第10話 魔王ちゃんは人を殺したい(?)

 ステラが鹿の肉を食べ終えたところで、俺は気になっていた話題を振ってみることにした。

 

「そういえばちゃんと魔王になるって言ってたが」

「ええ」

「具体的に、どんな魔王になるつもりなんだ?」


 ステラは質問の意図がわからないという風に首を傾げた。

 

「具体的にって?」

「うーん……強いて言えば公約? 魔王でもなんでも、王になるっていうなら目指すべき国の理念ってものが要るだろ」

「それは……そうよね」


 口元に手を当てて考え込むように低く唸るステラ。

 

「まだはっきりと決まってるわけじゃないけど……」

「それでもいい」

「うん、私は魔族が人間と仲よくなれるような国にしたいと思ってるわ」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あの、ベルガ? なんか今にも一国を滅ぼしそうな鬼の形相になってるけど」

「そうか。それは気づかなかった」


 俺は自分の頬を両手で挟んでこねて表情の険を和らげようとする。

 

「どうだ?」

「……今にも世界をまるごと滅ぼしそうな悪魔の形相になったわ」

「よし、改善されてるな」

「どこが!?」

「一国を滅ぼすより世界を滅ぼす方が悪事としては上に決まってるだろ。悪ければ悪いほどいいんだから改善だ」

「ややこしいわよ!」


 まあそれはおいといてあまり感情を表に出すと小物っぽいからな。なるべく控えた方がいいだろう。まだまだ修行が足りないということだな。

 

「……それで、なんでそんな顔するの? 私変なこと言った?」

「そりゃな。だって魔王だぞ? 人間と仲のいい魔王なんかいてたまるか」

「…………」

「…………」

「…………」

「……おい、ステラ。なんでそんな世界が滅んだみたいな顔してるんだ」


 俺が問うと、今にも涙が溢れそうなまぶたと唇を震わせたステラが言う。


「……私とベルガは仲よくなれないの?」

「え? なんで?」

「だって私は魔王でベルガは人間じゃない」


 ステラは自分と俺をそれぞれを指さしながら言う。俺は頓珍漢なことを言うステラに首を傾げざるを得なかった。

 

「……俺がいつ人間になった?」 

「……え? 言ってる意味がよくわからないけど、それはあなたが生まれたときなんじゃない?」


 いや、生まれてこの方俺が人間だったことなんて……って、そういえばそうだっけか。言われてみれば俺も一応は人間だった。人間らしく生きた覚えもなかったし、王国を滅ぼすと決めて以来すっかり忘れていた。

 

「それはそうだな。でも俺はもう人間なんかじゃない」


 改めて否定すると、ステラはますます困惑を深めて小さく首を傾けた。


「え? ええと、それは……もう人間としての自分は捨てたって意味?」

「俺はそのつもりだ。俺は人間の敵。つまり人間ではない。だから魔王であるお前の側につくと言った」

「な、なるほど……」


 ステラはあごに手を当てて難しい顔になった。そして自分の出した結論が正しいことを確認するように何度かうなずいてから、期待に満ちた視線を俺に送る。

 

「つまり……ベルガは人間じゃないから魔王である私とも仲よくなれる?」

「それはお互いの相性によるだろ」

「人間の敵であるベルガが相手に求める気質は、同じく人間の敵であることってことでいいのよね?」

「人間を敵視していればしているほどいいな」


 ステラの表情が、曇り空に差す晴れ間のように一気に明るくなった。


「よしっ! 殺しましょう! じゃんじゃん殺しちゃいましょう、人間!」


 ステラは太陽の笑顔で立ち上がり、高々と拳を突き上げた。

 

「おお、その意気だ!」

「ええ、私頑張るわ!」


 それから俺たちは、日が暮れるまで和気あいあいと人類滅亡談義に花を咲かせた。

 

 

「本当に大丈夫か?」

「と、とりあえず今日はいい考えが思いつかなかったししょうがないわ」


 月明かりを残すばかりとなった闇夜の中、木の葉のベッドの寝心地を確かめているステラに木の上から声をかけると、ステラは硬い声でそう答えた。

 ちなみにステラがさっき建てた東屋的な何かは、強風に煽られて跡形もなく森の彼方に消えた。

 

「そうか。じゃあおやすみ」

「う、うん。おやすみ」


 俺は太めの木の枝に腰を下ろして幹に背を預けた状態で、ステラは申し訳程度の柔らかさの木の葉の上に横になる。

 そうして、俺の今までで最も慌ただしい1日は幕を閉じた。

 

 

 ……かと思ったのだが、幕は閉じてはいなかった。

 俺が木の葉のこすれるかすかな音で目を覚ましたのは、おそらく俺が眠りについてから2時間ほどが経ったころだった。

 ふと見下ろしてみると、木の葉のベッドの上にステラの姿がなかった。

 魔獣か何かに襲われたのなら俺が気づかないわけはない。だから自分で起きてどこかに行ってるだけなんだろうが、それはそれで夜闇の中では不用意だし危険だ。

 俺はすぐに木の上から飛び降りて周囲の気配を探る。近くにステラの気配らしきものを見つけたので早足で近づいていく。

 

「おい、ステラ?」

「えっ!? きゃっ、いや、やだ!!」


 ステラが悲鳴をあげた。

 ――なんだ? 何が起きた? 敵襲?

