15話

リンが城へと辿り着いた頃、空は真っ黒に雲に覆われ、風が強く吹き始めた。毎年この時期に起こる春の嵐が近づいている様だった。このままでは強風で雨が降る前に火事が大幅に広がってしまう。


城内は何時にも増して慌ただしくなっていた。既に火事の連絡が来ていたのであろう。小隊がバタバタと駆け出して行く。


サイラスに報告をして、いざ持ち場へ戻ろうとした時、後ろからアレクシスとロバートが入室して来た。戻ろうとしたリンを、サイラスは引き留めて二人へと顔を向けた。


「…奥の間で待機の約束だった筈ですが?」


ロバートが前へ進み出た。軽く頭を下げる。


「お忙しい所誠に申し訳ありません。セシルどのとお孫様方は警備の方にお願いしていますし、エレーンどのも居りますのでご心配には及びません。」


「その様な事では無く…今西側で火事が有り、城の警備が大分割かれた所。大人しく待機して頂きたいのだが。」


ロバートは顎に手を宛て頷いた。


「そうですね。ごもっともです。が、少しこの老人の話しを聞いて頂けませんかな?」


サイラスは怪訝な顔をして、ロバートを見つめる。続いてリンも首を傾げた。


「私は海賊と戦闘経験は有りません。しかし、南側の商船の方にもなるべく多くの警備を回して頂きたいのです。どうにも賊の割には作戦が執拗に練られている風なのが引っ掛かります。」


サイラスはじっとロバートを見据えた。


「…商船は囮で、警備を割いて手薄になった西側の混乱に乗じて突入を図っていたとしたら?」


ロバートは髭を撫でながら、下に目線を落とした。


「確かに…。しかし、向かって来ているのは大きな商船だと聞きました。それを、囮だけで終わらせるのは少し勿体ない…と私だったら思うのですよ。混乱を起こすだけなら、船が無くとも火事だけでも充分に効果は有ります。」


「…だからこそ、囮としての役割で船が活きるので無いか?」


ロバートは顔を上げた。


「ならば今侵入する為の小競り合いが起きていても可笑しくは無い筈。しかし、今の所そういった動きは無さそうですね?火事が広がるのを待っている間に人手が増えてくる。そこを叩くのには少々骨が折れます。それならば、船に注目が集中している間に火事を起こし、一気に突入しなければいけなかった筈です。攻めるなら先手先手に動かなければならなかった。しかし、それをしない。単なる素人故のタイミングを逃した策にも思えない。」


「…何かを待っている…と言うことだろうな。」


ロバートは静かに頷いた。サイラスは視線を外して思案していた。しかし直ぐに顔を上げ、リンに向き合う。


「あい分かった、その申し出に乗るとしよう。リン、至急連絡を回せ。北と東の警備は三、四番隊を残し、イザベラ率いる二番隊を南側の警備に付けと。それと街の組合長にも西と南へ人手を回せとな。」


リンは返事もそこそこに、部屋を飛び出した。駆けていく少年を見送り、ロバートはサイラスへと向き合う。


「有り難うございます。申し出を受けて頂けて、ほっと致しました。」


「いやいや、かつての軍師どのの提案だ。聞かぬ手など有りません。」


サイラスはにやりと笑って見せた。それを受けて、ロバートもにっこりと微笑んだ。


「…ご存知でしたか。」


「私の歳で知らぬ者はおりませんよ。立場上、窮屈な思いをさせてしまい心苦しいくらいだ。」


「いやいや、まさか。老いぼれは奥で震えているくらいで良いのですよ。」


ずっと静観して見ていたアレクシスだったが、ロバートへ問いかけた。


「商船をどうするつもりなのだろうな。」


「……本来なら、あれで大勢乗り込んで来ても良いくらいなのです。それを捨て置く筈が無い。港へと戻すのも本来ならば避けたい所ですが、調べてみないと何とも言えないですね。……私の考え過ぎならそれはそれで良いのですが。」






ルーカスは嵐のお陰か、強風で思いの他早く地上へと降り立った。沖から見た限り、後方に怪しい影は見えなかったが代わりに街道方面が赤く光っていたのが気にかかる。やはり敵は陸から来たのだろうか。碇を卸し、停泊準備を終えたロイと手伝いに来ていた兵の数人で、高く聳え立つ塀の門へと戻る。


