《虹の月》最初の太陽が山の間から顔を出し、森の間を細くうねる街道をなぞるように景色を柔らかい黄色に染めていく。過ごしやすい季節の始まりとはいえ、さすがにこの時間はまだ肌寒い。

 そんな中で、町の入り口には異様な熱気が立ち込めていた。

「ちょっと待ってくれよ! 本当に行っちまうのか!?」

「悪魔のような殺人鬼が近くにいるかもしれんのだろ!?」

 男たちの声は、不安と畏れで大きく揺れている。

 女たちも、同じく不安と不信の入り交じった目で男たちの輪の中を垣間見ている。

 彼らは宿屋の脇に建てられた馬小屋をばらばらと囲んでおり、その視線と叫びは等しく、馬を小屋から引きだしてくる二人の男に注がれていた。

 渦中の人物は、怒鳴り声じみた問いが聞こえているのかすら怪しいほどに無反応だった。

 馬は、がっちりとした骨格のよく鍛錬された軍用の黒馬で、衆人の中に引き出されても鼻息一つ荒げない。

 二人とも気味が悪いほどに淡々と、きびきびと、荷物を整えていく。そして微塵も表情を変えずに、最後に残った厚手の黒い織物を手に取り、手慣れた動作でばっと宙に広げた。光を全く反射しないその布は、まだ鞍をつけていない馬の背にふわりと投げかけられた。

 馬の両脇腹にくるよう両端に対称に配された紋章は、二人の黒いサーコートの背にあしらわれているそれと同じものだ。

 あっという間に馬に鞍をつけてしまうと、彼らは集まっている人々の方に顔を向けた。何気ない所作だったのだが、人々はまるで恐ろしいモノに睨みつけられたかのようにしんと静まり返った。

 二人は、布の手袋をつけた片手を馬の首筋に置くと、鏡に映したかのように揃った動作で体ごと人々に向き直った。カシャリという軽い金属同士が擦れぶつかる音がする。二人がサーコートの下に身につけている鎧の音だ。


 二人の背格好は驚くほど似かよっていた。

 装備品の細部に至るまではもちろんのこと、項に流れる鈍い鉄色の襟足、スマートな顎、微笑しているようにも引き結んでいるようにも見える唇もそっくりである。

 顔の上半分を覆うような揃いの仮面を着用しており、表情は窺えない。もっとも、例え仮面を外していたとしても、彼らは決してその内心を悟られることはなかっただろう。

 二人は、一声も発さぬままサーコートと一体化しているフードを目深に被った。

 フードの額部分に収まった漆黒の布地には、左右のすぼまった白い楕円形に赤い真円が重ねられた、大きな一つ目の紋章が浮かぶ。

 仮面にも、馬にも、サーコートの背にも描かれている、魔術師なら知らぬ者はない組織のシンボル。

 《ファラ・クロウント魔術兵団》の証である。


 凍り付いたような沈黙を破って、深い、穏やかな声が波紋のように広がっていった。

「心配は要らない。手配書がまわっているのなら、もうハンターたちが追っていることだろう」

「ご安心を。我らの耳に入ってくる報せに、あなた方の命を狙う輩のことは無かった」

 言い終えるなり滑るような所作で手綱をとり、わずかな動作で馬に合図して並んで歩ませはじめる。

 気圧されしたように彼らの前を開けた人々は、それでも納得したわけではなかった。

「そ、そんな……そうだ、殺人犯は魔術を使うっていうじゃないか! あ、あんたら、お仲間じゃないか、ほっといていいのか?」

「剣士だかハンターだかが、本当に町を守ってくれるのか?」

「そもそもあんたたちは、じゃあ何しにきたんだ!」

 二人がそれに応え、再び口を開いた。決して大きくはないその声は、沈黙の魔術のように集まった人々から音を奪う。

「我らはファラ・クロウント魔術協会から命を受け、それに従っている。逃亡中の殺人犯たる者がいれば当然捕縛するが……」

 片方の魔術兵が静まり返った人々に首を巡らし、もう片方は馬を半歩前に出す。

 そして、歩き始めると同時に言葉を継ぐ。

「……今年のレインバスト魔術学院の主席卒業生にして名簿の預かり人をレントラック中央都市まで護送する、というのが我らの本来の役目」

 町と街道を区切る、形ばかりの標識の脇まで進んだところで、彼らはぴたりと馬を止めた。

 そこには、朝陽を横顔に受けて今まさに到着したばかりの新たな人影があった。

 呆然とした顔で佇んでいる、赤いローブに身を包んだ姉妹。

 そして、黒いロングコートに肩掛けの鞄を携えた青年。


「さて……お待ちしておりました。参りましょう、シウル・ノシュキィ殿」


 人々の耳に残った柔らかな声が完全に消えた頃には、二人の魔術兵と三人の魔術師の姿も街道から消えていた――



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