◇


「ベティ、迎えに来た」

「勘がいいね」

「大婆様に言われた」


 いつの間にか海面から顔を出していた人魚。彼女は冷たい表情を崩さない。いつものことだ。人魚たちは笑わない。


「急いで。話せる時間は少ない。日が沈めば潮が満ちる」

「わかった」


 そう言うと若い人魚は水に飛び込む。飛沫が舞い、私はその中を歩き続けた。


 人魚たちがいるのは海にまで突き出た崖の向こう。


 海の中には石の道が続き、人魚たちの住処へと続く。干潮であれば歩いて行ける。

 これを作ったのは私たち海賊と人魚たち。お互いを信頼し合う証だ。



 ・・・



「大婆様。遅くなってすまない」

「気に病むことではない」


 洞窟の中は薄暗い。

 この場にいる人魚たちは数名。ほとんどが海に出ているようだ。満潮が近いということ。


「姫巫女様が村に来られた」

「わかっておる。いつものアレを取りに来たのであろう」

「頼む」

「若い者に頼んでおる。しばし待たれよ。その間、話を聞いていくがよい」


 大婆様の嗄れた声が洞窟内に響く。私は気づかれないようにため息を吐き出した。


 この時期に姫巫女様が来たという衝撃にも関わらず、人魚たちは冷静すぎる。

 何かを知っていたのか、予感がしていたのかはわからない。でも、彼女たちはわかっていた。


 ついにその時が来たのだと、知っている。


「大婆様」

「そのような表情をするでない。いずれこの時が来ると、知っていたのであろう?」

「理解は……」

「ベティ殿は賢い。すぐに心も決まるだろう」


 私は座った状態の大婆様を睨んでいたのかもしれない。

 冷えきった洞窟の中が暑く感じるほどに、怒りに支配されている。


「そう簡単なことじゃない。大婆様も知っているでしょう」

「目を背け続けることは出来ぬ。悲しい旅立ちよりも、力強い応援の方が気持ちがいいだろう」

「それは、そうだけれど……」


 子供に言い聞かせるように、優しく語りかける大婆様の言葉。そのどれも芯があって心に響く。


「親友、友達、恋人。我ら人魚はそういう心を持たない。集団で行動するのも、ただ子孫を残して生きるため。だから人間のように複雑な心のことは理解し難い。しかしベティ殿は人間。その心を持って姫巫女様……親友に会われるがよい」


 いくら大婆様の言うことでも、そう簡単にはいかない。

 戦いの最前線に立たなければならない姫巫女様を思えば、笑ってなどいられないのだ。


「案ずることはない。あの笑顔を見れば、ベティ殿も自然と笑えるだろう」


 姫巫女……ミルロはそういう奴だ。周りを笑顔にして、安心させる力がある。それはミルロの人柄だ。

 絶対に失いたくない笑顔なんだ。


「ベティ殿、このお守りを」

「……はい」


 私は大婆様から二つの袋を受け取る。

 それを持った時、いつもと違うことに気づいて驚く。


「二つ?」

「対になるそれは共鳴し合う。ベティ殿も持つと良い。親友、なのであろう?」


 姫巫女ミルロがボニート村に来るたびに、この人魚のお守りを渡していた。

 それはいつも一つ。姫巫女様が無事で過ごせるように渡していた、小さな袋に入った人魚の涙。


「大婆様……」


 大婆様は嬉しそうにする。優しく言葉を紡ぐ。


「姫巫女様に、ベティ殿に、幸あらんことを」


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