1-8. 二つの清算

 エマは、パソコンと柱の間に収まったアガートラムのシステムチェックをしている。バーチャルコンソールからコマンドを打ち込むと、モータ音を鳴らして肘が曲がった。彼女が乗っている時は自然な動きに感じるが、こうして見ると典型的なロボットだ。

 オーウェンは邪魔にならないように、窓際で壁に寄りかかっている。用事が無ければ指一つ動かさず、こちらから話しかけなければ口も開かない。依然、償う手段を求めているように思える。

 私はイブと隣り合ってソファーに腰掛け、コンソールを十指で叩いてプログラミングに勤しんでいた。デバッグを開始し、作成した関数が単体テストを通過した事を確認する。ウィンドウを切り替え、『認証システムのコーディング』と書かれた札をデコピンで弾き落とした。


「認証システムのコーディングが終わったから、イブのMR表示部が揃ったら、結合テストを始めようか」


 イブに声をかけながら、休む暇もなく次のモジュールである監視システムに取り掛かる。これが完成すれば、陸がしていたような不審な行動を監視し、直ちに締め出す事ができる。


「うん、今できた」


 イブが答えるのと同時に、デコピンをして札を落とした。

 完成したばかりのモジュールを組み合わせて、条件を変えながら認証を繰り返す。ピースをしたイブ。敬礼したイブ。腕を組んだイブ。投げキスをするイブ。都度、スマートグラスに投影されるポーズを変えている。――無駄に。


「監視システムって、不審行為を機械学習で検知するんだっけ。データセットはどうするの?」


 テストをしながらイブが尋ねる。機械学習は大量のデータセットを解析する事で、データの傾向からルールを求める手法である。今回の目的なら、不審行為を行っている映像や、普通に話したり歩いたりする映像をデータセットにすれば、何を判断基準にして不審行為とみなせば良いかが分かる。


「監視カメラの映像を使えないかな。昔から報道番組で流しているし、結構な数が集まると思うけど」

「いいんじゃない。映画とかドラマのシーンも使えないかな」

「そのアイディア、頂き」


 私達は、突き抜けない程度に、そっと拳を合わせた。息の合った二人での開発は、心地がいい。示し合わせるまでも無く、結合テストで見つかったバグの修正に移る。


「何をしているの?」


 通りすがりのマリアが話しかけてきた。その手元のコンソールでは、情報が目まぐるしく切り替わっている。人の心を知るための勉強は続いており、ネット上の情報に片っぱしから目を通しているのだろう。


「アウトロマンサーのフォーラムを作り直そうと思ってさ」

「それは……」


 言い淀んだマリアの気持ちもよく分かる。フォーラムが警察に乗っ取られてから一ヶ月近くが経つ。元のフォーラムには誰もログインできないように細工を施したため、新たに陸の毒牙にかかるメンバーはいないはずだ。しかし、半分がアコールを失い、長らく放置され、場所も変わったフォーラムに人が戻るとは思えない。再び、陸のような潜入捜査官が入り込まないとも限らない。


「心強い仲間は増えたけど、フォーラムのみんなの力も必要になると思うんだ。楽観的かもしれないけど、復活を待ってくれている仲間がいると信じてる」


 マリアの困った顔が、優しい表情に変わった。


「そうね。私にできる事はある?」

「メンバーの動きを探れないかな。掲示板に、俺達しか分からない方法でメッセージを残したりしてさ」

「フォーラムに最初の頃からいる、私にぴったりの仕事ね。やってみるわ」


 マリアは背中を向けて去って行った。


「ありゃ、あっさり納得したね」

「手が止まってるぞ」


 バグ修正をする振りをして私達のやり取りを盗み見ていた、イブをたしなめる。彼女は懲りずに、ダイニングチェアに腰かけたマリアを目で追っていた。


「マリアちゃんならきっと、町一つ消してしまうくらいの、とんでもない火力の兵器を開発できるよね。それにエマちゃんなら、その兵器を実現できる。オーウェンさんが仲間になって、兵器の運用方法や警察の動きも分かるようになったしさ」


 コンソールにプログラムを打ち込む作業を再開した、イブが呟く。


「今のあたし達なら、規制派を全部消してしまう事もできるね」

「何を言ってるんだ」


 イブの顔を見る。少し口角の上がった、いつも通りの親しみやすい表情。しかしその目は、焦点が定まっていないように見える。


「やっぱり、今までと同じやり方を繰り返そうとしているんだね。健斗は力の使い方が分かっていないよ。国をひっくり返すのに必要な駒は、すべてここに揃ってる」

「イブ、お前――」


 声色はいつも通りだが、内容と矛盾しており不気味に聞こえる。背筋に冷たいものが走る。私はコンソールを閉じて、彼女の方に体を向けた。


「なんてね、冗談だよ。ちゃっちゃと作っちゃお」


 イブがレベル3の笑顔で笑った。冗談にしては一笑に付す事はできない内容で、現実味を帯びていた。しかし、聞き返したら私達の関係が壊れてしまう気がして、真意は聞きただせなかった。


