第4話 魔王ちゃんは食べ物ですか?(1/2)

 無駄に広いじいさんの部屋を出た俺は、廊下を歩きながら左の手のひらを見つめていた。

 いつの間にか何やら黒くて禍々しい紋様が刻まれている。擦ってもつねっても叩いても消えない。今のところ実害はないから別にいいんだが。


「あのじいさん、食料庫の場所を教える前に死にやがって……」


 なんか瀕死っぽい感じではあったけど、まさかいきなり死ぬとは。

 ……あれ、そういえばなんかじいさんが話の中で殺すとか死ぬとか言ってたような気がしてきた。いや、それを思い出したところで話の内容はまったく頭に入ってないからしょうがないんだけど。

 この紋様もその話の流れか? なんだろう。タトゥーを入れたがってると誤解されたとか? どんな勘違いだ。

 焼くとかなんとか言ってたような気もするからこれはもしかすると焼きごてで入れられたものかもしれない。俺が気づかないうちに。

 ……超一流の暗殺者か何かか、あのじいさんは。

 戦闘の疲労も押し寄せてますます朦朧とする頭で、そんなことを考えるともなく考えながらそこら中のドアというドアを開けていく。

 きれいに整った客室とか、応接室的な部屋とか、本棚がずらりと並んだ書庫なんかがあったが食べ物はなかった。

 そのうち、やけに生活感のある部屋が等間隔で並ぶ廊下にたどりついた。いくつもの剣が飾られた部屋、骨と槍が何本も転がる部屋、あとふわふわの抜け毛とか毛玉にまみれた部屋もあった。

 その廊下の突き当たりにあるドアは、他のドアよりも少し高級感のある作りになっていた。

 俺は躊躇なくその部屋に押し入る。

 

「――ひっ」


 小動物のそれのような可愛らしい悲鳴が上がった。

 見れば部屋の中では、俺と同じくらいか少し年下と思われる女の子がベッドの上に身を小さくして座っていた。

 

「わ、私は……」

 

 少し怯えた様子で口を開いたあと、恐怖を飲み込むように1つうなずくと、毅然と口を引き結んで俺を見つめた。


「くっ……殺しなさい」


 言い放って唇を噛む。しかし俺の耳から入ってきた言葉は、食欲で満席の脳を迂回してそれぞれ逆の耳から出ていった。


「それよりなんか食わせろ」

「く、食う!? そ、それは比喩的な意味なの!? 私を食べるつもり!?」


 女の子は熱湯に放り込まれたように一瞬で顔を赤くした。

 

「なんでもいいから食わせてくれ」

「だ、誰でもいい!? ……ふ、ふざけないで。これでも私は魔王の孫娘。私にもそれなりの矜持があるわ。下卑た輩に辱めを受けるくらいなら舌を噛んで死んだ方がましです!」

「舌……タン食べたい……」

「無理やり唇を奪おうったってそうはいかないわ……!」


 何がいいたいのかはよくわからないけど、激しく拒絶されているのはわかった。

 なんでだ。ここの人たちはそんなに食べ物を要求されるのが嫌なのか。それも本気で殺しにかかってくるほどに。そういう慣習なのか。


「あとでちゃんと返すからさ」

「返す!? 奪われた純潔が帰ってくるわけないじゃない!」

「いや、本当に。頼むよ。肉でも野菜でもキノコでもなんでもいいんだ」

「女の子の体を快楽を得るための物、肉としてしかみてないのね。肉欲に溺れた最低な男。それに野菜なんて…………野菜?」


 眉間に深い渓谷を作っていた女の子が、我に返ったように顔の赤みを引かせてその場で固まる。


「野菜? 今野菜って言ったか? 野菜ならあるのか?」

「え? いや、その……えーと、ちょっと聞きたいんだけど」


 女の子は額に汗を垂らし、視線を床に逸らしながら言う。

 

「もしかして、食べるって……普通に食料ってこと? パンとか、猪のお肉とか、山菜とか……」

「ああ……猪の肉か。煮込んで食べたい……」

「…………」


 女の子は真顔でこちらを見ていたが、焦点は俺を通り越してどこか遠くに行方をくらましていた。

  

「……飴、食べる?」


 そう言って、死んだような表情のままポケットから棒付きのキャンディーを取り出し、すっと俺に差し出してきた。甘い匂いが俺の本能に火を点けた。

 

「お前が神だ」

「いや、魔王の孫だから……」


 俺はキャンディーを受け取って素早く口に押し込んだ。女の子は憂鬱を極めたような自嘲の薄笑いを浮かべて肩をすくめた。

 

