第7話 高校生に戻りたい

「ごめんね、スマホ」

「気にしないで、ボクが割ったんだから」

「ううん、電源切っておくなんて子供みたいなこと、したから」

 カバンからスマホを出して、電源を入れる。透くんの目の前で、スマホは起動した。


「透くんからのLINEの未読……」

「見ないで! せめて、ひとりのときに見てください……」

 彼は顔を真っ赤にしてわたしのスマホを押さえた。

「昨日の……ボクが高校を卒業したら、少しは考えてくれる?」

「つき合おうって言わないって……」

「受験、がんばれるから」


「……」

 わたしは下を向いて考える。良識のある大人として、どうしたらいいのか? 先日まで教師だった頃の経験を活かせば、透くんを冷静にさせられるのではないか……。


「あのね」

「うん」

「まず、毎日会うのは良くないと思うの」

 彼はバツの悪そうな顔をした。ふたりしてうつむく形になってしまう。


「じゃあ、まず予備校の日は会わないから。火曜日と金曜日の放課後」

「単科で取ってるの?」

「そう。化学と英語だけ」

 わたしは手帳を出して、フリーページにそれを記した。


「わたしは、バイトの休みの日はじゃあ会わないね。水曜日と、土日のどちらかが休みなの」

「土日……空いてれば会える?」

 わたしは黙って手帳を見つめた。

 平日に会えるのは、月曜日と木曜日だけ……。


「空いていれば……いいよ。ただし、ハメを外して遊ばないようにしなくちゃね」

 彼の目はさっきまでとは違って、きらきらと輝いていた。新しいおもちゃを与えられた子供のように。


「会える日は減っちゃったけど、会えないよりずっといいよ。ちゃんと勉強もして、成績キープするから、見てて」

「3年生の2学期なんていう、微妙な時期に。わたしがあなたの担任なら、決していい顔できないわ」

 彼はにこりと微笑んだ。


「じゃあ、やっぱり当面の問題は受験だけなんだね。よかった……年下だからって言われたらどうしようかと思ってたんだ」

「わたしだって、年上なのにって……」

 気まずくてソイラテに口をつける。なんでだろう、子供のように泣きたくなる。そう、思うようにちっとも事が進まないからだ。


「泣かないで。受験まで半年を切っているし。誰にも文句が言えないよう、ちゃんと大学に受かるよ」


 透くんの目を見る。こんな、年下の男の子を信用していいのだろうか? 彼はきっとやり遂げると思う。でもその時、わたしは不必要な存在にならないだろうか?


「わたし、高校生に戻りたい」


 言葉が勝手に出てしまう。出た言葉は戻らない。声が震えてしまう。

 透くんも驚いた目をして、わたしを見ていた。

「受験、もう1回受けてもいいから、高校生に……透くんより年下でも構わないから」


「ボクは年なんて気にしないよ。凪さんと出会いたかったんだ。何才の凪さんでも好きになる。年上とか、年下とか、当人同士には関係ないんじゃない? 周りはうるさいかもしれないけど」

「でも今のままじゃ、『好き』って言えないわ」

 なぜだろう? 彼の前だと勝手に言葉が飛び出してしまう。……どのみち、いつか彼にそれが伝わってしまうのだろうし……。


「凪さん、今日、すごく……かわいい。失礼だったらごめんなさい」

 何も言えなくて、彼の目をそっとのぞき見る。できるだけバレないように。たぶんわたしは真っ赤になって固まっているに違いない。


「大切なときにしか言わないつもりだけど、ボクは凪さんが好きだよ。言われたら最高だけど、大人の事情で言えないなら、ボクが代わりに言うから受け止めて」


「スマホの修理代、出させて」

「そういうのなしだよ。急に大人にならないでよ」

「だってわたしのせいで」

 彼は人差し指を立てて、「しーっ」と言った。


「そういうの、なし。ボクを今より子供扱いしないで」


 どちらとも何も言わなくなって、沈黙の中、コーヒーを飲む。澄んだ沈黙が、水のせせらぎのようにささやかに足元を流れていく。

 透くんといると、もう緊張することもない。

 そして、何も話さなくても気まずさもない。


 ……わたしは知っている。彼はもう精神的には大人だ。自分の心を律するやり方も知っているし、世の中の仕組みをわたしがとくとくと教える必要も無い。


「どうしたの?」

「どうもしないの、透くんを見てたの」

「誰かに『年下の彼ができたの』って紹介していいよ」

「だって、つき合うのは……」

「お互いに想ってるなら、同じことでしょう?」

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