「……喜多さん。俺はこれをどうしたらいいんでしょうか」

 翌日。

あれから一日考えても答えが出ず、陽史は午後に再び喜多のもとを訪れていた。

相変わらずごみが散乱している汚部屋の煎餅布団に膝をつき合わせるようにしてこれまでの経緯を話すと、財布に挟んだしわくしゃの諭吉をおずおずと目の前に差し出す。

「俺にはもう答えが出てるようにしか聞こえないんだが」

 そんな陽史に、しかし喜多は面倒くさそうに無精ひげの生えた頬をカリカリ掻くだけだ。

「実に嫌々だったのに、どういった心境の変化だ?」

 逆にしたり顔で聞き返される始末である。どうにも確信犯的要素が拭えない。

「どういった、って……。喜多さんなら俺なんかよりずっとわかってると思いますけど、芳二さんって不器用なだけですごくいい人じゃないですか。強面だし言葉遣いも乱暴ですけど、家の外で待っててくれたり、卓袱台いっぱいの料理を作ってもてなしてくれたり。傷つけるようなことを言っても、優しく介抱してくれるような人なんです。そんな人から諭吉までもらっちゃったんですよ。しかも礼も言ってない……。こんな俺にも何か返せるものがあるなら返したいって思ったって、全然不思議じゃないじゃないですか」

 相変わらずニヤニヤ笑う喜多に何とも言えない居心地の悪さを覚えつつ、陽史は芳二から受けた温かいもてなしや気遣いを一つ一つ挙げていく。途中から熱が入り、最終的にほとんど一息でまくし立てたようなものだったが、でも心はもう偽りようがなかった。

 ――芳二に何かしたい。たとえ最初は嫌々だったとしても。

「だけど……さっきも言いましたけど、失礼なことを言って怒らせてしまいました。それで俺は合わす顔がないんです。一万なんて大金、俺にはもらう資格もないのに」

 そこまで言って、陽史は重苦しいため息とともに背中を丸めた。

 昨日、朝早くに部屋に帰ってからずっとこんな調子だ。ベッドに寝転んでもいつの間にかため息とともに背中が丸くなり、床に座ってぼーっとテレビを見ていても、同じくいつの間にかそんな格好になってしまう。今日になって《派遣メシ友》として付き合いのある喜多なら何かいい案を一緒に考えてくれるのではないかと、やおら希望や期待を膨らませてプレハブ小屋を訪れたわけだが、結果はほとんど何も変わらなかった。

 芳二を神社の春祭りに誘えたら一石二鳥だろう。しかし、頑固そうな芳二を果たして陽史一人で連れ出せるのだろうか。一週間は、長いようでいて実は短い。芳二のことを知る喜多にも何か協力してもらわなければ、あっという間に祭りは終わってしまう。

「お前はほんと、根性なしな上に他力本願な野郎だなあ……」

 すると、喜多が呆れを含んだ微苦笑をこぼした。

「俺もこの通り、お前と似たようなもんだからあんまり強くは言えないがな。だがな、芳二さんはお前の『今の自分に満足してますか?』っつー質問に、俺とは『ただ飲んで食って終わりだったんだがな』って言ったんだろう? 『初めて会ったお前に聞かれるとも思ってなかった』とも言ったそうじゃないか。俺はそれを聞いて、芳二さんはお前を気に入ったんだと思った。じゃなかったら、眠りこけたお前にわざわざ毛布なんてかけてやらねえよ。諭吉も置かねえ。その場ですぐに家から叩き出すだろうさ、あの人なら」

 そしてそう言い、

「ありゃあ何なんだってクレームの電話も鳴らねえしな」

 一昨日の十五コールでそこだけは改心したのだろう、ズボンの尻ポケットからスマホを取り出すと、わずかに顔を上げた陽史の前でもったいぶるようにヒラヒラ振った。

「喜多さん……。でも――」

「でもじゃねえ!」

 思わず身を乗り出すと、しかし喜多は噛みつかんばかりの勢いで遮る。すぐさま身を引く陽史にはっとし、自身を落ち着けるように軽く頭を振ると、

「芳二さんとはメシ友を始めて一年くらいか……たまたま通りかかった小料理屋の前でジジイ同士が揉めてるところに出くわしたのが、そもそもの始まりだったんだが。俺の前じゃ芳二さんはいつも〝寂しくねえ!〟って顔をしてたんだ。とにかく豪快な人でよ、酔うと本当に楽しそうにガハガハ笑うんだ。でも心の中じゃ、ずっと意地と見栄を張ってたんだろうよ。同情されたらたまんねえしな。そういう気持ちを汲んだ上で、俺はそこに踏み込まなかった。あんときは『信頼している人としかメシは食わん』なんて言ったがな、結局のところ、俺も芳二さんも〝ただ気持ちよくメシが食えりゃそれでいい〟って、どっか遠慮し合ってたところがあったんだ。それに俺は、一晩で気に入られはしなかったぞ」

 そう言って悔しそうに、寂しそうに唇を噛んで目を伏せた。

「……」

 とうとう何も言えなくなった陽史は、代わりに今の喜多の言葉の意味を。一昨日の芳二の言葉の意味を必死で考える。正座した膝に乗せた両手を、固く握りしめて。


「――喜多さん、俺……祭りまでの間、ちょっと短期バイトをしてきます!」

 やがて顔を上げた陽史は、どんな宣言か、言って勢いよく立ち上がった。幸か不幸か、時間だけはたっぷりある。陽史の頭の中には一つの妙案が浮かんでいた。

「お、おおう……?」

 虚を突かれたように目をしばたたく喜多は、何やら人が変わったようにすっくと立ち上がった陽史をただ呆然と見上げるだけだ。でも陽史は構わなかった。

いつもあの家に一人。近所ともほとんど付き合いのない寂しさ。それを悟らせないように意地を張り、見栄を張る芳二と、気づいていながら踏み込まなかった喜多と。

 代金が発生する関係が前提である上、きっとお互いに、そこまでが限界だったのだろう。

 ――だったら。

「お邪魔しましたっ!」

 バインとドアをしならせ外へ飛び出す。そのまま駆け出した足は、数分後には大学から一番近いコンビニの、ある棚の前――アルバイト情報雑誌が並ぶそこで止まっていた。

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