44話


「本当に我が息子か?このヘタレが。」



苦々しく口にしたのはウェリントン国の王。女王陛下こと、自身の母ベアトリクス・アーチェ・レイノーラ・ウェリントンである。黒髪を耳下で短く切り揃え、黄金を嵌め込んだ様な、鮮やかなアンバー色の瞳は冷ややかに自分へと向けられる。耳には大きな耳飾りがこれでもかと光輝き、その光は彼女の威厳が可視かしているのかと錯覚してしまいそうだ。かれこれ半年振りの帰城で、尚且つこの大事な各国王族、貴族が集まる会場で、実の息子に向けられるそれとは異なる冷淡な視線に、アレクシスは喉の奥がきゅっと閉まるのを、悟られない様に堪えた。


事の始まりは至極単純だ。エレーンを、何故舞踏会で横に据えなかったのかと言う彼女の問いだ。横に据えたいたのはアレクシスの願望そのものだったが、そうなると席が決まっていて動けない……と言うか、単純に質問責めになって舞踏会開始から終了まで動けないのは予想出来た。それに、名目上は兄の妃選びなのだ。それが予告も無くいきなり弟が恋人を侍らして登場するなど、混乱を招く以外の何物でも無い。自分の考えは間違っていない筈だ。


しかし、それらを懸念して舞踏会後に女王へと進言しようと先送りにしていたのが不味かった。そもそもが秘密に出来る分けが無いのだ。あの女王とあの第一王子が揃ってしまった今となっては。





舞踏会の準備期間中、アレクシスの内心は忙しさと比例して複雑に絡まっていた。オレリアスの妃候補にエレーンが入っていると分かった時に、実の兄に生まれて初めての苛立ちを越えた怒りが沸き起こった。自分の側近なのだから外しておいてくれても良いのにとか、打診してくれておいても良かったのにとか、もともと乗り気でも無いだろうに、とか。普段の兄のいたずらやからかいに涌く感情とは別格だった。それと同時に理性が滔々と頭に語りかけてもいた。これは当たり前の段取りであるし、それによって選ぶのは兄の自由だし、何よりエレーンの自由なのだと。別に妃に決まった分けでも無いし、彼女事態参加について悩んでいた筈だ。制服かドレスか……の問題だったが。


しかし、思考は日々うねりを上げる。


もしも……もしも二人が惹かれ合ったら?エレーンが心根の優しい娘なのは直ぐに分かっていた。言動どころか、彼女が纏う雰囲気が暖かいものであるのは、初見で誰しも抱く印象では無いだろうか。それはあまりに無防備過ぎて、時に不安を駆り立てるものだったが、それすら彼女の魅力だと思えるのだ。…困ったことに。普段何を考えているか分からないオレリアスだが、それを彼が気付かない筈が無い。彼の観察眼は取り分け優秀な事をアレクシス自身が良く分かっている。それは不正をしている貴族を見分けて手際良く潰しているからでもあったし、アレクシスが過去誘拐された時から兄自身磨いていた要因でもあった。あの時からルーカスが側に居るが、オレリアスの執拗なルーカス観察は流石にアレクシスにも度が過ぎている、と思わせるには十分だった。


オレリアスはその言動故に理解出来ない事が目に付くが、かと言って彼の魅力はそんな事では揺るがない。容姿もしかり、能力もしかり、弟の贔屓目混じりで見ても良い男であるのは……言いたく無いが間違いない。で、だ。エレーンがオレリアスの魅力に気付かない保証は何処にも無い。それに気付いた時、急激に体がしんと冷えていくのが分かった。それとは反対に鼓動が服の上からでも分かる程ばくばくと胸を打ちつける。


エレーンが兄に好意を寄せる。


その可能性に気付いた時、とても恐ろしいとアレクシスは素直に思った。自身の手で賊を倒すとか、罪人の処刑を初めて目にした時とは違う、ずくんと胸を突き抜ける恐怖が襲ったのだ。オレリアスがエレーンに目を掛けるよりも、エレーンが自分では無く、オレリアス……いや、自分以外の他の誰かを選択すると言うのが何より怖い。


