「まったく最後までお騒がせな子だ。とにかく、これをやるから一度戻りな!」

 リーンは箱の山から、キアノスに授けたものと同じような箱を抜き取って、ディナにぐいぐい押し付けた。

 ディナの顔から、一瞬笑顔が消える。祈るようにぎゅっと目を閉じて唇を噛むと、キッと箱の蓋を投げ捨てて中身を掴み出した。

 ディナの両手に掲げられたのは、鮮やかな真紅のローブ。しかし、その常軌を逸したデザインにキアノスは再び呆然と口を開いた。


 元は、幅広の袖と踝まである裾をもち、ウエストをベルトで絞る、ごく普通のローブだったのだろう。

 今、ディナが大きくひと振りで広げたそれは、もはや原型をとどめていない。

 裾の左右には腰近くまでの大胆なスリットが入り、前半分が腿の中央あたりの高さで切り落とされている。肩口からばっさりと切り離された袖は、切り口から繋がった細いベルトで上腕に固定するようになっている。あちこちに金のリングが取りつけられているが、一体何に使うのだろうか。しかも、胸元は大きく五角形を描くように開いているのだ。

「ぃやったぁ、念願の赤ローブ!! 先生大好き! ありがとう!!」

「どうせお前は、伝統的なローブをやってもちゃんと着ないだろ? 滅茶苦茶な改造をされる前に手を加えたよ。規定は満たしているから安心しな」

「うんうん! 先生ってば、わかってるぅ!」

 珍妙なローブを抱きしめて頬を擦りつけていたディナは、ふと、真新しい宝物を自分と恩師以外の目が見つめていることに気づいた。

 ローブ越しに、キアノスに剣呑な視線を送ってみせる。

「ちょっと。アンタもローブ貰ったんでしょ。何色?」

 突然降りかかった災難に、キアノスは息を詰まらせた。すんなりと色を口にすることができなかった自分に、リーンの言っていた「不満じゃないのか」という問いかけが持つ意味を知る。

「ええと、ローブは……その、青……なんだけど、ちょっと暗くて、なんて言えばいいのかな……濃い青なんだけど……」

「あ青ぉ!? うわぁ! アンタはぐれ魔……いたたッ!」

 すっ頓狂な声を出したディナの頭に、リーンが拳骨を落とす。

「一人前の魔術師の大切な身の証を腐す気か、お前は!」

「違うもん、はぐれだけどカッコイイって言おうと思ったんだもん!」

「なにが『もん!』だ。この子は授業で習う範囲の技なら誰にも負けない、器用なヤツだよ。はぐれ? 私の自慢の生徒にケチつけるんじゃない」

「えー!? 意外! じゃあ、このヒョロヒョロが今年の主席ってわけ?」

 失礼なことをディナは平然と、ついでにものすごく残念そうな顔で言ってのけた。

 リーンが苦笑いを浮かべる。

「いや、色々と事情があってね。主席はお前の組の……」

「わかってるって! 魔術師たるもの、《共有魔術トランシェント》がソコソコできるだけじゃダメだよね。やっぱ魅力っていうかぁ、魔術師……いや、人間として周りを惹きつけるチカラがぁ……」

「……そうだな、お前のそのカラッポ頭と子供っぽい言動じゃ、どちらもムリだ」

 むぅ、とむくれたディナの顔を人差し指でツンと突き、リーンは大笑した。


 天井から吊られたランプが無風の室内で大きく揺らぎ、時を告げる。

 リーンはひと呼吸で笑みを消すと、ディナの両肩に手を置いて声低く語りかけた。

「ディナ、お前は勢いで卒業したようなものだ。昨日の試験も、いろんな意味で壊滅的だったしね。だが、お前自身の《カウェル》の圧倒的な強さは疑うべくも無いんだよ。基礎クラスの時からレドゥ先生が言っていたぞ、『あの子はもう少し我が身を知るべきだ』って。私は少しどころではないと、思っているのだが」

 無言のままキュッと目を吊り上げたディナの横顔を、キアノスはじっと見ていた。

「生まれ故郷を探す旅にでも出たらどうだ? ま、無理にとは言わないがね」

「…………考えてみる」

 沈黙の後にポツリと呟いたディナの声は、ローブの衣擦れの音にも負けるくらい細かった。

「とか言っても、ゼーンゼン見当もつかないからどうしようもないんだけどねっ!」

 いきなり声を張り上げて、胸にローブを抱えたままくるりと一回転するディナ。それが、さりげなく肩から師の手を外すためだったことに、リーンは気づかぬふりをした。


「ねぇ先生、ソレよりさ。な・に・か、忘れてなぁい?」

 ディナが体ごとリーンに向き直ると、赤く長い髪が宙に綺麗な弧を描く。

「なーまーえ! あたしの魔術師としての名前。貰えるんでしょ?」

「呆れた。そういう話は後だと言ったろう? 浮かれているのはわかるが、キアノスの邪魔をしている自覚がないのかい」

 ディナはキッと首を振り、キアノスを睨んだ。

「まさかアンタ、か弱い乙女を足蹴にしといてオマケに邪魔だとか言うつもりじゃ……ないよね?」

 うっかりと目を合わせてしまったキアノスは、慌てて一歩下がろうとして壁に踵をしこたまぶつけてしまう。

「邪魔だとまでは……い、いや、その前に足蹴にはしてな……」

「邪魔じゃないってさ、先生!」

「あ、でも僕も先生に聞きたいことがあるし、後にしてもらえたら助かるなぁ……ほら、その方が君も先生とゆっくり話……」

「何か、言った?」

 キアノスの力無い言葉は、ディナの圧を含んだ声の前に散った。

「あぁ、あたしの名前、どんなかなぁ! “真紅の貴人”とか、“紅蓮の救世主”とか……“炎の乙女戦士”とか!!」

「先生、僕の卒業……」

「あーもう、喧しいわ!!」

 ハイ・ヒールが床を打ちつける高い音。

「ディナ、夢を見るのもいい加減にしろ!」

「先生! あたし、もしや“個人紋章エンブレム”も貰えちゃいそう?」

「もしやもモヤシもない!! いいかディナ、お前の名前なんぞ……そうだな、“バーナー”で十分だ!!」

「バーナー!? ひ、ひっど!!」

 その時、窓を締め切ってあるはずの研究室の空気が大きく揺らいだ。凍るような低い声がディナの背に刺さる。

「いい名を貰ったな、“バーナー”・セラルーテ。私もその名でお前の卒業を祝福しよう。さて、その前に……昨日の始末をどうしていただこうか」

 足音もなく研究室の入り口を塞いだ、墨黒のシルエット。

「げっ、ラクタス先生! や、あの、部屋を間違えて、うっかりリーン先生のとこに来ちゃっただけで……いや、せ、先生のトコには後でちゃんと行こうと思っ……」

「出立の夜半まで時間がある。言い訳はゆっくり聞いてあげよう。お前が黒焦げにした試験室を綺麗に掃除してからな!」

 ラクタスの鏡のような瞳に、ディナの抱える赤いローブが仄かに映っている。

「うげ! ちょっ、ちゃんと行くつもりだったの! ホントに! い、今はリーン先生とあたしの未来について語り合って……」

「リーン、邪魔をした」

「うわ、た、助けてーッ!!」

 真新しいローブをしっかりと抱いたまま肩口を鷲掴みにされて連れていかれるディナの叫び声は、かなりの間聞こえていた。

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