第34話 耳かきすれば見えてくる?
「でも王都に住んでないならならなぜここに?」
俺が尋ねると男は難しい顔で肩をすくめた。
「うん、まあちょっと野暮用でね」
そう言ってから何かを思い出したように手を打ち合わせる。
「そうだ。最近続いている失踪事件について何か知らない?」
「失踪事件?」
俺が首を傾げるかたわらでフローリアが眉をひそめた。
「魔術学院の生徒のですか?」
「そうそれ。なにか知ってる?」
男が途端に表情を引きしめて尋ねる。
「いいえ。存在を知ってるだけで詳しいことは何も」
残念そうに肩を落とす男。
「そうか。私はちょっとそれについて調べていてね。君たちは頼りになりそうだから是非協力してほしいんだが、どうだろう? もちろん報酬も出す」
男は真面目な顔で言って、俺に向けて右手を差し出してくる。
しかし俺は首を横に振った。
「あいにく、学院には恨みがあるんでね。やつらを助けるのに手を貸すのなんてまっぴらごめんだ」
「それは残念だ」
男は大きく息を吐きだして眉を垂らした。
「それに今はこれの犯人を追いかけるので忙しい」
言って俺はステラの腹を指差す。男は首を傾けてから哀れむように目を細めた。
「……強姦か」
「違います!」
ステラが勢い込んでツッコミを入れた。
……うん、確かに紛らわしい言い方をしてしまった。腹が膨らんでいて「犯人」ときたら、そりゃ強姦とか不倫で妊娠したみたいな話になるわな。
「いや、そうじゃなくて……」
簡単に経緯を説明する。
男は得心したようで、2度繰り返しうなずいた。
「なるほど。目的は犯人を懲らしめること?」
「まあ見つけられれば当然とっちめるが……こっちがしょうもないドジ踏んだのも確かだしな。治す方法さえわかれば最悪犯人は見つからなくてもいい」
それを聞いた男はにっこりと笑って懐から小瓶を取り出した。
「それならこれをあげよう」
「なんだそれは」
「これはね――」
「――王家の印章が入った万能薬!?」
フローリアが割り込むように素っ頓狂な声を上げていた。
俺は説明を求めてフローリアに視線をやる。
「え、えっと……王宮付きの魔術師にしか調合できない、ものすごく高価で貴重だけどほぼどんな病気でも治せると言われてる薬ですよ」
「多分それにも効くよ。呪いというほどのものじゃなさそうだしね」
「……いや、怪しいやつに腹を膨らまされたのに怪しい男からもらった薬飲ませるわけないだろうが」
俺が呆れつつ言うのをよそに、フローリアはそれを受け取るとなぜか太陽に向けてかざしてみせた。
「いえ……大丈夫です。日に当てると印章が虹色に輝きます。本物の証拠です。それに栓の封印もついたままですから中身のすり替えもない。信用していいかと」
「……ほーう」
王家の印章。本物。それはそれで聞き捨てならないな。こいつが王族なら、今まで同じ空気を吸わされていたことへの礼をたっぷりしてやらないといけない。
「お前、何者だ?」
「頼もしい殺気だ。ますます協力してもらえないのが惜しいね」
「御託はいいから答えろ」
俺が詰め寄ると男は肩をすくめた。
「別に、ただの一般人だよ。これは昔ちょっと王家と仕事をしたときにもらっただけだ。この際だからはっきり言っておくが、王家は嫌いだよ」
「……まあ、今回のところは信用してやろう」
実際薬をもらえるのは助かる。これ以上追及して確実に真偽を確かめる方法があるわけでもないしな。見逃してやってもいいだろう。
「ありがとう。それじゃあ私はもう行くよ」
それだけ言い残し、男は片手を上げながら俺たちの前を去っていった。
「うーん、今の人どこかで見たような……」
その後ろ姿を見ながら、フローリアがつぶやいていた。
それからすぐ、ステラにその薬を飲ませてみた。
瞬く間に腹が元通りになったどころか、「今まで生きてきた中で一番体が軽い」と言いながらぴょんぴょん飛び跳ねだすくらいだった。飛び跳ねてないといられなくなる呪いをかけられたのではないかと、一周回って心配したくらいだ。