「甘いものはいい。思考能力が回復する」

「……そう。じゃあ今度こそ一思いに殺してくれる?」

「え? それより食料庫の場所は?」


 俺が問うと、女の子はまた固まった。


「えっ……何?」

「知ってる?」

「そ、それはもちろん知ってるけど」

「よし、案内してくれ」

「え、ええ……」


 女の子は倦怠感に満ちた顔で立ち上がり、部屋を出ると俺を先導していく。

 女の子が俺を連れてきたのは、最初にやってきたロビーだった。階段の裏に回ってみると、そこにはさらに地下に繋がっているであろう階段があった。

 それを降りると倉庫につながっていると思しき扉が並んでいた。

 

「こっちにお肉、こっちに野菜……あ、あと調理場は1階にあるわ」

「助かった。どうもありがとう」

「い、いえ。でももうおじいさまは死んだんでしょ? この館もじきに消えてしまうから食べるなら早くした方がいいと思う」

「よく意味はわからんが忠告感謝する」

 そうして俺はようやく食事にありつくことができたのである。

 


「ごちそうさま」


 俺はパンパンになった腹を撫でながら盛大に満足のため息を吐き出した。

 

「お、お粗末さま?」

 

 その一部始終をながめていた女の子は、やっぱり複雑な表情で言った。ようやく平静を取り戻した俺は、乱雑に散らかったキッチンを見回して首を傾げた。

 

「ところでここはどこだ?」

「どういう意味? ここは知っての通りキッチンだけど」

「いや、この館が、ってこと」


 俺が言うと、女の子は絶句した。


「それは……冗談? ごめんなさい。私ほとんど人と……いや、魔族ともなんだけど、あまり会話の経験がないからよくわからなくて」

「そうなのか。でもこれは別に冗談でもなんでもないんだが」

「……本当に、ここがなんだかわからないのね? それにも関わらず、ここにいた人たちをみんな倒したってこと?」

「そういうことになるな。俺も空腹で余裕なかったし、向こうも殺す気で来てたから加減はできなかった」


 女の子は遠い目で虚空を見つめて、30秒くらいその場で固まっていた。満腹になり落ち着きを取り戻した俺は、急かすことなくそれをながめていた。

 そしてようやく我に返ると、女の子はひどい苦笑いを浮かべて俺を見つめた。

 

「もう一度聞いてもいい?」

「どうぞ」


 俺が促すと、ごくりと唾を飲み込む。

 

「あなたは、ここが落ち延びた魔王の根城で、さっきあなたが倒したのが魔王とその最側近、魔王軍七衛将だってことを本当に知らないのね?」

「魔王? 魔王ってあの魔王か?」

「その魔王だと思うわ。魔王が一般的な職業になってなければ」


 将来の夢は魔王です、なんて言う子供に心当たりはないので多分その魔王ということでよさそうだ。そもそも子供の知り合い……いや老若男女ひっくるめて知り合いがいなかったわ。

 

「――って、魔王!?」

「ようやく私の想像通りの反応が出てくれて心の底から安心したわ」

「ど、どれだ? どれが魔王だったんだ? あのモフモフか?」

「モフモフ……は違うわ。あの人は魔獣と魔族のハーフよ」


 いや、そりゃそうだ。一番印象に残ってたのがモフモフってだけであのモフモフは別に強くもなんともなかったし、普通に考えればあのやたら広い部屋で座ってたモフモフしてないじいさんに決まってる。いやモフモフ関係ない。

 

「あのじいさんが……」

「そう。あれが私のおじいさま」

「おじいさま……魔王がおじいさま? つまりお前は魔王の孫?」

「最初にそう言ったんだけど……」

「すまん、本当腹減ってて」


 俺が言うと、女の子は「あはは」と声を上げて笑った。


「うん、お腹減ってたならしょうがないわね」

「そうだろ? しょうがないよな」

「――って、しょうがないわけないでしょ! 気づきなさいよ! 魔王よ魔王! それと魔王の孫娘! あなたこれで世界の英雄になったのよ!?」


 女の子は突如として烈火のごとき勢いで声を荒らげた。怒ると意外に迫力があるのは、魔王の血脈がなせる業だったりするんだろうか。

 まあそれはそうとして……。

 

「俺が世界の英雄……?」

「なんでそんな死ぬほど嫌そうな顔してるの!?」


 発狂一歩手前の女の子に、俺はよく通るいい声で答えた。

 

「いや、俺世界嫌いだし」

「……もう、なんなのあなた」


 女の子は頭痛をこらえるように眉間を指先で押していた。

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