酒に混ざる塩気

タバキア湾奇襲作戦―――九月三日、その晩

大賢洋/洋上

第一機動艦隊/旗艦正規空母『白鷹しらたか



 白鷹の船内に設けられた軍艦に置くには少々大きすぎる程の食堂、そこに船員及び第一次攻撃隊に参加した者らがひしめき合っていた。タバキア湾沖を脱して以来、追手もなく無事にここまできた第一機動艦隊。ざわめく室内では、皆に酒が配られた。


 義体機人マキナンドが酔うのか?という疑問はかなぐり捨てて。タイミングを見計らっていた艦内放送が響く。



 『諸君……本艦艦長の大森大佐だ。本日はよくやってくれた。少なくない数の仲間を、友を失ったが――今作戦の見返りは予想以上のものとなった!敵艦隊被害甚大!作戦は大成功である!存分に喜んでほしい――それが亡き英霊に対する手向けとなろう、諸君の勇気と奮戦に敬意を表し――――』


 時折ハウリングを起こすほど興奮気味の艦長の声が。


 『大帝国!賀島に乾杯!!』


 その場にいる者に伝播し、大歓声となって食堂を包んだ。



 床を揺らす興奮冷めやらぬまま、各々が笑い、泣き、肩を組み、酒を酌み交わし、叫び―――勝利の喜びを、死と隣り合わせた緊張を、仲間を失った悲しみを、皆で共有した。


 その歓声に混ざれない、妙に冷めた八人、、は、部屋の隅の円卓を囲み、黙って酒をあおる。矢澤大佐含むNOMAD隊員ら、中でも心底気まずそうにする荒井二等兵は、空中指令管制機『オクルス』と共に白鷹へ着艦してからずっとこの調子である。


 それもその筈、ジェームズ及びアイビスの被撃墜の件に酷く責任を感じているのだ。人の気も知らず、訓練兵時代に見知った仲間が、重苦しい空気に包まれるNOMAD卓まで駆けて来る。

 軽く自らの名と階級をいい、啓礼と共に。


 「少々荒井をお借りしてもよろしいでしょうか!」

 と、元気よく頼む新兵達。誘われ、尚も逡巡する荒井に見かねた瀧が彼の座る椅子を蹴って。


 「行って来いよ、浮かねェ顔ォしやがって」

 「うむ、君たちにはこの男をマシな顔にする任務を与えよう」


 続いて新人らに面倒を見るよう伝えた大佐の声に、渋々荒井は立ち上がった。ちょうどよい、とばかりに黒木もその場を後にする。月城はというと、隊長ライバーの酒を飲もうとする戦闘班班長アイビスを止めていた。

 

 「あっ、アイビスちゃんって二十歳はたち超えてたっけ?」

 「実年齢が分からない以上年齢的にあたしを縛ることは不可能、誕生日もないのに成人も何もない。つまり実質成人済み―――」


 論理的に不可解な言動を繰り返すおそらく十代の少女に彼女は頭を悩ませる。


 「父親代わりの隊長さんは「いい」って言ってるの?」

 「それはぁ……」


 部屋を見回していたライバーは自分のグラスに手をかけるアイビスに目を向ける。何やってんの、と表情で語り――嘆息を一つ。

 「あと二年で義体換装なんだしそれまでは我慢しろ」


 「ちぇ………どうせなら今度の作戦で大怪我でもして完全換装オーバーホールして貰おうかなぁ」

 「それは本気マジで止めてくれ…」


 心配そうのアイビスの脚に撒かれた修復箇所、巻かれた包帯に目をやる父。その様子に彼女は何故か嬉しそうにし、代わりに麦茶を飲んだ。



 食堂の中は暑苦しい男でいっぱい、という訳ではない。サイボーグ化技術によって男女間の肉体的差異が埋められた現代では、軍の中でも女性が多く見受けられる。むしろ多いくらいだ。

 その女性群が月城とアイビスを呼んだ。『女子会』を開くらしい。


 NOMAD卓には三人のおじさんだけが残された。遠巻きにもてはやされる荒井の姿が見える。

 訓練を終えすぐにNOMADに入隊、初陣では七機以上の撃墜で授与されるエースの称号を得たのだ。若き兵は目を輝かせ集まっていた。





 「―――若ェなぁ……」

 酒を飲み干した瀧が呟く。もう一度グラスを満たし掲げた。

 「クソ金髪野郎に……」

 「偉大なるジェームズ・クラウドに」「空の王者に」


 それぞれの想いを載せて乾杯、一気に飲み干したグラスを机に叩きつけた。


 「また、古い仲間が一人減ってしまったな」


 滝が三人分の杯を満たすのを見ながら、矢澤大佐は寂しそうに笑った。ここではないどこか遠くを見ながら、かつての日々を思い出す。今となっては片手で数える程の古参兵達、結成時の隊員メンツはほとんど残っていない。


 「ギレンん時ィ飯田が逝っちまったのも応えたが……コルアナとの戦争は始まったばかりじゃねぇか……―――早すぎるぜまったくよォ」

 瀧と大佐が昔話を始めた頃合いで、ライバーは席を立った。


 「黒木を探してくる」

 そう言い残し食堂を後にする。




 『黒い謎の機体』の件で艦橋に呼ばれた矢澤大佐が去り、円卓には瀧が一人残っていた。新兵の取り巻きから抜け出した荒井が、部屋の隅に帰ってくる。空席ばかりの机で、瀧と席一つ開けた椅子に座る。瀧は目も合わさず話を切り出した。


