第19話 腹黒より腹が立つ

 王都を囲う城壁を越えるための検問は、フローリアの顔パスで一瞬で通過することができた。一応身構えていたのが馬鹿馬鹿しくなるほどスムーズな、追放者の王都侵入となったわけである。

 当たり前だが風景は前と変わらない。気持ち悪いほど整った町並みに、気持ち悪いほど整った顔と服装の連中。恐怖に泣き叫ぶ住民が街を荒らし回りながら逃げ惑う姿を想像すると、多少は気が紛れるという程度だ。

 そうしてフローリアに連れられてやってきたのは、もうそこら中に唾を吐き散らかしてやりたくなるようなギラギラツヤツヤピカピカの大豪邸だった。

 

「おええっ」


 フローリアの父親のもとへ向かう廊下で、俺は唾の代わりに胃の中のあれこれを召喚した。

 

「うわあっ」


 何事かと振り返ったフローリアが飛び退って驚きを露わにした。


「悪いな。きれいなものを見ると汚したくなる性分なんだ」

 

 嘘ではないが、今回のは単に馬車酔いと虫唾の走る建物や人のせいでこみ上げた吐き気をこらえきれなかっただけである。あと目の前の腹黒女へのちょっとした仕返しという側面もある。


「ああ、気持ちはわかります」


 わかられてしまった。

 

「どうせ使用人が掃除しますからお構いなく」

「それは残念」


 フローリアが驚いたのは一瞬だけで、その後はすぐにいつも通りの平静を取り戻していた。嫌がらせとしては大した効果を持たなかったようだ。本当に残念。

 それからさらに少し廊下を進んでから、フローリアはいかにも格調高い意匠を施された木製の扉の前で立ち止まった。

 そしてかなり乱暴な手付きでドアをノックする。

 

「……フローリア、ノックはもう少し静かになさい」

 

 部屋の中からよく通る低い声が返ってくる。

 フローリアは応える代わりに拳を握った。


 ――ドガガガガッ!


「……おい、それはもはやノックというよりパンチなんじゃないのか?」


 俺は思わずツッコミを入れていた。


「そうですね。パンチについては静かにしろと言われませんでしたので」


 こともなげに言い放つフローリア。家の中では猫をかぶる気はかけらもないらしい。というか、今までで一番黒い気がする。もしかするとこいつの黒い本性の根源は父親相手に育まれたものなのかもしれない。

 しかし、この言い草と態度に妙に親近感を覚えてしまうのはなぜだろう。

 

「ん? 客がいるのか?」

「ええ、私の夫候補が」


 フローリアが答えると、一瞬部屋の中から一切の音が消えた。

 

「夫? お前がか?」

「自分の目でお確かめになればよろしいのでは?」

「……いや、悪い。正直お前は独り身で天寿をまっとうするか、私が無理に縁談をまとめたのに抗議して死ぬかのどちらかだと思っていたのでな」


 そんな発言と共に足音が扉の方に近づいてくる。

 

「そんなお前を受け入れてくれる上に、偏食家のお前が気に入るとなると、それはもう王国の中でも1、2を争うほどの好青年なのでは――」


 父親と思われる人物がしゃべりながら扉を開けて顔を出す。

 俺と同じくらいの背丈で白髪混じりの男と目が合った瞬間、俺はありったけの邪悪を込めて唇を歪めた。

 

「ごきげんよう、クソ貴族様」

「……類が友を呼んだパターンか」


 目を伏せた父親は、たった今見聞きしたものをなかったことにするかのように、扉をそっと閉めた。

 そしてしばらく黙り込んだあと、ドア越しに一言声をかけてきた。

 

「出て行け」

「喜んで」

「――ステラさんは見捨てるのですか?」


 踵を返そうとした俺は足を止め、隣の腹黒女をにらみつけた。

 

「お父様、先程はただ『夫』とだけ言いましたが、私は嫁にいくつもりは毛頭ありません」

「――なんだと?」


 聞こえた声は先程までとは別の人間のものだった。父親よりもいくらか若く聞こえる張りのある声。

 

「なんだ、お兄様もいらっしゃったのですね。でしたら話が早い」

「ああ、中に入れよ」


 この声の主が現『竜卓十六鱗家』最強とも噂されるフローリアの兄上殿というわけか。

 促されたフローリアはドアを開け放ち、遠慮も躊躇もなく中に踏み込む。

 さきほど出てきた父親はドアのすぐそばに、奥の立派なデスクの前に兄と思しき金髪の青年が立っていた。

 フローリアの兄は俺を認めるとゆったりとした足取りでこちらに歩み寄ってきて、値踏みするように俺を上から下までぶしつけにながめまわした。

 

「妙な気配をしてやがる。どちらかというと魔獣に近いなこれは」


 わりと的を射た洞察と言っていいだろう。侮辱のつもりで言ってるんだろうが、人間らしいと言われるよりは何倍も光栄だ。

 

「おい、俺はこの女に連れを誘拐されて脅されてるんだ。お前らも俺みたいなのを家族にしたくないだろ? さっさとこの腹黒娘を説き伏せたらどうだ」


 俺があけっぴろげに言うと、兄上殿はにらむように目を細めた。


「つまり何か? フローリアはそんな面倒なことをしてまで、お前を婿養子にして争わせようとしていると? お前にはそれだけ見込みがあると?」

「ええ、察しのよさはお兄様の唯一の美徳ですね」


 フローリアは兄にも当然のように噛み付く。

 兄の方はさして気にした様子もなく無表情でフローリアを見つめていたが、そのうち笑いをこらえきれなくなたように大きな笑い声を上げた。

 