それはエレーンの顔がまともに見れなくなるのに大きく影響していた。あの笑顔が、あの困り顔が他に向けられる?それだけでもモヤモヤするのに、それを言ってしまいそうになる自分自身に嫌悪感が涌く。只の主従の関係で、エレーンの行動を押さえようなどと、何の権利があって宣うのだ。


アレクシスは一人その感情に閉じ込められていた。ロバートが苦言を呈しても、ルーカスが頬をつねってきても、リンとロイが無言で圧力をかけて来ていても、一向に行動は直らなかった。ことのほか、ロイの当たりはキツくもあったが。アレクシスが思うに、ロイのその態度は至極当然で。


それでもアレクシスは彼らの助言を無視し続けていた。


その囚われていた感情が、どうしようもない子供染みた、けれども深い嫉妬心だと気付いたのは、エレーンからレイニードと闘り合うと報告を受け、それを眺めていた時だった。報告された時、彼女らしく無いな。と思っていた。その前から少し元気が無いのは気付いていたのだが、模擬試合を前向きにやろうとしているのだから、大丈夫なのだろうと受け止めていた。何より、仕事を極端に忙しくしていたから、じっくり話す時間など取れない上に取るつもりが無かった。そのせいで細かな機微に気付かなかったのは自分に責任がある。


あの時、オレリアスが笑顔でエレーンに話しかけていたのを見て、全身の毛が逆立ち、今すぐ訓練場へ飛び出してしまいたい衝動に駆られたのを、必死に堪えていた。エレーンが言い出したのだから、勝つのは疑ってもいなかったのだが、気にはなるのだ。気にならない理由が無い。こっそり仕事を抜けて訓練場を眺めに行って、上記の衝撃に撃ち抜かれたのだ。普段適当にふらふらしているあの兄が、わざわざ側近と共に見物に行くなど、何を考えているのか。エレーンに声をかけ終え、その場から去る時に此方を見上げてにやりと笑ったのも苛立ちを増長させた。まさか、あの兄なんだからからかっているだけだろうが……けれども、と不安がどっと押し寄せる。


その後、エレーンが此方に気付き、笑顔を向けられた途端に、顔が赤くなるのに気付いてそっぽを向いてしまった。避けまくっていた弊害か、それだけで自分の心臓は狂った様に早くなるのだ。散々兄に鬱々としていたのに、少し笑いかけられただけで、こんなに。こんなのを抱えて、他に逃げようが無い。アレクシスはずるずると壁に凭れ、腰を下ろし、気付けば頭を抱えていた。


薄々は分かっていたのだ。


顔が赤くなるのも、出会った頃から目が離せないのも、本当は……。でもそれは女性相手に慣れていないから、照れているのだと自分で蓋をしていた。けれど、もう長い時間誤魔化せる訳が無い。

しかし、この感情の正体に気付いてからも、アレクシスはまだ数日一人うだうだしていた。気付いたからと言って、そう易々と行動出来ていたら誰も苦労はしないのだ。


それが独り善がりの愚かな行為だったと後悔させられたのは、エレーンが新しいドレスをわざわざ自分の為に着てくれて出向いて来た時だった。ドレス姿の彼女の美しさに呆然とし、その後にこの姿をあの兄の為に用意したのかと思うと怒りにも似た感情が押し寄せ、つい咎める言葉を口にしてしまった。…あの泣き顔は二度とさせたくないし、誰にも見せたく無い。あれは、自分の心だけに仕舞っておきたい。同時に、あんな顔をさせてしまう程に彼女を傷付けていたなどと、自分の身勝手さにうんざりしたのだ。


あの春の黄梅を連想させるドレスはエレーンの可憐さを引き出していてとても似合っていた。自分に見せに来てくれるとは。まあ、そうさせてしまったのは自分の所為なのだが。想い人が自分の側に居て、気持ちを受け止めてくれるだけで、こんなに幸福な気持ちになるなんて。エレーンには全力で自分がしでかした行動の償いをして行こうと、アレクシスは決心していた。



……などと思い浮かべる程、エレーンは今日も輝いて見えた。あの日以来、顔を会わせると顔を少し赤らめたり、目を逸らしたりされ、少しだけショックを受けてはいたのだが、そんなものは吹き飛んでしまった。反対に、オレリアスの告げ口により、母の視線は鋭くアレクシスに刺さっていたのだが。




