魔術師と剣士と魔術師

「おや、あんたもかい。今日はハイキング日和かねぇ」

 宿の帳場に、ちょっと太めの腹から発せられる明るい声が響く。

 ローブの腰につけた小袋からメモを取りだそうとして、キアノスは反射的に聞き返した。

「あんた『も』って?」

「ロスミーさんだよォ。あの人ったら、アレを何やら書き写して出てったかと思うと、血相変えて戻ってきてさ。山小屋だ! 山小屋へ行くぞーっ! ……って」

 机の後ろから身を乗り出してネーサが指差したのは、宿と酒場共用の玄関……ではなく、その扉の内側にある殴り書きの絵のようなものだった。

 ロスミーとの見回り分担で夜を引いてしまい、キアノスの昼夜感覚はここ数日ですっかりずれてしまっていた。今日も太陽が天頂に達する頃に起きてきて、ようやく玄関の異変に気づいたのだった。

 墨のような黒い粉ででかでかと書かれたそれは、大きなミミズが集団でのたくっている絵に見えるが、魔術師であるキアノスにはきちんと読める。

 それは古代から伝わる文字で、魔術師たちが“呪”を記すときに今でも用いられている。日常会話ではほぼ使いわける必要のない微妙な発音の違いを、明確に表現することができるのだ。

(昨夜、僕が見回りから帰ってきた時には……あんなのなかったぞ!?)

 一読して眠気が飛んだキアノスは、慌てて部屋に戻り、青いローブに着替え、持てる限りの《触媒》を袖や帯やポケットに詰め込んでネーサを捕まえた、というわけだ。

「確かにいい天気だけど、アレは何かい? いい獲物か何かの情報かい?」

「いや、ええと……」

 内容を知っているキアノスは、物議を醸しそうなそれに触れるのをためらい、若干不自然に聞き返す。

「ロスミーさん、ハイキングって言ってました?」

「ああ、そういえばそんな感じじゃあなかったね。あれは……うん、完璧に『狩り』に行く格好さね」

「狩り……」

「そうそ。あんたたち魔術師さんじゃあるまいし、何もあんな、ケモノもまともにいない山に武装してかなくても、ねえ。……でも、颯爽と気合い入れて出かけてってさ。あっ、もしかしたら、噂の“黒い殺人鬼”でも退治しにいったのかい? いやぁ、頼もしいじゃないの!」

 ひとり喋り、ひとり感じ入るネーサに愛想笑いであわせておきながら、キアノスは振り向いて、さりげなく壁の文字を黙読した。



 中央貴族に生まれながら

 こそ泥や詐欺マガイの小悪党っぷりを

 さんざ発揮するに飽きたらず

 食うに困って

 とうとうファラ・クロウントの

 パシリと成り下がった

 

 “ロスミー・ヴィオレーン”


 ヤツの罪深き過去を知りたくば

 今日中に山小屋まで来い



 挑発的な太い文字の下には、ピンのようなもので壁に打ち込まれた黒い羽。

 これが魔術師たちの共通言語で書かれていることからして、誰が何のために書いたものか予想はつく。

(ロスミーさん、ヒドい言われようだなぁ……でも確かめないとな、どういうことか)

 キアノスはネーサから山小屋の場所を教わり、宿を出た。

 もちろん、ディナにだけは絶対に行方を知らせないでくれと念を押すのも忘れなかった。


──────────


 シェル・レーボの町を街道を背にして突っ切っていけば、ほどなく山道に入る。

 キアノスは、ネーサに教わったとおり一番高い山の頂上を目印にして真っ直ぐ森に入っていった。

 町から森へは、秋に木材の運搬に使われるという小道があるという。だが、冬場まるまる使われていなかっただけあり、さすがにこの季節は若草が生えて荒れている。

 ネーサはないと言ったが、キアノスは野生の獣と遭遇するかもしれないと警戒していた。事実、山に入って間もなく、背後の藪や木の枝がガサリと音を立てるのを幾度か聞いたように思う。しかし、その度に身構えて気配を探っても何もおらず、辺りは拍子抜けするほど平穏だった。


 町も、登ってきた道も見えなくなった頃、突然前方がひらけた。

 広々としたなだらかな草地は昼の日差しを真上から浴びて明るく、のどかな風景はキアノスに魔術学院の中庭を思い出させる。

(本を読んだり、薬草を探したり……したくなるよな……)

 ぐるりと見渡すと、宿題を思い出させるように建物の姿が見えた。

 山小屋だ。

 木材の一時的な保管場所として、また、伐採に関わる人手の生活場所として建てられた、古い木造の小屋。

 キアノスは、草地を横切って小屋へと近づいた。

 小屋の周囲には、背後の明るい黄緑色とまぶしい陽光とは別世界のように濃緑色の蔦や藪が陰を作って迫り、キアノスは急に気が重くなった。今にも傾きそうなガタガタな壁には、閉まりきっていない扉がついている。

(……閉まりきってないっていうより、閉まらないんだろうな、これ)

 キアノスは扉に軽く手をかけた。遠慮がちに少し引いてみるが、動きそうにない。

「ロスミーさぁん!」

 大きめの声で呼んでみるが、応えはない。

 山道を歩くために、キアノスはローブの裾をあげていた。臍のあたりから裾まで入った切り込みのおかげで、キアノスのローブは通常でも足が動かしやすくなっている。研究職ではなく、旅をしたり戦いに赴いたりする活動的な魔術師が好むスタイルだ。

 キアノスはさらに両膝の裏からも裾まで切れ目を入れている。戦闘時や足元の悪い道を行く時には、右・左・後ろの三方の布をベルトに挟み込めば、足まわりをズボンだけにできるのだ。

 そのローブを今一度きっちりと挟み直し、キアノスは藪の中に踏み入った。小枝が大切なローブに綻びを作るのではないかと冷や冷やしながら、苦労して小屋を一回りする。

 ガサガサと騒がしい音を立てたので、近くに何者かがいたなら気づかない訳がない。しかし、辺りは依然として静まりかえっている。

「ロスミーさぁん! いますかぁ! ……おかしいな、絶対先に来てると思ったのに」

 建て付けの悪い入り口に戻ってくると、キアノスは仕方なく扉に再度手をかけた。小屋には裏側に窓があったものの、蔦の幅広の葉に覆い尽くされて中は見えなかったのだ。

 体重を乗せて思い切り扉を引くと、あっけなく開く。

 一瞬戸惑ってから、キアノスは埃っぽく暗い室内に目を凝らした。

「……やっぱりいないのか」

 そして、扉を大きく開け放ち、小屋へ歩み入った。


 小屋は、中央に火を焚く場所が設けてあるだけで、がらんとしている。

(木材倉庫にも使うって言ってたもんな、こんなもんか)

 物もない。

 人影もない。

 酒場の倉庫と同じくらいの広さの室内には、間違いようのないほど何もない。

 入り口の対面には、さっき外から見つけた窓がある。葉をどけて開けられれば少しは明るくなるかもしれないと思い、キアノスは窓に歩み寄って手をかけた。

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