51話

アルブダへと出立当日。エレーンは眼帯を外したロイに感激し、恒例の頭ぽんぽんをされていた。


出会った頃から頑なに目を見せようとしなかったロイである。自分達の前では気にしなくなっていたものの、前髪をこれでもかと伸ばして俯いていたあのロイが。きっとまだ怖い筈なのだ。何だかんだ言っても、事件から六年しか経っていないのだから。それなのに。


『イスベルを襲った奴は、俺の事気になってたみたいだったし…釣れるかと思って?』


なんて、前向きに職務を遂行しようとしている。リンといい、ロイといい、そう前を向かれたら、自分だって負けてはいられない。そう、例え…移動が馬では無く、クシャナディアの馬車と同乗しなければならないんだとしても。


朝、出立の挨拶に伺う際、護衛として自分の馬で行きたいと言えば、あっさりと駄目だと言われてしまったのだ。


『…この天然娘は、友人としてという前提さえ忘れたのか?友人が護衛の真似事しながらアルブダへ行くのか?何の為に姫とお茶をさせたと思ってる。』


そうオレリアスに言われ、エレーンは縮こまるしかなかった。それでも、頑なに手荷物には昨日アレクシスから貰ったレイピアを携えるのだけは了承して貰った。鞘に国の印、そして鍔にはアレクシスの御印である水葵が彫られている立派なものだ。他にも貰ったのだが、それは騎士としてというよりはエレーンへのお守りで、アレクシス自らが選んでくれたものだった。ルーカスが居た手前、飛び付きたくなるのを必死に抑えた自分は良く頑張ったと思う。いや、良く考えても飛び付いたら端ない事この上ないのだが。でも…


そう思って、一人にやけてしまうのを必死で堪えていると、突然叫び声が上がった。一人百面相をしていたエレーンだった(それをロイは眺めていたのだ)が、声のする方を向くと、案の定というか、声の主は…ニコルだった。





それはエレーンが一人百面相をする少し前に遡る。


「わた、私、今回の任を外して頂けると嬉しいですわ、カレイラ様…。」


「…珍しいな。お前が職務放棄を願い出るなど。まあ、到底無理な話しだが、言うだけ言ってみろ。気が軽くなるかも知れんぞ。」


「だって、一体何故、あの方がご同行される事になってますの?!私、あの方だけは絶対に許せないんですのよ!!」


合同訓練を思い出し、カレイラは溜息を吐いた。最早、ニコルとギルバートのやり取りは、以前のカレイラとニコルの叱り飛ばすやり取りよりも、遥かに騎士団の中では笑いの種になりつつある。


「……ギルバートどのは剣技に優れ、尊敬出来るお方だ。そもそも、仕事中に関わる機会も少ないだろう。そう、カッカするな。」


「お、賑やかだと思えば、ニコル嬢じゃないか。まさか、護衛の組に入っているなんてな。でも、カレイラどのと二人だとやはりしっくり来るものだな。俺は砦までだが、宜しく頼む。そうだ、隊列はニコル嬢の後ろにするか、何があっても対処出来る様に。」


仕事中なら来ない筈の御仁が、二人の間にひょっこりと姿を現した。そう、噂のギルバートである。


「っそれは、私の技量が信用ならないとおっしゃっておりますの?!」


「ん?いや、力尽きて落馬したら敵わんからな。念の為だ、念の為。道中は長いのだしな。」


確かにニコルは小柄である。しかし、これでも騎馬隊所属。馬の扱いは十分過ぎる程だ。


「っぬぁんですってぇぇ?!」


この声は王城の正門に集まる全ての者の耳に入る事になったのだった。


やり取りは、クシャナディアが乗り込む馬車のかなり後方で行われたのだが、ニコルの声は悲しいかな、姫の耳にまで届いていた。丁度オレリアスに手を引かれ、馬車に乗り込もうとしていた時だった。因みに、ロイの頭ぽんぽんはオレリアスとクシャナディアの死角で行われた為、アレクシスとルーカス、ロバート以外は見ていない。アレクシスの表情が憤怒の表情だったのは、エレーンは気付いていなかったが。



「…あの、今のは…何でございましょう?」


恐る恐る後方を振り向き、クシャナディアは不安げにオレリアスに問いかけた。


「ああ、我ら自慢の女性騎士は少々元気過ぎまして。道中煩ければ仰って下さって構いません。彼女ら自体は見ていると面白いですから、クシャナディア王女殿下のお慰みにお勧め致しますよ。」


「まあ…是非興味がありますわ。道中は長いですから、お話し出来たら嬉しく思います。…オレリアス殿下、この度は長らくお世話になってしまい、誠にありがとうございました。陛下にもまた改めてお礼の手紙を送らせて頂きます。本日はお会い出来ず、残念に思います。」


「陛下はああ見えて多忙ゆえ、此方こそ私共だけのお見送りで申し訳ない。」


「その様な意味で申したのではございません。陛下にも、何度もお茶会に御招待頂いて光栄の極みでございました。オレリアス殿下にもお心を砕いて頂き、感謝の言葉もございません。」


