第19話 マーロゥの眷属

 深夜。

 物音ひとつしない闇の中で目が覚めたのは、警戒のために眠りが浅くなっていたためだろう。


 アリアは自らの為に充てがわれた小屋の中に設置されていた木製のベッドの上で身を起こすと、周囲を見渡す。

 布団の類は一切ない硬いベッドの上ではあったが、地面の上で寝るしかない野営に比べればずっとましだ。

 アリアは掛けていた毛布を恥に寄せるとベッドから足を下ろして立ち上がる。


「ウィル君?」

 

 初めに探したのはレオンの家族だというウィルだった。

 あの時。2人が事件解決の為に村の外に出ていってしまった後に、村の門の傍で取り残されていたウィルを見つけて連れてきていたのだ。


 ウィルは人に慣れており人懐こい事もあり、アリアの先導にも素直についてきてくれた。

 その事もあり一緒の家で寝る事にしたのだが、寝る時は近くに居たはずのウィルがいなくなっていたのだ。


「ぐるるるるるるるぅ……」


 しかし、闇の中でも耳を澄ませば聞こえてくる静かな唸り声を頼りに歩を進めると、玄関の戸の前で唸り声を上げている銀毛の狼を発見する。

 恐らく、自分の目が覚めてしまったのはこの唸り声によるものだろうとアリアは判断し、ウィルの背中に手をおいて優しく問いかけた。


「ウィル君どうしたの? ひょっとして外に何かあるの?」


 しかし、そんなアリアの問いかけにも全く取り合わないとでも言うように、ウィルは戸に向かって唸るだけだ。


「……今この村にはマーロゥ様の結界を張っているの。外からの邪悪な存在は一切入れないようになってるんだよ。だから、心配しなくても大丈夫だよ?」


 ゆっくりと背を撫でながら諭すアリアの言葉もウィルには届かない。

 遂にはその前足でガリガリと戸の表面を引っ掻き出してしまい、アリアは仕方なく戸を開けた。

 すると、ウィルはするりととの間に体をすべり込ませると、アッという間に外に飛び出していってしまった。


「あっ……ウィル君待って……」


 慌ててウィルを追いかけるアリアだったが、なるべく音を立てないように気をつける。

 これまでの旅でよほど疲れていたのだろう。

 月の光で照らされた開拓村は恐ろしい程に静かだ。

 この村にたどり着いたばかりの時のように、住民全てが死に絶えているのではないかと錯覚する程に静まり返った村の中を、ウィルを追いかけたアリアが進む。


 ウィルは直ぐに見つかった。


 月明かりの下で長い影を作り、村の入口の真ん中で、外に向かって唸り声をあげながら佇んでいた。

 アリアはそんなウィルの背後に近づく。

 ひょっとしたらレオン達が帰ってきたのかとも思ったが、どうも様子からして違うような気がした。


「ウィル君。どうしたの? 何が気になるのかわからないけど、もう夜遅いし一緒に帰ろう? レオンさん達も──」


 「明日には帰ってくるかも知れないから」そう続けようとしたアリアだったが、ウィルの視線の先にいるに気がついて言葉を止めてしまった。


 は二本の足で立っていた。


 しかし、人間にしては線が細く、動くたびに乾いた音を立てて近づいてくる。

 手には小型の円盾とショートソード。

 大きさは人間の成人男性ほどだろうか。

 しかし、月明かりに照らされたその体はどこまでも白く──一般的に人々が“骸骨”と呼ぶ姿をした存在だった。


「……スケルトン……!」


 それは決して高位の存在ではない。それこそ、アリアが戦えば大した労力を使用せずに土に還す事が出来るだろう。