開会の宣言をベアトリクスが行い(相変わらず驚く程短い挨拶だったが)、その後は次々女王並びに二人の王子へと挨拶の人並みが壇上へ押し寄せる。次々近隣の王族や使者、国内の有力貴族……でマルシュベン家の番になった時。イザベラと次男のギルバートに連れられて歩いて来る彼女の姿は凛として、下段で順番を待つ他の貴族からも歓談の溜め息が漏れる程だった。それがアレクシスに焦りを生む結果にもなったのだが。やはり無理にでも横に待機して貰った方が良かっただろうかと少し後悔の念が湧く。


それぞれの持ち時間は少なく、挨拶自体は当たり障り無く粛々と終えたのだが、問題は開始のダンスだった。


オレリアスが一曲ダンスして見せて、初めて舞踏の部が始まるのだが、相手にエレーンを指名してきたのだ。いつもなら差し障りの無いカレイラや、許嫁が既に居る令嬢だったのだが、よりにもよってこんな時にエレーンを指名して来る辺り、兄は弟をからかっている。いや、喧嘩を売っている。アレクシスの不穏な気配にベアトリクスは片眉を潜めたが、ダンスへと向かう前にオレリアスが何事か耳打ちすると、途端に両方の眉をしかめた。そのまま冷ややかな視線を此方に投げて来るではないか。



「本当に我が息子か?このヘタレが。」



「……何ですか、藪から棒に。」


それでこのセリフである。オレリアスが何を言ったのかおおよその見当は付いているが、自分から態々その会話は振りたくない。そして、母が何を言いたいのかも分かっているつもりだが、以下同文。


ん?そう言えば別に兄に何か言ったつもりも無いが……。何で知ってる風なんだよ、あの兄は!!

そう頭の中で悪態を吐いている間にも、目下のフロアでは二人がお辞儀をしあい、ダンスが始まる所なのだ。楽団が演奏を始めて、二人は手を取り合う。


おい、密着しすぎじゃないのか?あれは!


アレクシスは自身の着席する、女王程では無いがそれでも手の込んだ細工付きの肘掛けをぎりぎりと握る。その様子を、ベアトリクスは何事も無い様に横目で見ていたが、扇を取り出し口元を隠しながらアレクシスへと顔を寄せた。


「……決闘を申し込んで来ても構わんぞ?私は。」


「いや、行く訳が無いですよね?」


「……つまらんな、最近の若者は激情と言うか気合いが足り無いよな。お前の父を見習って少しは……」


「行く筈が無いのを無理に煽らないで下さい。行かないですし、それ誰が場を収めるんですか。」


「私が止めれば良いだろう。この場でお前達の婚約を決めてやっても良いぞ?イザベラは旧知の中だしな。寧ろ喜ぶんじゃないか?何かしら騒げば、これ幸いに炙り出したい馬鹿が湧いて出て来るかも知れぬし。どうだ?やってみないか?」


羽根付きの扇を口元に当て、此方を見る視線は、その扇子が無くとも笑っているのだと良く分かる。全く、この母に似てしまったのだろう、あの兄は。誰がそんなエレーンに迷惑が掛かる行動をすると言うのか。

会話している間に、曲が終盤に差し掛かる。さて、自分もこれから忙しくなる。情報収集にうろうろしなければならないのだ。普段踊りもしないから、正直今日もやりたくない。女性に囲まれて身動き取れなくて……思い出すだけでも気が重い。どうせ踊らなければならないなら、一番目は何と言われようとエレーンが良い。いや、エレーンでなければならないのだ。


アレクシスはベアトリクスに返事もせず、慌てて階段を降りる。勿論、そう見えない様に心掛けて。


踊り終えた二人が此方に手を取り合って向かって来る。後ろではぞろぞろと客達が踊り始めた。オレリアスの口元は相変わらずにやにやと意地悪な笑いを含んでいるし、エレーンは心無しか顔が赤い。何を話してそんな事になったのかはさっぱり分からないが、腹立たしい事この上無い。


