれる現象だ。


 そして平静を取り戻した今、僕は自分の正体と向き合うことが出来た。

 

 お、ちょうどいい。

 鏡のような平らな結晶が両サイドを囲う通路にさしかかった。踏み出す脚は変わらず制御できないけれど、この間に首を横にひねり、実体のない目を向けて今一度自分の姿を確認した。


 質素な鈍色の全身鎧フルプレートアーマーに、同じ色合いの荒びた兜。その割合は6:4とバランスが非常に悪く不格好だ。おかげでよく転ぶ。痛みはある、痛いんだよこんちくしょう。


 身長はそれこそ三十センチ程で、手には虫が食ったようにぼろぼろで錆びついたショートソード……いや、果物ナイフといっても過言ではないくらいの、刃渡りが短い剣を持っていた。腰部に引っかける部分があるので、そこに柄の穴を通して提げておく。


 妖しい紫色に発光する瞳は弱々しく、もちろん鎧の中身は空虚で何も詰まっていない。原理不明の動力は、胸の中心で黄色に発光する魔石なのだとなんとなく思う。


 それで、まあ思ったんだよね。


 ――僕、放浪の鎧じゃん。


 『放浪の鎧』とは、アルバに存在する数多なる魔物のうちの一種。

 覚束ない足取りでフィールドを彷徨い、人間を見つけると剣を振り回して襲ってくる異形の鎧だ。正直雑魚。


 鎧の内部には何も詰まっておらず、動力は不明。なんか魔力で動いてるんじゃない? というのがその道の研究者の言葉だ。魔物としての驚異こそは高くないものの、その生態は謎に包まれている意味わからん奴だった。


 ちなみに鎧の中身の確認はどうやったかというと。

 まあこれだけ長いこと歩いてるとね、たまにずっこける時もあったんだ。ていうか頻繫に。そもそも頭と身体の比率がおかしいんだよこの野郎。


 ある日激しく前のめりに転んで、コロコロコロ……っと視界が高速回転。静止した末、首のない自分の身体が離れた場所に見えた。その時に知ったんだよね、血が出てないどころか骨も筋肉も脂肪も、この身体には何も詰まってないって。


 見えない糸に引き寄せられるように、ずるずると僕(頭)を求めて首なしの鎧が這いずってくる光景は、さすがに怖気が走りまくったよね。それからしばらくは呆然と何も考えられなかったよね。


 と、ずばり端的に説明すると、僕は中身が空っぽの、歩き続けるしか能のない鎧の魔物になっちゃったってコト!


 ――うん。やっぱめちゃくちゃ放浪の鎧。


 いや、そんな気してた。

 だって休む間もなくガシャンガシャンて歩いてるんだもん。自分の意思とは無関係で動いちゃうからどうしようもないんだけど、この目的もなく彷徨ってる感じといえばもはやあいつしかいないなとは思ってたんだよね。


(はぁ……放浪の鎧か……)


 魔物に転生するにしても、放浪の鎧というある意味理不尽な魔物に生まれてしまったことを嘆きはする僕だけど。


(……魔物に転生したのは本望なんだけどなぁ?)


 正直なところ、魔物――『人外』という存在に憧れていた自分もいる。


 憧憬を抱くといってもその歪な見た目にではなく、可愛い『少女』と繰り広げる物語、、に、だ。まさしく『人外×少女』。このジャンルは時にほっこり、時にほろりと、わかりやすい感情の変化がどうにも切なくて……ええ、まぁはい、僕の大好物なんだよね。


(いやいや、でもさ。人外の魔物に転生したからには、きっと可愛い少女とあれこれする運命にあるはずだ! そういうものだろ? うんうん、そうに違いない!)


 僕は出所不明の鼻息を荒くさせ、輝かしい未来を夢想した。


 なんにせよ、僕はもうただの鎧なんだ。現実は変わらない。

 それをどうにか受け入れられたのは割と最近、今では一隅を照らす鎧でありたいと慎ましく思っている毎日であります。さすがだぜ僕。


 とは言ったものの、今の僕はあまりの状況の停滞ぶりに焦り始めてるなう。


 なんていうかね、体感的に下っている気がしてならないこの洞窟のような場所に、果たして終着点はあるのだろうか。恐怖心は大分和らいだけど、そこんとこすごく気になります。


 そろそろ折り返したいかなぁて。

 ねぇいつまで進むの?