 しかし、今問題なのは、この村に向かって、迷いなくスケルトンが向かってきているということだった。


「……結界には……中にいる人間の気配を遮断して、外からの認識を阻害する効果もあるはず……なのに、どうしてあのスケルトンはこっちにまっすぐ向かってくるの?」


 マーロゥは古の神とは言え、嘗て高位の存在とされた強力な神だ。

 だからこそ、その結界の効果を無視してこちらに近づいてくる低位のアンデッドの存在が、アリアはどうしても信じられなかった。


「……でも、大丈夫。あの程度のアンデッドなら、結界の効果範囲には入り込めずに燃え尽きる。結局は安全である事には変わりないよ」


 自分に言い聞かせるようにアリアは呟くと、隣で唸り声を上げているウィルの体に抱きつき、後ろに下げようと力を入れる。

 しかし、アリアよりも一回り体の大きいウィルはその程度で下がる訳もなく、寧ろスケルトンに向かって一歩を踏み出した。


「ウィル君……っ! 大丈夫だから危険なことしないで……っ! 心配しなくてもあのスケルトンはこちらには入ってくれないから…………え…………」


 結界の範囲内に何の抵抗もなくスケルトンが侵入し、アリアが間の抜けた声を上げたのと、その隙にウィルがスケルトンに飛びかかるのは同時だった。


 突撃するウィルに向かって剣を振り下ろすスケルトン。


 その様子にようやく我に返り、魔術を発動させようとしたアリアだったが、それよりも早くウィルは体を翻してスケルトンからの斬撃を回避すると、横からその首元に喰らいつく。


 直ぐに体を捻ってウィルに剣を向けようとしたスケルトンだったが、ウィルの質量に任せた喰いつきの威力に勝てるはずもない。

 スケルトンはウィルに頚椎を食い破られると同時にその身をバラバラに飛び散らせ、その活動を止めるに至った。


「……何が……どうして……」

「どうやら、丁度良いタイミングでの帰還となったの」


 呆然と呟いたアリアに対して、声をかけたのはアイリスだった。

 出発した時と同じ赤い鎧姿で、憮然とした表情に銀髪を風になびかせている。

 その横にはレオンも並んで立っており、こちらは心配そうな表情でアリアを見下ろしていた。


「どうしてここに……あなた達は調査に出ていたはずでしょう?」

「その件だが、大凡の原因が特定できた。ついては貴様にも協力して貰おうと思っての。こうして戻ってきたというわけだ」

「それは本当ですか?」


 ハッとしたような表情で聞いてきたアリアに、アイリスは頷く。


「ああ。しかし、色々と説明したい所だが、ここでは少々場所が悪い。折角寝付いたであろう住民達を起こすのも忍びないしの。多少騒いでも影響がない距離まで移動したい」

「この村の警護を放置する事が出来るわけがないじゃないですか」


 しかし、アイリスの提案にアリアは目つきを鋭くして拒否の態度を取る。

 そんなアリアの態度にアイリスは小さく息を吐く。


「離れなければアンデッドに襲われる事が無いとでも言うのか? 現にこうして結界を無視して侵入されておいて説得力など感じぬがの」

「そ、それは……」


 スケルトンの残骸に目を向けたアイリスの一言に、アリアは言葉を失って俯く。

 そんなアリアに柔らかな声をかけたのは、他ならぬアイリスだった。


「別に責めているわけではない。それに、貴様がこの場所から離れていても問題ないという確証があるからこその提案だ。貴様とて、どうしてそのアンデッドが結界を通り抜けたのか、その理由が知りたかろ?」