「そんなに慌てて向かって来なくとも、彼女は何処にも逃げないぞ?」


「何で前提が逃げなんですか。大体、慌てもしますよ。さっさとその手を離して下さい。」


「余裕が無い男は嫌われるぞ。全くこんな弟で良いのか?エレーン嬢。今なら間に合う、考え直しては貰えないか?」


「?!何の話しをしてたんですかっ」


「皆が見ている。落ち着け。」


「っ!!」


後ろのフロアでは客達が優雅に踊っていたが、その視線は明らかに此方に向いている。アレクシスは姿勢を正してエレーンに向き合った。


「一曲踊って頂けますか?」


エレーンは不安げに二人の様子を伺っていたが、頬を染めにっこりと笑顔になる。


「はい。宜しくお願い致します。」


向かい合う二人を尻目に、オレリアスは人知れず笑いを堪えるのだった。






その後、エレーンはアレクシスと踊った後に兄ギルバートと踊りながら久しぶりの会話を楽しんだ。


二番目の兄は母方祖父に似て背が高く、筋肉隆々の無骨な風体だ。髪はエレーンと同じく栗色に輝くダークブロンドを短く整えていて、瞳は母に似て青く澄んで優しげにエレーンを見つめる。見た目は騎士より武人という表現がしっくり来るこの兄が、まさか舞踏会のエスコートに王宮に来てくれると思わなかった。領地は依然誰に狙われているのか分からないし、もう一人の兄クロードが一ヶ月近く留守にしていたので、また城を空けさせるのも申し訳無い。父は執拗に来たがったらしいが、今領地の警護を割くのも憚れた為に、イザベラとエレーンのエスコート役にギルバートへ白羽の矢が立ったのだ。

そもそも、父を始め畏まった場に出て来るのを家族一同苦手としている。断れるものはほぼ……いや、本来断れないものも何かしら理由をつけて断る為、そのせいで僻地のマルシュベン家はありもしない噂がささやかれ戦闘民族などと遠巻きにされる要因なのだが、ギルバートが来れなかったら父が無理にでも参加すると頑なにさせたのは、一体何が原因なのだろうか。ギルバートに何か聞いていないか尋ねると、


「…娘可愛さ……か?でも今来なくて良かったと思うぞ?あれが来たらどうなっていたか……」


「?、はあ……。でも小兄様、父様をあれ呼ばわりは……」


曖昧に答えられ謎が深まる結果となったが、結局ギルバートと二曲も踊ってしまいそそくさとその場を後にする。二人のダンス技術は同レベルで緊張もしない為、つい話し込んでしまい時間があっという間に経ってしまったのだ。その後、ギルバートは顔見知りの騎士や貴族に挨拶に行ってしまい、エレーンはイザベラと共に会場内を散策していた。イザベラが知人に話し掛けられている間、一人アレクシスとのダンスを思い返す。先日あの事があって間を空けずに今日を迎えた事もあり、緊張が勝って実の所あまり覚えていない。肩に手を置くのも、アレクシスの手が腰に回っているのも、あの告白を受けた日を思い出して恥ずかしさが込み上げて、手に汗握り、足を踏まない様にと意識が行ってしまい、まともに顔も見ていないのだ。そうで無くとも、今日まで気恥ずかしくて碌に目も合わせられなかったと言うのに。そこへ来て、密着するダンスは難易度が高過ぎた。アレクシスは流石に小さな頃から嗜んでいたとあって、優雅でエスコートも上手かったのだが、正直それどころでは無かった。それを言えばオレリアスも格段に上手かったのだが、何せ、アレクシスとその後どうだの深く聞いて来る為に、ダンスが苦手なエレーンは足を踏まない様に気を張るので一杯一杯だったのだ。


アレクシスとのダンスで一曲終わって慌てて手を離してしまったのは、少し勿体なかったかなと端なく思ってしまったのは秘密だ。離れた途端、アレクシスが哀しそうにエレーンの後ろ姿を見送っていたのだが、エレーンは気付いていなかった。




王宮自慢の大広間は、あまりに広すぎて端の人が米粒大に小さく見える程だ。これをうろうろするなど、気が遠くなってしまう。同伴するイザベラも一部遠巻きにされていると言っても、腐っても公爵夫人。次から次へと挨拶する人が来て、なかなか会場を進めない。ついでにエレーンへのダンスの誘いも多く、断りつつ見て回るのにすっかりと疲れてしまった。また挨拶して来たご婦人に捕まってしまったイザベラの脇をこっそり離れ、エレーンは飲み物を取りに近くのテーブルに移動した。飲み物を手にしたら少しの間だけ、文字通り『壁の花』化するつもりだ。