そうクシャナディアが言えば、オレリアスは取っていた手をゆっくりと引き寄せ、指先に唇を寄せた。その第一王子殿下の珍しい行動に、やや遠目から野次馬していた宮廷侍女や、二人を一目見ようと朝から登城していた令嬢から悲鳴が上がる。


「私にとっては楽しいお時間を頂いて光栄でした。…また、お待ちしております。道中、お気をつけてご帰郷下さい。」


「ありがとうございます。殿下、貴方様もお体をご自愛下さいますよう。それでは、ご機嫌よう。」


そう言うと、オレリアスのエスコートを受けて、クシャナディアはすっと馬車へ乗り込んだ。


その後ろから、エレーンがアレクシスの隣に並び、馬車へ乗り込もうとする…が、オレリアスがにやにやしながら二人へ向き合った。


「……何ですか。」


アレクシスは突然の兄の王子然とした行動に目を剥いていたが、此方へ向いた視線が何か含みを持っているのに気付いて、表情を固くして警戒した。


「お前も是非、エレーン嬢に」

「やりませんからね?」

「ここでやってしまえば、エレーン嬢がいない間色んな話しが飛び交うのだろうなぁ。さて、どう転ぶか…」

「だから、やりませんからね?エレーン、気にせず乗車してくれ。道中くれぐれも気を付けて欲しい。…約束は忘れてないよな?」


昨日のやり取りを思い出して、エレーンはどきん、と鼓動が跳ねたが、平静を装った。


「…はい。必ず無事殿下の元へ戻って参ります。どうぞ、殿下もお体気を付けて下さいませ。」


そう言って、服の下に隠れているお守りが掛かっている胸元をそっと抑えた。それを見て、アレクシスはふっと優しく微笑むのだった。


「ほらほら、お前達の世界を作ってる場合か。後が支えているのだから、手早く済ませろ。では、マルニリア嬢も宜しく頼む。後は任せたぞ。」


そうオレリアスが言うと、旅装の地味な色味の短めのドレスを着た女性が、エレーンに近付いた。朝の出立の挨拶で紹介された彼女は、濃い茶の髪をハーフアップにして、毛先はやや癖なのかくるんと巻いていて、小柄な彼女に良く似合っている。瞳は髪と違い薄い黄色味を帯びた茶色で丸く大きく、全体的に歳よりも若く見える。


「朝も挨拶致しましたが、宜しくお願い致しますね、エレーン様。」


「此方こそ、宜しくお願いします。後、私に様は…。」


「いいえ、今回私は付添人として同行致しますので、崩す訳には参りません。本来でしたらカレイラも付添人として馬車へ同乗せねばなりませんでしたのに、私一人に押し付け…いえ、付き添いが私一人で心細いかと思いますが、宜しくお願い致します。」


「心細いどころか、とても嬉しいです。此方こそ、宜しくお願い致します。」


マルニリア・ル・エイバトム伯爵令嬢。彼女は部隊こそは違うが、衛生班として騎士団部隊に所属し、カレイラとは旧知の仲らしい。多少腕の覚えもあるとの事で、侍女を連れて行かないエレーンの付添人兼話し役として同行することになったのだ。本来なら、同じ伯爵令嬢であるカレイラも付添人として馬車に乗車しなければならなかったのだが、頑なに護衛に回ると言い張り、彼女は今や馬上から見下ろしながら、悠々と馬車の後ろへ付く事に成功したのである。


乗らずとも帰りの為にエレーンも自身の愛馬を連れて行きたかったのだが、それも却下された。『何の為に行きを馬車で行くと思ってるんだ、エレーン。』…これはアレクシスに言われてしまい、エレーンは少し落ち込んだ。ちょっと言ってみただけなのだ。それすら、言葉にする時点で駄目だったのは分かっているけれど。一考してくれても良いと思ったのだ。…それで駄目だったわけだが。




これから、一向の旅は三週間の長旅になる。馬のみならば、それこそ十日強で着く行程なのだが(マルシュベン特有の無茶な走り方限定で。)、馬車では難しい。其々の有力な貴族の城へ泊まり、挨拶回りをしながらの旅路は、連泊をと引き止められたり、トラブルがあったりもするだろうと考えると、最短で三週間なのだ。



アルブダへ入ったら入ったで油断ならない。兄のギルバートの送迎は砦までだし、いくらオレリアス付き騎士も一人寄越されているとは言っても、マルシュベンを襲った奴らがいるかも知れないし、シャリフ王子を襲った奴らがクシャナディアを狙って来る可能性もある。その為には、自分も動ける様に馬が良かったのだが、いかんせん、それは許されないのだ。何と言っても、今回の名目はクシャナディアとエレーンが友人だから敢行された訪問であり、自分は客人。そして国の名代なのだから。


…やはり、馬で行きたいという発言は失言だったなと、今更になって後悔するエレーンだった。



エレーンは少し自分を恥じつつ、アレクシスに向かって笑顔で乗り込んだ。アレクシスは不安げに見上げていたが、エレーンのエスコートの手を外し、柔らかく微笑んだ。今後いつになればまたこの笑顔に会えるのだろう。エレーンは笑顔を貼り付けたまま、胸がチクリと痛むのを無視してクシャナディアの前へと着席した。