犯人はぶっ飛ばしてやりたいが、そんな小物のために王都を奔走させられるのも不愉快極まりない。どこかでそれらしいのを見かけたら拷問にかけるくらいでいいだろう。
ステラとフローリアも概ね同意見だったため、俺たちはそのまま帰路についた。
ステラ懐妊疑惑騒動から数日後。
気づけばステラと王都で二人暮らしを始めてから1週間以上が経っていた。
朝、俺はステラの近寄る気配を感じて目を覚ます。
「あ、新記録! 部屋に入って3歩も近づけたわ!」
大あくびして擦った目でステラのはしゃぐ顔を見る。
「ふふ、私も隠密行動が上達してきたのかしら」
「いやそれは……」
多分、俺のステラに対する警戒心が限りなくゼロに近づきつつあるということなんだろうと思う。外敵もしくは潜在的な外敵というカテゴリーからほとんど外れ、近くにいるのが当たり前の存在になってきた。
「それは?」
「……いや、なんでもない」
なんだろう。よくわからないが、それを説明するのが妙に恥ずかしいことのように思われた。別にただの客観的事実にすぎないはずなんだがな。
「そう? もう朝ごはんできてるよ。食べる?」
「ああ、いただこう」
ステラの料理の腕はめきめき上達していた。作るのにかかる時間はもちろん、味の方もおそらくどんどん改善されている。あくまで俺の主観なので一般的にどうかはわからないが。
「んー」
ぐっと伸びをして深呼吸をすると、パンとバターの香ばしい匂いにが鼻腔に流れ込んでくる。腹の虫が鳴るのを聞きながらベッドを出た。
「ごちそうさまでした」
言って「ふう」と満足の息を吐き出す。
ふと顔を上げてみると、なぜかステラがそわそわした様子で俺を見ていた。
「なんだ?」
「あっ、えっとね……ベルガは耳掃除ってされたことある?」
みみそうじ……耳掃除?
「耳で部屋でも掃除するのか?」
「難易度たっか!」
「いや、そういう拷問なのかと」
人を横向きに寝かせてそのままあちこち引き回す。あたかも耳でほうきでもかけているかのような絵面からそう呼ばれている、とか。
「発想がいちいち物騒すぎるわ……」
「本当はなんなんだ?」
俺が尋ねると、ステラが1本の棒きれを俺の前に突き出してきた。
「こういうのを使って、耳の中を掃除するの」
「ああ、耳が掃除される方か」
「そう。知らない?」
「されたことも聞いたこともない」
多分それ以外にも一般家庭で行われてることの中で聞いたこともないようなことがたくさんあるんだろう。普通のやつと接する機会はあったが、さすがに「昨日耳かきしてもらったぜ」とかいきなり言ってくるやつはそう多くないと思う。
「あ、でもそんなに誰も彼もがやってるわけでもないみたい。私も本で読んで知っただけだし」
「必要性を感じたこともないからな。体質とかにもよるのかもしれないが」
「試しにやってみない? うまくやると結構気持ちいいみたいよ」
「いや、俺は別に……」
と手を振ろうとしたところでステラの目が輝いているのに気づく。
「……やりたいのか?」
ステラがコクコクとうなずく。
……なんで好きこのんで掃除なんてしたいと思うんだ。しかも他人の耳を。
「まあ別にいいが……」
「本当!?」
ステラの目が輝きをまして表情をぱあっと明るくする。
「俺は何をすればいいんだ?」
「じゃあこっち来て!」
ステラは席を立つと談話室の方に向かった。
数分後。
俺は談話室のソファに腰掛けたステラの膝の上に頭を乗せて寝そべっていた。
「……なあ、この体勢じゃないと駄目なのか?」
「そういうものらしいよ。実際立ってやるのも難しいでしょ?」
「それはそうかもしれないが」
さすがの俺も、この状況が恥ずかしいものであることはわかる。それはお互いさまというか、むしろ股間の至近距離に俺の顔を置いているステラの方が恥ずかしい気がするんだが、当人は多少頬を染めているだけで楽しげだ。