ミント水とジュースに、果物が入った冷たい紅茶、各種お酒がずらりと並び、横に色んな種類のケーキや焼き菓子、揚菓子に砂糖をまぶしたグミや果物が並んでいる。もっと奥のテーブルへ行けば軽食もあるのだが、随分端に来てしまったらしい。そういえば、何も口にしていない事に気付き、認識した途端にお腹が空いてくる。エレーンがどうしようか悩んでいると、後ろから声をかけられた。


「そちらのマカロンはベリーが絶品でしたよ?」


最初は自分に言っているものと露も思わないエレーンは、そのまま皿を手に取り、未だに目の前の誘惑めいたテーブルを物色していた。


「これです、ベリーはお嫌いですか?」


ずいっと目の前にマカロンの乗った皿を付き出され、初めて自分に話し掛けているのだと、慌てて声のする方へ顔を向ける。


「あ、やっと気付いた。」


声の主を見ると、すらりと背の高い二十代半ばに見える男性が、にこやかに皿を差し出している。髪はリン程では無いが、白っぽい銀髪で長いのだろうか、後ろへ流している。目を細めているので、瞳の色は良く分からない。


「あの……」


「あ、毒とか入って無いですよ?そうだ、」


男は言ってる側から皿に乗ったマカロンをパクリっと食べる。勧めておいて裏切るいきなりの行動に、呆気に取られて思わず声も無く見つめていると、テーブルの大皿に盛られているマカロンを備え付けのナイフとフォークで器用に挟み、今度はエレーンが持っている皿に静かに乗せた。


「んーっ、この酸っぱ甘いのが何とも癖になりますっ。さぁ、貴女も是非。」


もともと細いのだろうか、線の様な瞳をぎゅーっと閉じて酸っぱさに耐えつつ、そのままエレーンの持つ皿を押して勧めて来る。仕方ないので、エレーンも鮮やかなピンク色のマカロンを口へと運ぶ。


「……っ」


何も口にしていなかった分、ベリーの酸っぱさが口の中をぎゅっと収縮させたが、その後直ぐに甘さが追いかけて来てほっとする。


「美味しいでしょう?」


「はい……」


「そうでしょうとも!まあ、私が用意した物では無いのですけど。」


「まあ……ふふふ」


砕けた態度に、思わず笑ってしまう。唐突に理由が分からない行動で呆気に取られたせいか、何となく気が緩んでしまったのかも知れない。いけない、気を引き締めないと。


「あの、申し訳ありませんが、私貴方様を存じ上げないのですが……」


「私ですか?私は今日名代で参りまして、本来ならばここにいなかった筈なんですよ。なので、私の事を殆どの方が知らないと思います。心細いことこの上無しですよ。」


「はあ……」


「この様な晴れの日に大公が来れずに女王には申し訳無く思います。」


「ええっと、」


「……ああ、私シュンベルの外交担当をしておりまして。」


「そうですか、シュンベルの……」


「はい。今日はシュンベル公国代表で参りました。オレリアス王子の妃選び、我が国は皇子ばかりでして、大変申し訳無く……無駄に数はいるんですが。」


「まあ、……そうでしたか。」


「はい。それで、私が挨拶に参ったのです。ウェリントン国は先王様は側姫を一人も娶らなかったとの事で、王子もそうかも知れませんし、お一人だけ選ばれるならこんなに女性もお集まりですので、どなたかシュンベルへ嫁いで頂ける方を探しておりました。」


