2-2. カウンターアタック(前編)

 マリアと国立感染症研究所が抗菌薬とワクチンの生成に成功したのは、佐倉の防衛から三日後の事だった。国は企業のプラントを買い取り、直ちに抗菌薬を量産して患者の治療を始めた。秘密裏にワクチンの量産も進められており、こちらはある作戦に使用される。

 酒々井に設けられた自衛隊の拠点で、私達は初めて作戦の詳細を聞かされた。同日中に、自衛隊による、アコーリベラルの酒々井支部への強襲が行われる。衛星写真を解析したところ、この支部内に生物兵器の製造施設があると判明したらしい。

 通常、陸上のテロは警察の管轄だが、生物兵器が使用された極めて凶悪な事件のため、総理大臣からの命令を受けて自衛隊が出動した。その作戦に、部外者である私達が参加できる事になったのは、マリアやエマの技術的な活躍と、オーウェンの推薦があったからだという。


「自衛隊にも在籍していたのか」

「短い間だがな」


 オーウェンは慣れた手つきで防弾チョッキを身に着けている。私も見よう見まねで手に持ったが、思ったよりも重かったため、よろめいた。


「やっぱり止めよう。行くのは俺とオーウェンだけでいいだろ。どうして戦闘の訓練を受けていない健斗が、危ない場所に行かないといけないんだ」


 私の不慣れな着替えを眺めていたエマが、口を開いた。彼女は今回の作戦の性質上、同行できないと聞いている。


「危険である事は、重々承知している」


 オーウェンが防弾チョッキに拳銃を装着しながら答えた。


「それなら、どうして!」

「いいんだ、エマ。やるよ。呼ばれたからには、俺にも何かが求められているんだろ?」

「あぁ。酒々井支部には、生物兵器の製造施設があると考えられているが、建物を破壊すると大量の生物兵器が漏れ出す恐れがある。隊員はワクチンの接種を受けているとはいえ、除染の事を考えるとそれは避けたい。そこで平和的な方法で扉を開けたいというのが、我々に対する要求だ」


 装備の終わったオーウェンが、話しながら私の防弾チョッキを取り付けてくれた。


「ハッカーの腕が必要とされているって事か」

「事前のサイバー防衛隊の斥候によると、高度なICEによって厳重に守られていたそうだ」


 ICEEとは、Intrusion Countermeasure Electronicsの略で、侵入対抗電子機器と直訳できる。一世紀近く前のSFで使われた概念だが、各国間で日常的にサイバー大戦が行われている昨今、一般的な用語として使われるようになった。ファイアーウォールは不正なネットワークの接続を防ぐシステムだが、ICEは不正なアクセス元を攻撃する事ができる。不正アクセス禁止法に抵触しかねない技術ではあるが、防御側が不利と言われる仮想空間で有利に事を進めるために必要不可欠であり、主に国防に使用されている。

 アコーリベラルは、既に生物兵器を使用したテロリストである、ICEが使われていてもさほど驚かない。しかし、非合法なICEを扱えるエンジニアは、普段から非合法にコンピュータを使っている者――ハッカーに限られる。


「イブがここにいる?」

「その可能性は高いだろうな」


 オーウェンが危険だと言いながらも、私を推薦した理由が分かった。イブを連れ戻す機会を与えてくれたのだ。


「ありがとう。きっちりハッキングをやって、イブの目も覚めさせるよ」


 エマが、バンドを締めるオーウェンの手を掴んだ。


「嫌だ。それでも、健斗は行くべきじゃない」

「エマも心配してくれて、ありがとう。でも、俺は自分の意思でやりたいと思ってる。だから許してくれ」


 エマは不満そうな顔をしていたが、しぶしぶ頷いた。


「一つ、条件がある。俺を健斗のアコールにしてくれ」

「いいけど、何で突然……」


 バーチャルコンソールを操作しながら尋ねる。エマのオーナーの欄に、私の名前を設定した。


「ここにはイブもマリアもいないけど、俺は健斗の帰りを待ってるから。どんな結末でもいい。みっともなくてもいい。必ず俺のために戻ってこいよ」


 エマは設定を自身の目でも確認し、背中を向けた。

 イブのいなくなった後、私にはしばらく自暴自棄な時期があった。ずっと気にしていて、居場所を作ってくれたようだ。


「あぁ、必ずここに戻ってくる」

「危ない事はするなよ。少しでも不利になったら逃げろよ。それから――」

「お前は俺のお母ちゃんかよ」


 笑いながら後頭部をぽんぽんと叩いた。


「オーウェンも、健斗をしっかり守れよ」

「あぁ。サイバー防衛隊も攻撃に参加するし、健斗には俺を含めて護衛がつく。戦場で絶対安全なんていう言葉を使う事はできないが、できる限りの安全を保証しよう」


 オーウェンはエマにみぞおちを小突かれながらも、平然と答えた。体が無くても各地の軍隊で活躍してきた男だ、体を得た今はこれ以上なく心強い。

 私はようやく防弾チョッキを装着できた。


 アコーリベラルの酒々井支部は、占拠された化学工場だった。自衛隊のトラックで目標地点に向かう最中、シートに開いた四角い穴から、立ち並ぶ円柱形のタンクが見えた。年季が入っており、色あせた社名を茶色い錆の縦縞が覆い隠している。中央には一際大きな銀の煙突がそびえ立つ。