 ん? でもまてよ。

 それ以前に放浪する鎧が辿り着く場所なんてあるのだろうか。ないよねそうだよねわかりますわかってました! 一生彷徨い続けるのが人生ならぬ鎧生だよね!


(くっそ寂しいなおいっ! もしかしてこれから先もずっとこのままなの!? 歩き続けるだけの鎧生の中で、次第に歩き続けることが楽しくなって来くるの!? 最終的には歩き続けることに快感を覚えて来ちゃったりするの!?)


 今歩いてるこ場所だって、青白い輝きを発する透明な水晶が上に横に下にと突き立っているのだ。龍の腹の中だってここまで物々しくないわってね。


 しかも密度が徐々に増している気がしてならない。

 絶対深く潜ってるよねこれ。洞窟の深部に向かってるよねこれ。今のところ魔物なんか一匹たりとも見てないから心に余裕があるけど、仮に現れるとしたら相当強い等級ランクだろう。


 あは、焦ったところで身体が言うこと聞かないんだけどね。


(はぁ、はぁ、はぁ……やっぱ、憎たらしいくらいに綺麗だなぁ)


 一方でそれは、目を瞠るような、幻想的な光景ではある。


 もう人じゃないけど人並みに綺麗だなって思う。人並みの感性は残ってるんだ、すげーなって思う。人並みの語彙力ボキャブラリーがなくて悲しい所ではあるが。


 とにかく、金に換えたらいくらになるんだろうって思う。

 何言ってんだろ自分で自分がわかんなくなってきたぜぃ。

 

 だけど。

 だけどさ。


 ――独りぼっちは、寂しいよ。


 やっぱり、僕の悩みの九割はそれだった。

 いや、九・五割はそれだ。ここ大事。


 目が覚めたら魔物に転生してて、理解が及ばないまま漠然と歩き続けて。前世の記憶が曖昧で、記憶の片隅に斃れる少女のことだって気がかりで……悩んでも悩みきれないほど色々と抱えている僕ではあるけれど、何よりも強く感じるのは『寂しさ』だ。果てしないまでの『孤独』だ。


 前世は兎だった可能性も浮上してきたわけだが、それはないと思いたい。


 とにかく、寂しいんだ。一人でいたくないんだよ。

 精神がぼっちに耐えきれないと叫んでる。助けてぇーッ……ほら。


 あー、贅沢は言わないからせめて話し相手が欲しいね。友達になりたい。いっそ家族作りたい。いますぐ子作りしたい。あれ? これ性欲じゃん。


 まぁ冗談だ。冗談じゃないのは僕のぼっちな現状。


 何も詰まってないはずの胸がぎゅってするんだ。不安になって不安になって、硬い腕で誰かの柔い手を握りたくなる。ひび割れるくらいに強く握り返して欲しくなる。少しだけで良いから、温もりを分けて欲しくなる。


 誰でも良い。

 誰でも良いから――僕を見つけて。


 涙の流れる瞳もない僕はそう思いながら、目の位置に当たる妖しい紫色の光を点滅させた。チカチカ、チカチカ。


 ほら、泣いてる。僕泣いてるよ。ねえ。ねぇねぇねぇ。

 誰にともなく姦しく訴えてみる。かまってちゃんの鎧の誕生だ。


 ガシャン、ガシャン、ガシャン――


 といっても。

 都合良く運命の女神様が微笑むわけがないことも、僕は知っている。


 世の中は不条理の川だ。

 どれだけ真面目に生きていたって、唐突に滝から叩き落とされる。怖れ行動をなくし、怠惰を貪れば川底に蓄積し数多の屍に埋もれていく。

 

 ほんと、やんなっちゃうよな。

 あーあ。僕と結ばれるはずの運命の少女あいてはいつ現れるのかなぁー。


 ガシャン、ガシャン、ガシャン――


 虚しい心の叫びを打ち消すように、硬質な金属が擦れる音が遠くまで反響する。

 こんな音でも、誰かの耳に届けばいい。


 そう願いながら、僕の目的なき旅はまだまだ続きそうである。

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