 アイリスの言葉にアリアは顔を上げると、バラバラになったスケルトン、その傍らに佇むウィル、そして自分を見下ろしているアイリスの順に視線を移した。

 見下ろしたアイリスは先ほどと変わらず憮然とした表情を浮かべていたが、何故かその瞳だけは穏やかに見えた。


「……そう……ですね。理由があるなら知りたいです」

「なら、決まりだの」

「でも……」


 アイリスの提案に首を下ろしかけたアリアだったが、その途中で顔を開拓村の方に向ける。

 やはり、先ほど襲撃されたばかりで離れることに戸惑いがあるのだろう。


「大丈夫。俺たちがこの場を離れても、ウィルに残ってもらうことにするから。霊体以外ならウィルにだって対処可能だし、無理そうなら遠吠えを上げて貰う事にするよ」


 そんなアリアの不安を読んだのか、レオンがウィルの頭を撫でながら補足する。

 アリアがウィルの方に目を向けると、レオンに撫でられて嬉しそうにしている銀狼の姿があった。


「頼むぞ」

「ウォン」


 ウィルの控えめな返事を聞いたレオンがアイリスの方に向き直ると、アイリスも頷き、アリアへと視線を向ける。


「さて。行くかの」

「……分かりました」


 先ほどのウィルの動きを見ればレオンの行っている事が嘘でも何でもないことくらいはわかる。

 何よりも、自分の失態を見られてしまった直後なのだ。

 それ以上はアリアも拒否することなど出来ず、ノロノロと立ち上がりながらも頷くことしか出来なかった。



◇◇◇



「この辺でいいかの」


 まだ村の様子を目視することが出来る荒野の一角。

 ある程度伐採が進んだ事で見晴らしが良くなっているその場所でアイリスは足を止めると、アリアに向き直った。


「それでは……何故あのスケルトンが結界の内部に入り込む事が出来たのかお聞かせ願えますか?」


 早速といった風で質問してきたアリアに話を振られたアイリスは僅かに苦笑する。


「すぐにでも教えたいのは山々だが、その前にはっきりさせておかねばならぬ事がある」

「はっきりさせなければいけない事……ですか?」

「ああ」


 アイリスは頷き、アリアを見つめるとはっきり告げる。


「アリア。いつの頃からかはわからんが、貴様はマーロゥの声を聞く事が出来る。この事実に間違いはないか?」


 アイリスの問にアリアは目を見開き押し黙る。

 しかし、僅かに……本当に僅かではあるが、右足を後ろに引いたのがレオンの位置からは見て取れた。


「……それが、今回の事件と何の関係があるのですか?」


 長い沈黙の後、アリアが何とか絞り出した言葉がそれだった。

 肯定とも否定とも取れない言葉だったが、今の状況とアリアの態度がそれがどちらに向いているかは一目瞭然だった。


「関係の有る無しで言えば大ありだの。寧ろ、ここがはっきりせんと我の考えそのものを練り直さねばならなくなる。最も、こいつは貴様の根幹に関わる問題でもあるし、無理に答えろと言うつもりはないがの。ただ──」


 そこでアイリスは右手をアリアの方に向けると、


「──貴様が協力しないというのなら、直接に話を聞くだけだがの」


 それは半分はハッタリだった。

 そもそもアイリスにマーロゥとアリアを分断する術などないのだから。

 しかし、アイリスの人間離れした実力を知る故なのか、アリアは暫しの沈黙のあとに大きな息を吐き出すと、ツトツト話し始めた。


「……確かに、私はマーロゥ様のお声を聞く事ができます。それは、物心ついた頃からなので、。と、問われてもずっと昔から……と答えるしかありません」

「なるほどの……。ちなみに、その声はいつでも聞く事が出来るのか?」


 アイリスの問いにアリアは首を横に振る。


「いいえ。こちらからの呼びかけに応えてくれる事はありません。時と場所を選ばずに唐突に聞こえてくるのです。それも、はっきりと何かを言ってくるというものでもなく、何となく意図が伝わってくる……その程度です。ただ──」

「ただ?」

「──最近はその頻度が多かった……と、思います」

「……なるほどの。大凡こちらの予想通りか」


 満足そうに頷いたアイリスだったが、今度はアリアがそんなアイリスに詰め寄る。


「それよりも、こちらは正直に話したのです。約束は守ってください」


 必死の形相のアリアに、アイリスは「勿論」と頷いた。


「寧ろ、ここから本題であるしの。まずは初めに言っておこう。貴様は古の神であるマーロゥと同じ魂の色を持つ者。いわばマーロゥの聖女とでも呼ぶべき存在だ」

「聖女……? 私が……ですか?」

「そうだ」


 アリアの問いにアイリスが頷く。


「最も、自我をなくした神の聖女故、その自覚は貴様にはないだろうがな。だが、証拠はある。今貴様が使っている神聖魔術だが、そいつは自然と扱えるようになったのではないか? 誰に指導されたわけでもなく」

