九尾の盟約と「にえ姫」(4)

 付き人の鬼たちが広間から姿を消した。鬼たちの気配が消えると、彼女は再び両親に頭を下げた。


「この度は、私を迎えいただきありがとうございます。鬼の輿こし入れをこころよく思うておらぬことは重々承知しております。身の程をわきまえ暮らす所存にございます」

「どうしてそんなことを? 誰も言っていないでしょう」


 驚いた顔であさ美が尋ねると、伊万里は気まずそうに下を向いたままチラリと壬を見た。それをあさ美は見逃さなかった。


「そう言えば、壬とはもう顔合わせしていたのね。びっくりしたわ」

「はい、昼間。とても美味しいおにぎりをいただきました」

「へえ。で、うちの壬が何か失礼なことをあなたに言ったかしら?」

「いえ、それは……」

「ふーん、言ったのね」


 あさ美がジロリと壬を睨んだ。壬は慌てて首を振った。


「え、俺なんも言ってない──」

「……どうしてここにいるのか、と言われました」

「それ?!」


 刹那、猿師がゴツンと壬の頭を叩いた。


「いてっ」

「姫、よくぞおいでくださいました」


 彼は壬を押しのけ、すっと伊万里に歩み寄った。


「話がややこしくなると思い、壬たちには何も話しておりませんでした。ゆえに失礼なことを言ったかもしれませんが、このバカ者の言葉は気にしなくて結構です」


 言いながら猿師はひざまずき、伊万里が抱えていた割れた陶器の破片をさりげなく預かり受けた。


「これは猿めが片づけておきましょう」

百日紅さるすべり先生、二月ふたつきぶりにございます」


 伊万里の顔がぱっと明るくなった。猿師はそれに軽く頷き返した。


「まずは、あの端屋敷はやしきから出られましたこと、まことに嬉しく存じます」


 すると、今までの一連の騒ぎをずっと見ていた千尋がぽつりと呟いた。


「……本当にお姫さまだ。……きれいな子」


 その言葉に反応し、伊万里がふと千尋を見た。

 伊万里はまじまじと千尋を見つめていたが、そんな自分にはっとして、慌ててすぐに頭を下げた。

 猿師がすかさず千尋を紹介した。


「丁度いい、千尋こちらへ。彼女は御前みさき神社の娘にございます。名を千尋と言います」

「──とても清らかな方なので驚きました。巫女さまですね」


 伊万里が「なるほど」と猿師に頷き返した。しかし、壬や圭、そして千尋も何が「なるほど」なのか意味が分からず眉をひそめた。


「き、清らかな方って私?」

「みだいだよ、千尋」

「年末年始にバイト稼ぎしてるだけだけどな。まあ、巫女には違いない……」

「だって、御守りはお納めの5%、巫女舞は1回五千円」


 壬があきれ顔で千尋を見た。


「荒稼ぎだな。守銭奴かよ、巫女」

「やめんか、何の話だ?」


 猿師にピシャリと言われ、壬たちはむうっと口をつぐんだ。猿師がやれやれとため息をつきながら片手で千尋を招く。


「そんなことより、千尋、ぼーっと立っとらんとこっちへ来い。明日の婚儀の礼の巫女を務めるのはおまえだぞ」

「え、私?!」


 突然の猿師からの振りに、千尋が驚いて自分自身を指さす。


「おまえ以外に誰がいる」

「いや、だって、急にそんな。あっ、だから私も今日呼ばれたの?」


 千尋は「絶対に無理」という風に両手を左右にぶんぶんと振った。そして、ひと呼吸おいてから、遠慮がちに伊万里を見た。


「それに、やっぱり変だよ。相手もいないのに結婚って……」

「また、このおよんでくだらんことを──」


 猿師があきれ顔でため息をつく。しかし千尋は、どうにも納得しかねる様子でぼそぼそと続けた。


「だって、目の前に相手がいてこそじゃない。会ったこともない、好きでもない、そんなどこの誰かも分からない人と一緒になることを今から誓うなんて、それこそ意味分かんないし」


 すると、伊万里が千尋に向き直りにっこり笑った。


「千尋さま、お気遣いありがとうございます。しかし、ご心配にはおよびません」


 伊万里が穏やかではあるが、強い口調で言った。


「私は亡き先代と九尾さまの盟約を果たすためのにえのようなもの。好きも嫌いも、二代目さま以外に誰かをお慕いすることなどあり得ませぬ」


 広間がしんっと静まり返った。千尋は理解しがたいといった様子で顔をしかめ、護やあさ美は少し困った顔をしていた。


(だから「贄姫にえひめ」なのか──)


 壬は、内心そう納得しながら、一方で目の前の彼女がまったく別の人物のように見えた。


尾振おぶで会ったときと全然違う)


 あの時の彼女はもっと自由そうに見えた。しかし、今ここで自らを「にえ」だと話す鬼姫は、まるで洗脳された兵士のような笑顔を見せている。

 と、その時、伊万里がふと何かに気づいた顔をした。彼女はすっと立ち上がると、千尋のもとへ歩み寄り彼女の頭に手を伸ばした。千尋がびくっと後ずさりした。


「な、なに?」

「じっと──」


 言って伊万里が千尋の頭を払う。壬には千尋の頭に何か付いているようには見えなかったが、かすかに何かが舞い散った、ように見えた。


「頭にムシが付いておりました」

「え、やだ。私ったら……」


 千尋が顔を真っ赤にして払われたあたりをさする。その様子が小動物の毛繕いをしているようだ。伊万里が「ふふ」と笑った。


「さすがは巫女さま。千尋さまは、人間であられるのに鬼の私が平気なのですね。人間にとってあやかしはみな敵だと聞いております」

「私は、その……、圭ちゃんや壬ちゃんと一緒に育ったから。二人と、幼なじみなんです」


 伊万里が「えっ?」と驚いた顔をした。


「幼なじみ……。まあっ、それでは──!」

「だあああっっ!」


 壬が突然大声を出した。みんなが驚いて壬を見る。


「どうした、壬」

「ななななんでもねえ!」


 言いながら壬は慌てて伊万里の腕を引っ張ると、あさ美に言った。


「おいっ、母さん。こいつ──、こいつの部屋!」

「え?」

「こいつの部屋、もう用意してんだろ。どこだ?」

「あ、ああ。ご到着してから奥の書院に……。あの部屋、そのまま姫さまの部屋にしようかと」

「書院だな、分かった。ちょっと来いっ、伊万里」


 壬がむりやり伊万里を引っ張って行く。慌てて護が呼び止めた。


「どうした壬?」

「なんでもねえ、ちょっとした事務連絡だ!」


 言って彼は伊万里を引きずるようにして大広間から連れて行った。その場にいた全員がその様子を見ながら互いに顔を見合わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る