「へえ……」


エレーンはシュンベルと聞いて、何か煙草の話しが聞けるかと思い、ひたすら相槌を打っていたが、思わぬ方向へ話しが飛んで来て、思わずどきりとした。


「そうしましたら、第一王子と第二王子ともダンスをされている貴女様を拝見して、一体どちらのご令嬢かと思いまして。お声をかけさせて頂きました。」


にこやかに笑いながら細められている瞳が、やけに力強く見つめていると感じて、エレーンは背筋に冷や汗が滲んだ。


「いえ、私はその、」


「あ、いやいや、まさかダンスをされる程お気に入りの方を、我が国にお連れはしないですよ?」


「そっそうですよね?!いえ、そんなつもりは無かったのですが……」


自身のうっすらとした懸念を言い当てられたのかと思い、エレーンは慌てて訂正した。そうそう、まさか自分が間違っても誘われるなど、ある筈が無い。


「それで、」

「もう~、いないと思ったら何してるの、エレーン。」


婦人達を撒いて来たのか、イザベラが人混みをするすると避けながら、此方へ向かって来る。流石、母は人混みを抜けるのが相変わらず上手である。


「……それでは、私はこれで。」

「えっ、待って下さいっ」


男は恭しくお辞儀をすると、するりと前の方へ一つに纏めた髪が降りてくる。随分長く伸ばしているものだ。などと頭の端で思っていると、男はエレーンの制止も聞かずさっさとイザベラと反対の方へ行ってしまった。


「あの方は?」

「母様、私交渉術はめっきり駄目なのが良く分かりました……」


せっかくのシュンベルの情報源が去ってしまい、エレーンはがっくりと肩を落とした。




「……シュンベルの国使って、第四皇子の事じゃないかしら!」


「私ったら何てチャンスを……っ!」


イザベラに説明したら更に追い討ちがかかり、エレーンは落ち込んでいた。今日は疑わしい者を見付ける為に開かれた舞踏会だと言うのに、一つも成果が上げられない。アレクシスも動いているだろうが、数々の貴族相手に思うように動けないだろうし、ライルの部下が侵入しているとはいえ、比較的動ける自分がこう振り回されていたら、欲しい情報も見落としてしまうのではないだろうか。


「まあまあ、母さんも色々話しを聞いているし、少し休みましょうか、空いている席に座りましょう?」


促されて、あまり人のいない奥まった椅子へと向かうと、小さく声が聞こえて来た。


「姫様、ここはお暇しましょう、私が後から女王陛下護衛の方に説明致しますから。」


「分かってるわ、けれど足に力が入らないのよ……せっかく兄上に代わって挨拶に来たと言うのに……っ」


「一体どうしたのでしょう、国では平気でしたのに……」


声の方へ向かうと、ソファーに腰掛け踞る少女と、心配そうに背中を擦る女性の会話だった。傍目にも分かる程、少女は体調が悪いらしい。エレーンは慌ててさっきのテーブルへ戻りミント水を手に取ると、早足で女性の元へと近付いた。


「どうぞ、ミント水です。」


「これは申し訳ありません、あの、貴女様は……」


女性はミント水を受け取ると、エレーンを注意深く見つめた。


「私はマルシュベン公爵の四子、エレーン・ラ・マルシュベンと申します。どうぞ、お飲み下さい、スッとして楽になります。ミントはお嫌いですか?」


「大丈夫でございます、ありがとうございます。」


少女は女性から水を受け取ると、ゆっくりと飲み干した。しかし、その顔は血の気が引き蒼白い。


「……ありがとうございました。私はアルビダ国第一王女、クシャナディア・ウルストシア・アルビダと申します。……少し体調が優れなくて……」


礼をしようとしたのかこくりと頷くと、彼女は目を閉じた。既に意識が無いかも知れない。


「今、部屋へ案内出来る者を呼んで参りますっ」


エレーンが顔を上げると、イザベラが既に人を呼んで来たのか、此方へ駆け寄って来る。後ろに……何故かオレリアスが続いている。


「オレリアス殿下?!」


「たまたまイザベラどのと会ってな。クシャナディア王女殿下がお体の調子が悪いと聞いて付いて来た。グリー、彼女を部屋へ。」


「承知致しました。」


グリーと呼ばれた男はギルバートと同じくらいに体格が良く、失礼します、と声を掛け軽々と王女を抱えると、急ぎ足で大広間から続く庭園へと向かう。


「私はまた会場へ戻るが、エレーン嬢、申し訳無いが彼女を部屋へ運び宮廷医師が来て落ち着くまで付いていて貰っても?」


「勿論です、お供致します!」


「イザベラどの、私と共に母の元へ。」


「畏まりました。」


てきぱきと指示を出すと、オレリアスはイザベラともう一人の従者を伴い、王族の席へと戻って行った。


「エレーンどの、此方へ。」


「はい」


グリーは王女を抱えたまま、何の重みを感じていない様に平然として、エレーンが付いてくる様にを促した。時間を窮するが、悪目立ちしないようにこそこそと庭から続く道を進み、渡り廊下へ差し掛かるとそのまま廊下から王宮建物内に入り、廊下の突き当たり、おくまった空き室へと辿り着いた。ベッドへ王女を丁寧に横にさせると、グリーは侍女と医師を呼んで来る。と、部屋を後にした。に付いていた女性は、王女付き侍女らしく、慣れた手付きで王女のドレスを緩めると、布団をそっと掛けた。