「ははははっ、フローリア、お前もとうとう頭がおかしくなったか! 勝ち目のない勝負に挑むためにそんなチンピラ風情を伴侶に選ぶとは! おとなしく自分を拾ってくれる奇特な王子様でも探していれば、女としての幸せだけは手に入ったかもしれないものを」


 フローリアの兄の癇に障る笑い声が収まったあと、フローリアは露骨に1度舌打ちして兄をにらんだ。


「失礼な。ベルガさんはかっこいい人ですよ。お兄様と違って」


 フローリアが真顔で言うと、部屋が空気ごと固まった。

 兄は眉根を寄せて父の耳元に顔を寄せた。

 

「……父上、僕は素のフローリアが人を褒めるのを初めて聞いた気がします」

「私の知る限りでもそうだな。案外当主の妻の座を狙っての結婚というのは建前かもしれん」


 内緒話でもするような仕草で、まる聞こえの会話をするフローリアの父と兄。


「た、建前などではありません。第一の目的は当主の妻の座。単に伴侶とするのに申し分ないというくらいには見どころがあるというだけのことです」


 フローリアが気色ばんで身を乗り出す。父親と兄は、にやにやと意地の悪さを窺わせる目で俺とフローリアを見ながら口を開く。


「わかったわかった。俺も一応お前の兄だからな。妹が自分の幸せを見つけてくれたことは素直に喜ばしい。だから心配するな。決闘のときは手加減してやる」

「そうだな。とりあえず今日は夕食でもとりながら一緒に話そうではないか」


 なんか妙な話になってきたな。フローリアを説得してもらおうと思っていたら、いつの間にか俺とフローリアの結婚を後押しするような流れになっている。

 どうしてこうなった。

 

「ああ、そうだ」


 兄が何かを思い出したように手を打つ。

 

「決闘のときどれくら手加減すればいいか知りたいから、『試金の石塔』で君の実力を見せてもらうことにしよう。ついてきてくれ」


 そう言いながら俺たちの横を通り抜けて部屋を出た。俺とフローリアは顔を見合わせてから、とりあえずそれについていくことにした。

 

 

 やってきたのはこれまた無駄に広い庭の一角。

 そこには縦に長い塔のような岩が置いてあった。高さが俺の背丈の4倍近くで、俺がちょうど抱きしめられるくらいの太さのだった。

 

「これはウォズライン家に伝わる『試金の石塔』。この岩は魔力を注ぎ込むと青白く発光する。ただし魔力を通しづらい岩であるため、この岩全体を光らせるのは並大抵のことじゃない。少なくともすべてを光らせたのは僕が初めてだ」


 自分の胸に手を当てて自慢げに語るフローリアの兄。さっきとった鼻クソの大きさを聞かされるよりも退屈だった。

 

「さあ、君の実力を見せてくれ。ああ、少ししか光らなくても落ち込むことはないさ。普通なら触れた手の大きさより少し大きいくらいの範囲が光れば上等なんだ」

「……やらないと駄目か?」


 説明の通りなら魔力のない俺がやって光るわけがない。そんな無駄なことはしたくないんだが。

 

「ああ、是非やっておいてくれ。僕も加減を誤って妹の想い人を殺したくない」


 いらんお世話ではあるが、やっても無駄であることをこの場で証明するには言う通りにしてやった方が早く話が済むだろう。

 

「はいはい……っと」


 俺はゴツゴツした岩の表面に手を載せて適当に力を込めるふりをする。

 

「どうした? 魔力を込めるんだぞ?」

「残念だがこれで全力だ。というか俺には魔力がない」


 俺が岩から手を離して肩をすくめると、フローリアの兄はぽかんと口を半開きにして固まり、そのままじっと俺を見つめた。

 そして数秒後、火山でも噴火したかのような勢いで大笑いし始めた。

 

「ない!? 魔力がないだって!? はははっ、あはははっ! それは傑作だ。とすると君、実はとんでもなくロマンチックな王子様だったりするわけだな? じゃなきゃいくらなんでも無魔力の人間と結婚しようなんて……くははははっ!」

 

 腰をくの字に折ったフローリアの兄は、庭を笑い転げたい衝動を必死にこらえているといった風だった。

 なんというか、腹が立つというより呆れる。こんな油断と慢心の権化のようなやつが今の王国最強クラスというのは、あまりに嘆かわしいことだ。

 さぞご立派な魔導武器をお持ちなんだろうが、さすがにもう少しくらいは知性と警戒心というものを持った方がいいと思う。

 

「――ふッ」


 軽く、しかし余人の目、特に過信にくもった人間の目には決して留まらぬような速さで後ろ回し蹴りを繰り出す。

 鈍い打撃音。一瞬の後、石塔はゆっくりとその身を庭の芝生の上に横たえた。

 

「……は? 今、何が?」


 フローリアの兄は間抜け面で目を瞬かせていた。

 

「さあ、風でも吹いたんじゃないか?」

「ば、馬鹿を言え! ここ数分はそよ風だって吹いていない!」

「じゃあお前の理解の外側にある不思議な力が働いたんだろ。油断を突かれて負ける前に勉強になってよかったな」


 俺がにやりと笑うと、フローリアの兄は眉間にしわを刻んだ。


「ど、どういう意味だ……? まさかお前がやったのか?」

「そうだと言ったら信じるのか?」

「い、いや、信じられないが……」

「じゃあ聞いても無駄だろ。ああ、そうだ。今度は料理人のところに案内してくれ。夕食に肉料理をリクエストしたい」

 

 せっかく金のありあまってそうな家で飯を食うんだ。好き放題わがままを言ってこいつらがうんざりするまで食いまくってやる。それがこの家のゴミどもどもへのせめてもの嫌がらせだ。

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