 「少しはァ、マシな気分になったかよ」

 「……………はい……」

 全く持って『マシな顔』とは呼べないままの荒井シンは、歯を食いしばり、こぶしを握る。


 「すみませんでした」

 「――――」

 瀧は見つめていた空のグラスから目を離す。

 「―――何に、だ?」


 鋭い眼光が、机に伏す寸前まで深々と下げられた荒井の頭を捉えた。彼は顔を上げず続ける。

 「ジェームズさんの件…です。あの時自分があそこに居なければ…反応がコンマ数秒でも早ければ………」


 「奴は被弾しなかった、と?」

 「少なくとも、コックピット直撃という致命傷は避けれらたと考えます。つまるところ彼が回避しなかったのは故意であり……その理由が―――」


 瀧少尉は手で言葉を遮った。あの男ならばかわせたやもしれない、死ぬことは無かったかもしれない、もしかしたら…そんなことを考えるのは、何とも不毛なものだ。

 いくら生存の可能性を考えても、あの男は帰ってこない。妻と娘と親友をこの世に残し、祖国の為に、仲間の為に死んだ男は蘇らないのだ。

 

 口にできなかった想いは荒井の頭の中で乱反射した。ジェームズ・クラウド、彼は真上に荒井が居る状況を理解していたからこそ、避けず、あえて一番装甲の堅い操縦席で攻撃を受けとめることで時間を稼いだのだ。

 つまるところ、彼を殺したのは――――― 



 「あいつが避けていればお前は今ここに居ない、それだけの事だ」

 自責にまみれた荒井の思考が停止する。


 一秒に至るかも怪しい一瞬の抵抗は、確かに一人の未来ある新兵の命を救った。それを恨めしく思わないだろう、むしろ誇るだろう。ジェームズはそういう男であるから。

 「俺に謝っても仕方ァねェだろう?奴の墓を建てたらそこへでも言いに行くんだな」



 「――で、隊長のことァどう思ってるよ。こいつが本題だ」

 「え……」

 予想外の質問に声が漏れる。


 「当ててやろォか、お前ン中では今――憧れの存在に対し不信感のようなものが芽生え始めている」

 「…………………」


 ほとんど正確に心情を的中させたことへの驚きと、言葉を吟味する時間で少し黙り。

 「不信感、とは少し違います」

 語る。


 「確かに憧れていた英雄とは少し…いえ、だいぶ心象が違っていて。戸惑いと言いますか………何より、矛盾のようなものを感じざる得なく………」

 「なるほどな」


 滝は納得した様子を見せる。戦場で激情に駆られ隊長に口ごたえした挙句、迷惑をかけ強制帰還まで命じられた――命令違反まがいの行動について説教をするわけでなく、落ち着いて続けるよう促した。


 「彼が頼りがいのある素晴らしい上官であり、隊長であり、最上級の尊敬に値することは理解しています。しかし分からなくなってしまったのです。責任も取らせなかったり、白狼を見逃したり。何故あのような行動をしたのかと考えれば考えるほど、あの人の人間性が分からなくなっていくのです」


 戦闘中のライバー中佐を見れば誰もが思うだろう。冷酷なまでに敵を追い詰める動きを魅せる彼は、人知を超えた使徒というより悪魔と形容した方がしっくりくる、と。

 黒い義体に黒い雷、そも原理の知れない黒雷ちからを操り、淡々と敵を殺してゆく男が、時折見せる優しさのような何か。もしくは押し付ける理不尽のようなそれ。


 理解は追いつかず、自己満足にすら見える。



 「軍というものはその仕組み上、上司を好きに選べないって特徴がある。お前は好きでここに来たンだろーが。上官を信頼できないのはストレスだろォから……少し手伝ってやるとだな―――」

 眼鏡の奥に佇む鋭い目は、真っすぐに荒井を見た。


 「まずあの人に矛盾めいた何かを感じるのは俺も同意見だ。それはひとえに長く戦いすぎたのが理由だと踏んでいる」


 「長すぎた、とは?」



 「ライバーさんは俺が訓練兵の時代には既に今と同モデルの義体を使っていた。臨時教官として初めて会ったライバーという男は、すでに古参兵として戦場の硝煙の香りを漂わせていた。見た目こそ俺とあの人とでは俺の方が年上に見えるが、あの人はもうジジイなんてもんじゃない筈だ。………おそらく二一〇〇年代では既に現役だった可能性がある」



 滝は一息ついて、またグラスに酒を注ぎ始めた。


 「最早『死ねない』ンじゃァねぇかって言われるほどに、戦い続ける伝説、そんでもって「自分の大切なものの為に戦う」と言う彼は、その間「大切なもの」を失い続けているわけだ―――」


 荒井は、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。義体で、錯覚やもしれぬそれは、無意識に『周りの人間が次々にこの世を去っていく』状況を自分に重ねて想像して起きた。

 義体機人の平均寿命は一二〇歳、戦友ともなればその命の終わりは非情なほど近い。


「お前自身で解決策を見つけてほしいから、これ以上は控えるが」

酒をあおり。

「あの人曰く『俺の家はこのNOMADだ』だそうだ」


 荒井は自分の中で納得のいく答えを得た気がした。ライバー中佐、伝説とさえ呼べる彼にとって、大義名分、愛国心、天皇閣下への忠誠心も、人道的道徳観すら、全て無視できる事柄なのだろう、と


 まだ解らない点は多い、矛盾を抱える英雄の心境が知れない。しかし、反発したことへの申し訳なさが胸に押し寄せた。


 ジェームズ中尉を失った重みが再び重く圧し掛かるようだった。



 彼はまた一人、『家族』を失ったのだ――――

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