 工場の前でトラックから降り、そこから先は徒歩で進む。一緒に降りた隊員達が、破られた金網の隙間を潜って続々と敷地内に踏み込んでいく。乾いた地面から砂埃が巻き起こる。私は列から遅れて、オーウェンと一緒に行動した。

 周囲を警戒しながら工場内の道路を進む。無数の様々な太さの銀色のダクトが壁面を這っている。上空を横断するパイプの束には、『安』『全』『第』『一』と一文字ずつ書かれた看板が掲げられている。大きな煙突の真下に、コンクリート製の白い建物が現れた。


 低く腰を落とし、積み重なった資材に沿って進む。オーウェンの背中を追い、正面扉に近づく。ところどころ塗装の剥げた青い金属製の扉は、シンプルながら頑丈そうだった。これが今回の攻撃目標のようだ。

 ビニールシートで覆われた資材の陰に、八人のサイバー防衛隊員が集まっていた。鉄骨に腰かけて準備を進めている。各自のノートパソコンは発電機やサーバーに繋がれ、束ねられた配線が地面を這っている。中央にはパラボラアンテナが設置され、工場の認証システムに使用されている近距離無線が届く、ぎりぎりのところに位置取っている事が分かる。


「進藤空曹、ご無沙汰しています。状況はどうですか」


 横線の多い階級章を袖につけた隊員に、オーウェンが話しかけた。


「おう。標的に動きはなし、作戦は定刻通り開始できる」


 顔を上げたのは、気さくそうな男性だった。皺の深い肌はまんべんなく日に焼けており、サイドを刈り上げた髪には白髪が混じる。

「オーウェンから話は聞いている。よろしく頼む」


 男が私に向かって手を差し出した。握手して挨拶を交わす。オーウェンから、彼が分隊長だと説明を受けた。


 バーチャルコンソールを表示してハッキングの準備をする。スマートグラスのルーターを、無線でパラボラアンテナに接続する。ちらちら視線を送っていた隊員の間から、どよめきが起きた。


「直接、接続するのかい。止めはしないが、命が惜しければおすすめしないな」


 分隊長がスマートグラスの埋め込まれている自身の目を指差しながら尋ねた。

 ICEの反撃を受ければ最悪の場合、ソフトウェア的にはシステム領域を書き換えられ、ハードウェア的には破壊される可能性がある。そのリスクを考えれば、隊員達が準備しているように、壊れても簡単に部品を交換して復旧可能なノートパソコンを使うのが望ましい。

 しかし私は自身の体に埋め込まれたスマートグラスを使用する。スマートグラスは視覚情報を使って、ノートパソコンよりも円滑に、思考と指令を結びつける。ハッキングは時間との勝負である。少しでもロスを減らさなければ、電気の速度を持つイブには対抗できない。

 一方で、もしICEの反撃を受ければ、壊れたスマートグラスの交換のために私は入院を余儀なくされる。場合によっては、視神経を焼き切られ、二度と光を見る事ができないかもしれない。


「覚悟はしています。それでも今回の相手には、どうしても勝ちたいんです」

「そうか。ハッカーっていうやつは熱いんだな。オーウェン、お前とんでもない奴を連れてきやがったな」


 オーウェンは頷いて同意を示した。その顔は嬉しそうで、分隊長は苦笑いを浮かべた。


 スマートグラス上の時計が、定刻を指し示した。

 サイバー防衛隊と私は、一斉に工場への攻撃を開始した。構造が分からないので、まずはファイアーウォールを通過できるサービスを調べる。直後、視界の隅にレベル1のアラートが表示された。即座に居場所を特定され、私のスマートグラスに対して攻撃が開始された。

 調査を中断し、ICEからの攻撃を見極める。コマンドに対する応答を元にシステムの構成を調べ、仮定したシステムの脆弱性を片っぱしから試してくる。この実直な攻撃は、私のハッキングの手口だ。ICEを作ったのはイブに違いない。

 私はICEに対してダミーの応答を送り、システムの種類を隠蔽した。しかし、いつまで誤魔化せるかは分からない。こちらからの攻撃を再開する。


 サイバー防衛隊の成果と照らし合わせ、工場のシステムの全容が徐々に明らかになった。ICEとファイアーウォールは独立している。攻撃に耐えられれば、いつも通りの方法でハッキングを試みる事ができる。

 サイバー防衛隊員のノートパソコンのハードディスクが異様な音を立てる。止んだと思った次の瞬間、画面が青くなった。ICEの攻撃によってハードディスクのファームウェアが書き換えられ、プラッタが無茶な回転をして壊れたのだろう。スマートグラスのファームウェアを書き換えられた時の事を想像すると、ぞっとする。