「……あの、いつも王女様はお体が……?」


「いいえ、全く。国から出た時は何も……」


「何か口に致しましたか?」


「……そういえば、ここ最近は食欲が無いようにお見受けします……」


「そうですか……大事にならなければ良いのですが……」



話しをしていると、扉がノックされた。エレーンが立ち上がり扉を開けると、侍女二名と恐らく医師だろう、初老の男性が廊下に佇んでいた。部屋へ招き入れ、自分はもう邪魔になってしまうだろうと、挨拶して部屋を後にした。


「エレーンっ」


大広間へ戻ろうと廊下を歩いていると、前からアレクシスが向かって来る。


「アレクシス……殿下。どうしてここに?」


「兄上から聞いた。慣れない舞踏会で、更に急病人の付き添いで心細いかと思って……」


「それは……!ありがとうございます。」


この数ヶ月を考えると、この気遣いにエレーンは涙が出そうになる。まだ舞踏会は続くのに、こんな事で化粧を崩す訳にはいかないので、エレーンはぐっと目に力を入れた。


「どうした?何か気に止む事でも……」


「いいえ、何でもありませんっ」


「なら良いけど……何かあれば直ぐに言ってくれ。」


「はい……」


二人並んで廊下を進む。やっぱり照れ臭いので無言になってしまう。静かに歩いていたが、アレクシスはふとエレーンへ顔を向けた。その視線だけで、エレーンはどきりと胸が弾む。


「……エレーン、あのっ」

「はーい王子、そこまで~」


廊下の角からルーカスがひょっこりと顔を出した。


「………お前」

「今日は舞踏会と言えど仕事ですよ?いや、普段も全て仕事ですけど。やだなーイチャイチャさせるワケ無いじゃないですかー、ってか、俺が公務中王子の側から離れる筈無いでしょ。」


「「イチャイチャしてないっ」」「ですっ!」


「わー、ハモった」


「「……っ!」」


相変わらずのルーカスをアレクシスは憎々しげに睨み付けながらも、三人は大広間の中へ戻った。中央へ進むと、三人の前に数人のご令嬢達が駆け寄って来る。


「アレクシス王子殿下、私とダンスをご一緒して頂けませんか?」

「いいえ、私とっ」

「いえいえ私とっ……ちょっと貴女、身分を弁えたら如何?!」

「まああっ!なんですって?!」


きゃっきゃとドレスで目の前に花が咲いた様に賑やかだったのが、それは一瞬に消え去り、どろどろとした不穏な空気へと変わって行く。


「…………。」


「……あの、私は兄の所へ参ります。」

「えっ?!待っ」

「その方が身のためだよね~、ここは良いから、ギルバートさんとこ行っておいでよ。」

「……っ、……そうだな。」


ご令嬢達があまりにも睨んで来るので、エレーンはそそくさとその場を後にした。何だか胸がもやっとしたが、あのアレクシスの嫌そうな……もとい、神妙な顔を見たら何となく安心したし、今のところ自分が何か物申せる立場でも無いのだし、ここは大人しく引き下がった。



また一人になりギルバートを探すと、彼は頭一つ大きく出ていた為、直ぐに見付ける事が出来た。いそいそとギルバート目掛けて足を運ぶ。


「あ、エレーン!……様、ご機嫌よう」


横からニコルに声を掛けられた。ニコルは淡い水色で足先が少し覗く短めのシンプルなドレスを身にまとい、短い髪は後ろに流して大きな花飾りで纏めている。花飾りには花弁に宝石が散りばめられ、シャンデリアの光を浴びてキラキラと輝いている。