「え? ええ、まあ。何故だかわかりませんが、不思議と呪文が頭の中に浮かんできたのです」

「それが聖女の証よ。言葉が分からずとも意識が繋がっているからこそ、そのような現象が起きる。そして、同じ事が先ほどのアンデッドにも言えるのよ」

「……どういう事ですか」


 アイリスの声に不穏な物を感じたのか、再び警戒心を出したアリアの言葉に構わず、アイリスは続ける。


「一番初めの貴様の質問の答えだよ。『何故スケルトンが結界の内部に侵入できたか?』答えは一つ。それはだ」

「……う……嘘……です……」


 アイリスの言葉にアリアは今度こそ表情を変えた。

 月明かりに照らされた顔色は青ざめ、僅かに震えているようにも見える。


「嘘ではない。貴様とて本当はもう理解しつつあるのではないか? 何故なら、以前は我に見せたあの態度。貴様とてマーロゥの持つ呼び名を知っておるのだろう? マーロゥの意識が僅かとはいえ感じるのなら、マーロゥの意識がアンデッドどもを見てどう感じているのかもわかっておる筈。マーロゥは、いや──」

「嘘ですっ!! 止めて下さいっ!!」

「──【亡者の君】は生者以上に死者を愛でる。あやつが生み出す【生者】など、【死者】を生み出すための材料に過ぎん。生と死を司る神? 笑わせるな。わしから言わせれば──」


 鬼気迫る表情でアイリスに掴みかかってきたアリアを軽く突き飛ばしつつ、アイリスは冷酷に最後の言葉を告げた。


「──生者の尊厳を弄ぶ、唯の【死神】だ」

「いやああああああああああああああああああああああああぁっ!!」


 まるでアイリスの言葉がキーワードであったように。

 操り人形が操り糸で無理に立ち上がらせられたかのように立ち上がったアリアの体から漆黒の煙が溢れ出し、周囲に肉の腐ったような匂いが立ち込める。

 

 変化はそれだけに留まらない。

 叫び声を上げたアリアの両目は光をなくし、まるで先ほどのスケルトンと同様に漆黒の闇に落ち窪み、黒い涙が頬へと流れ落ち続けた。


 まるで人間以外のものに変貌を遂げるかのようなその変化に、アイリスとレオンは同時に動いた。


「レオン!!」

「わかってるっ!!」


 アイリスは宝剣を腰から抜き放ち、レオンは右手で腰のポーチから一枚の札を抜き取り、噛み切った左手の親指を取り出した札に塗り付けつつ掲げ、叫ぶ。


「我が血をもって呼び掛ける! 契約の門を司る精霊神オリジンよ! 我が血、我が魂を贄として、【原初の神族マーロゥ】への扉を開くことを許し給え!!」


 やがて光りだす一枚の札。

 その光輝く札をレオンはアリアに貼り付けると、後方に飛び退りながら最後の一言を告げた。


「我が眼前に跪け!! 【服従】!!」


 力有る言葉と共にアリアとレオンの背後に現れる巨大な魔法陣。

 やがて光をたたえた双方の魔法陣から光の帯が走り、絡まると、徐々にアリア側の光の帯がレオンに向かって進みだした。


「……ぐっ!!」

「させるかぁ!!」


 徐々に速度を上げてレオンに向かって進みゆく光の帯。

 気合一閃。

 それを断ち切ったのは宝剣を振り抜いたアイリスだった。

 更に、行き場を失い、元の魔法陣に戻ろうとした光の帯を、アリアの魔法陣に戻る前にもう一閃。

 

 やがて、完全に行き場を無くした光の帯は変色し、漆黒の闇に変化しながらその形を人の姿へと変えていく。


「レオン!! 直ぐにアリアを担いでこの場を離れよ!!」


 アイリスの叫びを聞くまでもなくアリアの元に走り出していたレオンは崩れいくアリアを抱き抱えると、そのままアイリスの後方に向かって走り出す。

 その気配を背中で感じ、意識を前方に向けたまま、アイリスは宝剣を眼前の暗闇に向けた。


「さて……何百年ぶりの再会になるかの? いや、姿会った事がない故、その言葉は適切ではないか?」


 昏き闇の塊は、その形こそ人間の形をとっているものの、闇そのものの見た目ではとても生ある存在とは思えない。

 まして、自我など求めるべきではないだろう。


 それでもアイリスは語りかける。


 その表情に笑みを浮かべて。


「ともあれ、久しぶりだの亡者の君。貴様の醜く残ったその未練。【原初の神族シルフィード】が娘!! アイリスが断ち切ってやろう!!」


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