「じゃあ始めるね。痛かったらすぐ言ってね」
「…ああ」
俺が応じると、先程の棒が耳の中に侵入してくる。とりあえず観念して目を伏せる。
視覚を遮断してみると、自然と嗅覚と皮膚の感覚が研ぎ澄まされた。頬には柔らかい太ももの感触。鼻からは清潔感のあるいい匂い。妙に心拍数があがるのに戸惑う。
……まあそのうち慣れるだろう。何か害があるわけでなし。気が済むまでやらせてやればいい。
などと思っていたそのときだった。
「――はうっ」
棒きれの先が軽く撫でるように耳の中をこすった瞬間、そんな情けない声が出てしまっていた。
ステラの手が止まる。
俺は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「…………」
「…………」
無言の気まずい空間が出来上がる。
とりあえず俺は一度深呼吸してから険しく眉根を寄せた。
「よくもやってくれたな」
「ええっ!?」
羞恥心は強引にごまかすに限る。
「同じ目に遭わせてやる」
「私が悪いの!?」
「さあここに寝ろ」
俺は体を起こしてソファに座ると、自分の太ももをパシパシ叩いた。
当惑していたステラだったが、やがて何かに思い至ったように目を見開いた。そしてニタニタと気味の悪い笑みを浮かべながら体をくねらせた。
「も、もー、そこまで言うならしょうがないなー」
ステラはなぜか棒読み気味にそう言って、緊張を紛らわすように着衣を整える。
よくわからないが今は自分の醜態を忘れるのに精一杯なのでどうでもいい。
ステラはごくりと喉を鳴らしてから、ゆっくりと体を傾け始める。たっぷり5秒ほどかけ、ステラの側頭部が俺の膝の上に着地した。
「よし、じゃあ……」
「ちょっ、ちょっと待って!」
棒きれを受け取ろうとしたところでステラに制止される。
「なんだ?」
「あ、あの、ちょっとだけ……10秒だけこのままでいてもいい?」
「ふっ、せいぜい辞世の句でも考えるがいい」
絶対に俺より情けない声を出させてやる。恥ずかしさで死にたくなるほどまで追い込んでやれば、俺のさっきの声程度はなかったことにできるだろう。
ちょうど10秒経ったところで、ステラがちらりと顔をこちらに向ける。目が合った瞬間、赤い顔はすぐさまそっぽを向いた。
「覚悟はいいか?」
「は、はい……」
なぜかかしこまっているステラから棒きれを奪うように受け取ると、俺はそれをステラの左の耳に差し入れた。
そして俺がそうされたように、耳に触れるか触れないかの微妙な距離感で耳の中をかいていく。
「あっ、ん……ふぁ……」
「…………」
「う、や……んっ……」
「…………」
「あふっ……ん、はぁ……」
「…………」
俺は手を止めた。止めざるを得なかった。
「やめっ、はい、やめ!」
俺は棒きれを引き抜いて言うと、肩をわしづかみにして無理やりステラの体を起こした。
「えっ、どうしたの?」
「どうもしない! どうもしないが、以上!」
ステラは強引に話を打ち切ろうとする俺を、小首をかしげて俺を見上げていた。
俺は眉間に深いしわを刻んで唸っていた。
なんだ。なんなんだ。この妙にそわそわする感覚はなんだ。さっきからずっとちりちりとくすぶっていたものが、無視できないほどまで大きくなった。
「…………」
――まさか、ステラを意識してる……? 俺が? 世の中の人間が、男がそうするように?
「いやいやいや」
それはない。それは違うはずだ。
山の中では用を足すステラの恥ずかしい格好を見たときだってそんなことこれぽっちも思わなかったわけだし、そういうのではないだろう。
あれだ、ステラが情けない声を出すのを客観的に見てしまったことで、さっき自分がどれだけ恥ずかしい状態だったかを再認識してしまったんだろう。それで妙にそわそわするんだな。多分そういうことだ。
……うん、そうに違いない。
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