「ニコルさん、良かった。今日はもうお会い出来ないのかと思いました……」


「これだけ広いですものね。普段はこういった催しの参加は父母のみだから、もう驚いたのなんの。」


「そうですね……。今日は御両親はどちらに?」


「もう疲れたから帰りたいんですって。ですから、お暇しようかとカレイラ様か騎士団長を探していたんですの。挨拶しておこうと思いまして。」


「そうですか……早いお帰りですね。」


「まさかうちみたいな弱小貴族が例えひっくり返ってもオレリアス殿下の妃になるわけないですし、かと言って伴侶探しも面倒ですから。他の女性騎士団員も帰り始めて話し相手も少ないですしね。」


「そうですか……」


「そんな事より」


ニコルは辺りを見回すと、すすっとエレーンへ近付いた。扇子で口元を隠しながら、エレーンの耳へ顔を寄せる。


「アレクシス殿下と仲直りした割には、随分とあっさりしてますのね。せっかくダンスのお相手に指名されましたのに。もっと側に居ても宜しかったんじゃありませんの?あんな群がる子女どもなんて蹴散らしてしまえば宜しいのよ。」


「えええっ?!」


「なんですの?今更照れても仕方ありませんわ!」


「そんな事言われても……っ」




「エレーン、お袋は何処か知らないか?」


「きゃああっ」


二人の背後、それもかなり上からギルバートが覗き込んで来て、ニコルは話しの内容も内容だけに、驚いたのだろう、悲鳴を上げてしまった。


「ち、小兄様……気配を消して近付くのは止めて下さい。」


「ちいにい?兄様?!クロード様以外にもご兄弟がおりましたの?」


「あ、はい。此方次兄のギルバートです。小兄様、此方私のお友達のニコルさんです。」


「…………。」


「な、何ですの?」


ギルバートはだんまりと口を一文字に閉じたまま、ニコルをまじまじと見下ろす。大男に身長的に威圧され、ニコルはエレーンに隠れる様に移動して、様子を伺った。


「エレーン……まさかとは思うが、デビュー前の娘も妃候補に入っているのか??」


「え?いえ、ニコルさんは……」


「どういう意味ですの?!」


「オレリアス殿下はそんな幼子にまで召集をお掛けしないといけない程切羽つまっているのかと……」


「私、もう成人してましてよ?!失礼な!!何処をどう見たら幼子に見えるんですの?!」


「ええっ?!嘘だろう??どう見ても十二~三歳にしか見えないぞ?」


「はあ?ぬわんですってぇ??」


「……兄が……申し訳ありません。」


ギルバートは思った事を口にしてしまう素直さが良い所なのだが、女性相手には大抵悪い方向に話しが転がるので、社交は苦手なのだ。主に女性限定で。子猫の様にシャーシャーと威嚇するニコルと気まずそうに頭を掻くギルバート。ニコルの剣幕に、周りがちらちらと三人に視線を向けて来る。


あああ、悪目立ちしている!


エレーンは表面上取り繕っていたが、内心穏やかでは無かった。ニコルは今回の舞踏会の主旨を知らないし、ギルバートは知っているがマイペースだし、これを諌めなければならないとは。密かに活動する筈だったのに、(既にダンスを両殿下と踊った時に半ば諦めてはいたが)今日は自分も帰りたくなる。いや、そんな事は許されないのだが。エレーンは深呼吸して、二人に割って入る。


「私からカレイラさんに伝えますから、ニコルさんは御両親がお待ちでしたよね?そろそろ……」


「む、そうですわね。……仕方ありませんわ。お願いします。」


「そうか、帰られるのか。だったら出口まで俺が送ろう。」


「??、何でそうなるんですの?!」


「妹の友人であるなら当然だ。途中転んだりしたら危ないのだし。」


「だーかーらー、私子供じゃないんですってば!余計なお世話ですわ!」


「そうは思うが……一応な。さ、行こうか。」


「ちょっと!!お待ちなさい!まだ話しが……」


エレーンははらはらしながら見守っていたが、ギルバートはニコルの手を引いてぐいぐいと行ってしまう。これは……後日ニコルのクレーム処理に奮闘しなければいけなくなりそうだ。



「……舞踏会ってこんなに慌ただしいものでしたっけ……。」



エレーンは溜め息を吐いて、額に手をやるのだった。



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