一方でマルニリアはオレリアスにエスコートされながら、馬車の踏み台に足を掛けた。


「くれぐれも頼むぞ。エレーン嬢もだが、ほら、後ろのあの二人も十分注意が必要だからな。」


「…ならば、何故お選びになりましたの?私の仕事を増やさないで頂きたく存じますわ、殿下。」


「…面白いかと思ってな。」


「…開戦しても文句は言えませんからね?」


この言葉は、オレリアスのみ聞こえる様に小声だった為、マルニリアは少し屈んでオレリアスへと近付いたのだが、それを受けて遠くから悲鳴が上がった。


「そこをどうにかするのがエイバトム家の腕だろう。オルク家の所も先に行っているからな、そっちで算段を付けろ。」


「…畏まりましてございます。エスコート、ありがとうございましたわ、殿下。」


そう言って、マルニリアはエレーンの隣に腰掛けたのだった。扉は閉まり、馬車の中は四人。この面子で三週間の旅路が始まるのだ。いや、後続にはニコルもカレイラも続いてはいるのだが。


「行きと違って、帰りはお二方が居て下さるからとても楽しみだわ!宜しくお願いしますね、エルさん、マルニリアさん。」


そう言って微笑むクシャナディアは、先程のオレリアスの挨拶も全く気にならないのか、にこにことしていつも通りの様に見える。流石に王女殿下は慣れているのだろう。内心では、早く兄のシャリフ王子の様子を見に飛んで帰りたいのだろうが、報せを受けた日以外で動揺を見せる事は無かった。


「さんなどと、恐れ多いですわ、王女殿下。只の話し役ですから、私の事はマリーとお呼び下さい。」


「あら、ではマリーさんと。私の事もそんなに畏まらないで良いのよ、シャナと呼んでね。」


「えっ?!あ、はい…では、シャナ様と。とても光栄でございます。」


マルニリアは本当に大丈夫か不安になったのか、エレーンに視線を向けた。エレーンは勇気付ける為にこくりと頷いて見せた。やはり、他国と言えども王族を初見で愛称呼びなど、異例中の異例なのだ。


「此方は、私の専属侍女のユリシアよ。彼女とも気軽に話して貰えると嬉しいわ。」


「宜しくお願い致します、ユリシア様。」


「此方こそ宜しくお願い致します、マルニリア様。」


青く光る黒髪を一つに結び、黒の旅装ドレスの、高い襟の上までピシッとボタンを閉めたユリシアは、優しく微笑んで挨拶すると、ゆっくりと丁寧にお辞儀した。エレーンは何度か茶会で顔を合わせ、紹介もされていたのだが、彼女の所作にいつも感心してしまう。


「あの、私の事はどうぞ砕けて呼んで下さい。マリーで構いません。」


「左様でございますか?でしたらマリー様と。私の事もユリアとお呼び下さい。」


「はい、宜しくお願い致します。ユリア様。」


そう言っている間にも馬車が動き出して、クシャナディアは窓から嫋やかに手を振ってみせる。それはとても王女然としていて、しばらくエレーンとマルニリアはクシャナディアを見つめていた。


しかし、馬車も順調に進み、ある程度振って見切りをつけたのか、クシャナディアは今度は景色を眺めるのに徹していた。その目はキラキラと輝いている。


「…本当に美しいわ。この王都の景色は。王宮でお世話になっている間も、部屋から湖を見下ろす事が出来て、私毎朝胸を踊らせていたの。兄上の事は心配だけれど、いざ離れるとなると、少し寂しいわ。」


「またいつでもいらっしゃれば宜しいのです。寧ろ、住んでしまったら良いのだわ。王宮は部屋が沢山余っておいでですから。」


そう言って胸を張るマルニリアに、クシャナディアとエレーンは目を丸くした。彼女の家でも無いのに、王宮を軽く別荘扱いしている。


「ふ、ふふっ…ええ、是非そうさせて頂こうかしら?ふふっ、マリーさんは面白い方ね?」


「年の功で落ち着いているだけですわ。私が公爵家の付き添いなどもう不安で不安で。婚約者も私が粗相しないか心配していて…。まあ、その通りなんですけれど、失礼だと思いません?お互い暫く離れる心配をして欲しいものだわ。」


「まあっ!そうなの?それで、お相手はどんな方?」


マルニリアの相手は騎士団に所属しているのだが、婚約を結んだのはごく最近で、それまではお互い幼馴染というのもあって、恋愛のそれとは似ても似つかないやり取りをしていて…など、話しは大盛り上がりだった。エレーンも、三週間もの旅路でどんな風に過ごせば良いのか不安だったが、マルニリアのお陰で楽しく過ごせそうで、ほっとしていた。




『エレーンが側に居ないと思うと、心が千切れそうだ。』



油断した所で、昨日のアレクシスの言葉が脳裏を掠める。その途端、きゅっと胸が苦しくなったが、エレーンはまた無視をした。これから、自分はアルブダへと向かい、内情を見て来なければならないのだ。感傷など、必要ない。そう思って、胸元のお守りにそっと手を添えるのだった。

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