 慌てて気配の方に近づいていくと、そこには大きめの木の陰にしゃがみ込むステラの姿があった。

 

「やっ、ダメ! 来ないで!」

「は? どうし――」


 ステラの拒絶に構わず近寄っていった俺は途中で足と口を止めた。そしてほんの一瞬だけ硬直してから、すぐにその場で高速で反転した。

 ステラはそこで何をしていたのか。その答えは……草むらにしゃがみこんで……その、ええと……なんというか、まあ……とにかく水の流れるような音が聞こえるあれだ。

 少ししてその音が止んだところで、俺は恐る恐る声をかけた。

 

「……終わったか?」

「音聞かないでよバカぁ……!!」


 確かに音が止んだ直後に声をかけるのは「音はしっかり聞いてました」と宣言するようなものだな。

 うん、さすがの俺も、用を足しているところを見られたり聞かれたりするのが好きな女の子が少数派なのは知っている。

 今後は気をつけよう。いや、この教訓を使う機会が今後訪れるかどうかはわからないが。

 とりあえずそれ以上は何も言わずにステラを待っていると、衣擦れの音が聞こえてすぐステラの気配がこちらに近寄ってきた。肩を力強く握られて振り向くと、怒りと羞恥で今にも破裂しそうになっているステラの顔があった。

 

「ど、どこまで見た……?」

「……まあ、少なくとも、何をしてるか常識のない俺が瞬時に理解してしまうようなところまでは」

「全部ってことよね!」

「否定はしない」

「うわああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁああああんっ!」


 ステラは波打つような悲鳴を上げながら、顔を両手で覆い隠してしゃがみこんだ。


「すまん」

「もうお嫁に行けないっ!」


 ……魔王が嫁に行くのか。

 それを口に出さなかった辺り、俺も少しは成長しているのかもしれない。

 それからひとしきり泣いたあと、ステラは一言も言葉を発さずに俺の横を通り過ぎ、木の葉のベッドに戻ってふてくされるように転がった。

 

 

 翌朝、ベッドから起き上がったステラの目の下にはばっちりくまができていた。

 

「ベルガ……」


 呪いでもかけるような響きで名前を呼ばれる。俺はどう罵られるかとあれこれ想像しながらその呼びかけに答える。

 

「なんだ」

「私は街での生活を要求します」

「街ってふもとの街のことか?」

 

 意外と冷静なステラに安堵と拍子抜けの感を抱きながら聞く。

 今オレたちがいるアルゴネア山は王国の北の国境になっている。王都は国土の北西よりの位置にあるのでそう遠くはないが、間にはいくつかの都市がある。

 

「別にどこでもいいわ。魔獣に襲われる心配と寝心地の悪さで眠れなかったり、恥ずかしいところを見られたりしないところならね!」

「いや、昨日のあれは本当に悪かったと……」

「いくらベルガが悪いと思ってくれても見られちゃった事実は消えないから!」


 それはごもっとも。謝って何もかもが消えてなくなるなら世の中もう少しいろんなやつらが仲よくなれると思う。裏を返せば、無理やりにでも謝らせることのできる力さえあれば過去の改変も行えるということだ。

 

「ねえ、お願い。ベルガが人間が嫌いなのはわかってるけど、せめて寝るときだけでもどこか街の建物を使わせてくれない?」

「寝るときだけって言ってもな……宿に泊まるにも金がいるし」

「う、それはそうだけど……」

 

 俺は腕を組んで目を伏せた。

 

「人間が嫌いって言っても目に入り次第殺すとかそれほどのことじゃないし、それは別にいいんだが、そもそも俺王都追放されてるからな」


 追放というからには、少なくとも王都では、戻ってこれないよう俺の人相について周知して警戒するくらいのことはしてるだろう。問題はそれがどの街まで及んでいるのかということだ。

 おそらく手間を考えても王国全土ということはないだろうが、国王と関係の深い貴族の領なら王都と同様の対応をとっていてもおかしくはない。

 ステラの素性の方も問題だ。万一バレようものならかなり厄介なことになる。争いになれば最悪、都市をまるごと壊滅させなくてはいけないかもしれない。その中でステラの安全を保証するのはやや難しい。

 ただそれは、刻印のことを知っている人間がたまたまステラの胸の刻印を目にしない限りは問題ないわけで、リスクとしてはゼロに近い。

 まあ、検討するだけの余地はあるか。

 

「ここで考えててもしょうがない。とりあえず街に出てみるか」

「え、いいの!? ありがとう!」


 俺がうなずいた途端、ステラはやつれた顔が突然どこかに飛んでいってしまったかのような笑顔になった。

 正直、ステラのこの笑顔は嫌いじゃなかったりする。

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