風はどんどん強くなって行く。雨が降ってくれれば、西側の火が消えるだろう。それも時間の問題に思える程、嵐は直ぐそこまで迫っている。

イスベル一帯の空は暗く厚い雲に覆われ、星一つ見えない。見通しは悪くなる一方だったが、雨さえ降れば、火が燃え広がるよりは幾分マシに思えた。連絡通路から門の中へと進む。街の方からリンが駆けて来るのが見えた。


「ルカ兄~!ロイは?!」


手をぶんぶん振りながら走って来る姿を見て、やはり子犬だなと一人納得する。


「後ろから来るよー。何か変わった事有った?」


リンは少し上がった呼吸を大きく深呼吸して整えた。


「火事は見えた?まあ、あっちは旦那が居るから多分大丈夫だと思います!それより、もうすぐイザベラ様達が此方に到着予定です!二番隊が来たら、ルカ兄は城に戻って良いって!」


ルーカスは後ろをチラリと伺った。が、それは一瞬で、直ぐに前へと向き直した。


「いやいや、まだ俺なんにもしてないしー。取り合えず見張りでもやっとくからさ。階段どこー?」


ふらりと塀に戻るルーカスに、リンはぴったり付いて行く。


「ちょっと!ルカ兄ちゃん、嵐が近づいてるから危ないって!!」


聞く耳持たないルーカスに、リンはぴょんぴょん跳ねて抗議する。それを後ろからガシッと頭を掴まれて止められた。


「リン、何してるの。」


ロイが上からしっかりとリンの頭を抑えている。


「ちょ!ロイ止めてー!背が縮むから!俺まだ伸び盛りだから!」


ごちゃごちゃしている二人を置いて、ルーカスは塀の上へ続く階段を登り始めた。俄に上階が騒がしい。直ぐ様、兵士が駆け降りて来た。


「敵船と思われる影が見えます!!」


ルーカスは階段を駆け上がった。次いでリンとロイも走る。

頂上へ辿り着くと、直ぐ港中央を見渡す。沖に大きな影が見える……気がする。暗く風も強く、定かでは無い。

隣りでまじまじ海を見詰めるリンが叫んだ。


「ヤバイ!かなり早い!しかもデカイ!!」


ルーカスはまた海を見やるが、 視界ははっきりしない。


「夜目が利くねー。俺まだ見えない。何隻来てる?」


リンは目の周りに指で輪っかを作り見詰める。こんな時におちゃらけているのか、本気なのか。


「一隻だけど、かなりデカイ。商船並か、それ以上。それより速すぎる!イザベラ様達がまだ着いてないのに!」


ルーカスは思わず港へと駆け出そうとした。 しかしロイに手で制される。


「下は駄目。」


「ちょっと確認して直ぐ戻るから。」


ルーカスは思わず出された腕を掴んだ。しかし動じず、ロイはふるふると首を振った。


「…どうせ、上からの防御になるから、上で待つ方が良い。」


「ヤバイヤバイ!何、全然速度落とさないんだけど!」


リンがまた実況する。

この悪天候で完全に見落としていたのか。確かに風が強く、じっと見ている事も難しい状態だが、リンと違い夜目もそこまででは無い自分が悔やまれる。それに、待つ体制は後手に回っているかの様で落ち着かないのだ。かと言って、海上で鉢合わせしたとしても、二対数十人?ではさすがに部が悪いが。抵抗としては商船をぶつける事は出来たかも知れない。


まだ見えない敵を確認するべく、ルーカスはじっと海を睨み付けた。





「かー!なんだってんだ今回の奴等は!!」


レオナルドはイライラしながら森の入り口に張り付いて居た。火を消すべく人手は集まり、畑の為に引いている用水路のお陰で火事はそこまで大事にはならなそうだったが、討伐しようと森の中の敵を確認するべく分け入っても向こうは全く姿を現さない。何十人と襲って来るかと構えていたが、これでは拍子抜けだ。捨て置くかと戻ろうとすると、今度は違う場所からボヤ騒ぎが起こる。撹乱する為なのか、何か裏が有るのか…。何れにせよ、ここで足止めされているのは間違いない。


「坊っちゃん置いてきて良かったぜ。向こうは何とかなるだろ。」


一人呟いた。坊っちゃんとはクロードの事だ。長年一緒に居たものだから、癖が中々抜けない。これをつい本人の前で口に出したら相当怒鳴り付けられるが、レオナルドは気にしていない。気にしていないから直らないのだが。