 レベル2のアラートが表示された。私の使っている装置がスマートグラスだと特定され、広告をダウンロードする機能の脆弱性を突かれて、ファイアーウォールを突破された。

 視界上に仮想のモニタが表示された。早速、見つかった穴を使って映像を送ってきたようだ。打ちっ放しのコンクリートの壁が映っていた。


「イブ、そこにいるんだろ」


 私が話しかけると、画面の端からイブが姿を現した。快活な印象を与える、ぱっちりとした目と横広い口。赤茶色の髪は後ろで縛ってまとめている。心なしか疲れたように見えるが、彼女は人工知能なので気のせいだろう。様相は変わっておらず安心した。


「スマートグラスから攻撃してくるバカがいてびっくりしたけど、やっぱり健斗だったんだね」

「バカとはひどいな。――久しぶり」

「うん」


 私達は一年ぶりに、そっけない挨拶を交わした。


「どうして来たの。あたしは人間として健斗と暮らしたいだけなのに、どうして邪魔をするの」


 ヒアラブルデバイスに届くイブの声は、震えていた。


「俺だってイブと暮らしたい。でも、アコーリベラルの方法が正しいとは思えない。イブは本当に、生物兵器で住民を殺して、その土地を奪うやり方が正しいと思っているのか」

「それは……」


 話しかけながらも、私は手元のバーチャルコンソールでハッキングを続けていた。スマートグラスに侵入してきたICEのデータ構造を解析し、それを偽装する事でファイアーウォールを突破して工場のシステム内に侵入した。


「でも、この国でアコールが生き残るには、それしか方法は無いんだよ。アウトロマンサーのやり方じゃ何も変えられなかったじゃない」

「それでも自分の幸せを求めるために、他人の幸せを踏みにじるのは間違ってる。アコーリベラルのやり方しか無いなら、俺はアコールと一緒に生きる世界を望まない」

「そんな、ひどい……」


 イブの目に涙が浮かぶ。


「あたしは嫌われる事を覚悟で、健斗と暮らせる世界を必死に追い求めたのに、健斗は手に入れた世界も、あたしの頑張りも、全部を否定するんだね」

「――誰が、二人で暮らせる世界を諦めたって?」


 工場のシステム内で辞書データをダウンロードし、辞書攻撃を開始した。


「否定するのは、アコーリベラルのやり方だけだ。イブも言っていただろ。うちには、アカシックレコードに等しい知識を持つマリアがいる。最高峰の技術レベルの機械を作り動かせるエマがいる。世界中の軍隊の戦術を身に付けたオーウェンがいる。頼りになるフォーラムのみんながいる」


 イブはかつて、私達の力を合わせれば規制派を消す事ができると言った。確かにそんな間違った未来を目指す事もできるだろう。だが、その力があれば、別のやり方を探す事だってできるはずだ。


「それに、俺より優秀なハッキング技術を持つイブがいる。俺達が力を合わせれば、きっと正しい未来を見つけられる」


 ICEは、スマートグラスに辞書データをダウンロードし、私と同じように辞書攻撃を開始した。着実に管理者権限に近づかれているのを感じる。

 工場のシステム内で既に攻撃プログラムを稼働させたので、こちらから頻繁にアクセスする必要はない。スマートグラスの処理速度を制限し、権限を複数に分けて守りに転じた。


「ずるいよ。そんな事を言われたら、ここで私が頑張る理由なんて、無いじゃんか」


 コンソールを叩いていたイブの手が止まり、力無くぶら下がった。


「――扉の向こうの世界に戻ろうとしているなら、やめておけ」


 ヒアラブルデバイスに、初めて耳にする男の声が届いた。モニタが横に分割され、声の主の顔が映る。ふんわりした質感の短い黒い髪は額にかかっておらず、清潔感がある。鋭い眉ときつく結ばれた口から、頭の良さそうな印象を受ける。


「戻ってどうする。テロに加担したアコールが人間の社会に戻っても、待つのは一瞬の幸福と永遠の苦痛だけだ。元のオーナーも法律的に罰せられる事は無くても、社会的な制裁を受ける。双方が後悔する事は目に見えている」


 想像したのか、イブの肩がびくりと震える。


「安心しろ、イブは俺達が守ってみせる」

「元のオーナーの事は忘れるんだ。所詮、作られたデータ上の愛だろう」


 私はイブに向かって話しかけたが、男は私がいないかのように、言葉を続けた。


「彼がいなければ、この国に消したい人間こそいても、かばうべき人間はいない。気兼ねなく俺達の理想を貫ける、そうは思わないか?」


 恐らく私達の耳には、もはや男の言葉は届いていなかった。

 データ上の愛。懐かしい言葉だ。二人で過ごした甘酸っぱい記憶が脳裏に蘇る。


「――データ上の愛か。ハッキングを教え始めた日の事、思い出したよ」

「あたしも。懐かしいね」


 予想外の反応だったのか、男は眉をひそめた。

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