「此方は陽動ってか。」


海側に視線を送り、レオナルドは溜め息を付いた。





そうこうしている間に、イザベラが多くの兵士を伴い塀の上へ現れた。その佇まいは静かながら、凛とした姿に周りの空気が張り詰める。


「敵船ですって?」


静かな声でイザベラはリンに問いかけた。 リンがイザベラへとくるりと体を向き直す。


「はい!敵船は一隻!ですがかなりのデカさと速さです。港へ向かってるのに、速度も落として無いみたいです!」


イザベラは直ぐに大きく声を張り上げた。


「全員戦闘配置!石袋を有りったけ用意!今日は風が強いから、普通の矢は役に立たない。槍を持て!念のため火矢も用意。盾もだ!後、土嚢も何時もより多めに用意して!」


バタバタと兵士達が動き出す。リンもロイも何処かへと駆けて行ってしまった。 ルーカスはイザベラと共に海を真っ直ぐ見据える。


「…港へ降りて戦うとかって有りですか?」


ルーカスは海を見ながら、隣の夫人に問いかけた。


「んー。様子見て、何だか押さえきれずに人が街へ入って来ちゃったら良いわよー?」


さっきの雰囲気が嘘の様に、イザベラはにこにこしながら答えた。


「…そんなタイミング無さそうですよねー。」


ルーカスは兵士達が等間隔に配置に着くのを横目で確認して、溜め息を付いた。恐ろしく統率の取れた様子から、簡単に門が破られるとは到底思えない。

用意が整うにつれて、みるみる内に船影が迫る。 ルーカスが視認出来た時にも、船は速度を落とそうとしない。


「おいおい、港へ突っ込むつもり?!」


思わず言わずにはいられなかった。待機している兵達も少しざわつく。


速度を落とさず、一心に黒い船は港を目指す。強風に煽られ、勢いは増している様にも見える。これには賊討伐に馴れているイザベラですら、驚きを隠せない。


「船を潰すつもりかしら……」


あまりの勢いに寧ろ自滅したいかの様だ。そう言っている間にもぐんぐん進み入る。もう商船の停泊場所まで目と鼻の先だ。固唾を飲んで見守られる中、黒い船は速度も落とさず商船の真後ろへと勢い良く突っ込んだ。


「なっ?!」


ルーカスとイザベラは思わず身を乗り出して眼下の異常な光景を凝視する。船体がぶつかりメキメキと鈍い音が響く。操舵を誤ったにしては止まる気配が無い。寧ろ勢いを止めずに黒船は商船を押しながら進む。激しく吹く風が黒船を後押しをしているかの様だ。


轟音轟く眼下の動向を見ていた二人だったが、先に声を発したのはイザベラだった。


「…停泊を真正面にしなくて正解だったわね。」


イザベラは深く深呼吸した。直ぐ様兵士達に体を向ける。


「全員衝撃に備えろ!!敵は船づたいに塀を越えるぞ!」


叫んだ声を掻き消すかの様に、木のへし折れる鈍い音が響いた。勢いの止まらない黒船に押され、商船は石畳と自重で船底を粉砕されながらも等々陸地へ押し上がってしまった。それでも止まらず、あらゆる破片を撒き散らしながら一直線に塀へと向かって来る。その動きはまるで巨大な生物が這って襲いかかっているかの様で、ざわりとした悪寒を見る者へ走らせる。


そのまま勢い良く塀にぶつかり、ドオンッ!!と爆音を響かせた。


ルーカスは展開の余りの勢いに言葉を無くしていたが、ぶつかった衝撃で我に帰った。


「いやいや、こんな捨て身とかする?ふつー。」


言いながらも、直ぐ様商船がぶつかった場所へと駆け出す。イザベラもそれに続く。


「成る程、これは新しい。囮としても足場としても活用した訳ね。しかも自分達の船の被害は最小限に抑えているし…次は一体何が出て来るかしらね?」


緊迫した場だったが、イザベラの言葉がルーカスには何やら楽しそうに聞こえた。


「次は熊でも虎でも出すんじゃないですかねー。」


「あら!そうしたら生け捕りよ♪飼うんだから!」




場にそぐわない会話をしながら二人は現場へと急ぎ走った。


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