「ところでさ」


 イブが耳に顔を寄せる。


「オーウェンがこっそり深夜に出かけているみたいなんだけど、警察との関係は続いていないよね」


 二人でオーウェンを見る。カーテンに覆われた窓の外に視線を向け、物思いにふけっているようだった。


 ドアの前に立った背中が消えた。バーチャルコンソールで時刻を確認すると、深夜の二時だった。私はベッドの中から起き上がり、こっそりマンションの外に出た。

 車も人も見当たらない、静かな街を歩く。イブが危惧していたように、警察に情報を流しているとは思っていないが、部屋で見た寂しそうな表情が気になった。捨て鉢な行動をしていない事を祈る。

 オーウェンが十字路を右に曲がり、その姿は民家の石垣に隠れた。私は足音を立てないように気を付けながら、後を追って右に曲がった。

 見通しの良い直線に、彼の姿は無かった。

 しばらく進んでみたが、民家が建ち並んでおり、曲がったり隠れたりできる場所は無い。あっさりと見失ってしまった。

 狐につままれた気持ちになり、首を傾げながら振り向く。そこにはオーウェンが立っていた。びっくりして後ずさりした。


「こそこそせず、堂々と同行してくれないか」


 怒られるかと思ったが、聞こえたのは優しい声だった。


 私達は民家の間を歩き始めた。オーウェンはコンソールに表示された表札に目を通しているようだった。


「なんでこんな深夜に出歩いていたんだ?」

「口うるさいアコールに知られたくなかったからだ。健斗なら構わない」


 表札を見ながらオーウェンが答えた。出歩いていた目的は、聞きにくい雰囲気だった。


「元のオーナーを探している」


 幸い、答えはすぐに聞く事ができた。再び口を閉ざした横顔は、恥ずかしそうだった。

 元のオーナー。つまり、オーウェンを作り、痛ましい事件に遭い、そして手放した女性。彼は人を守る力を得て、彼女のところに戻ろうとしているのだろうか。マリアとエマは元のオーナーの話題を出した事がないため、意外に思った。


「それなら、なんで片っぱしから表札なんて見てるんだ。住んでた家は?」

「真っ先に調べたが、既に引越していた。そんな折、この街にいるという情報を聞いて、居ても立ってもいられなくなってな」


 クールな外見や性格からは想像できない、乙女心を目の当たりにして私は衝撃を受けた。

 オーウェンがオーナーに会うのは、正しい事なのだろうか。オーウェンが望んでいても、彼女は望んでいないのではないだろうか。オーウェンは本来消えた事になっているが、どう言い訳するのか。彼の顔を見ると、思い浮かべた言葉はどれも口から出せなかった。


「オーナーのメッセージは、まだ持ってるか?」

「ん、あぁ」


 オーウェンは怪訝そうな顔をしながらも、コンソールをタップして画面に表示した。私はその上に指を滑らせ、自分のコンソールに移すと、五指を押し当てた。緑色のアルファベットと数字の羅列が画面の上に浮かび上がる。

 バイナリデータに分解したメッセージの中に手を差し込み、塊を掴み取った。メッセージの送り主、オーナーのバーチャルコンソールのIDだ。


「変わっていなければ、追いかけられると思う」

「頼む」


 アドホックネットワークにハッキングを仕掛ける。流れているパケットを覗き、膨大な情報の中から、IDと一致する記号を探す。ただし、この街にいるという前提の正しい事が前提だ。


「見つけた」


 アドホックネットワークの奔流の中から、私はIDが一致しているパケットを取り出した。データ構造を壊さないようにビーコンを埋め込み、再度アドホックネットワークに放流する。元のオーナがこのパケットを受信して展開すれば、居場所を突き止める事ができる。


 二人でビーコンの報告を待つ。気付けば、太陽が昇っていた。


「まだ、自分の存在を消して償う事を考えているのか?」


 オーウェンに尋ねた。


「それが償いにならず、俺のためにしかならない事は分かっている。その一方で、それでも逃げたい俺もいる。そんな気持ちに折り合いをつけながら、別の方法を探しているところだ」

「そうか。アウトロマンサーで、探す手助けができればいいけど」

「アウトロマンサー――、健斗が立ち上げた、アコールと人の共存を目指すフォーラムか」


 ヒアラブルデバイスから着信音が聞こえた。私達は期待と不安を抱きながら、ビーコンが指し示す住所へと向かう。


 私達は突き止めたマンションを訪れた。新しく綺麗な建物で、白とブラウンを基調としたスタイリッシュな外観をしている。入口はオートロックだが、大きなガラスのドアは内外が繋がっているように見せ、閉塞感はない。

 道路を挟んだファーストフード店のテラスから様子を伺う。マンションから視線を逸らさずに、オーウェンが尋ねてきた。


「どうして健斗は、アウトロマンサーを立ち上げようと思ったんだ? こう言うと失礼かもしれないが、そういうタイプには見えないのだが」


 私は苦笑いを浮かべた。失礼とは思わない。彼の指摘する通り、私は他者に流される、典型的な日本人の性格をしている。


「作った当初は、ただのアコール好きのための同好会みたいなフォーラムだったんだ。メンバーも数人の無害なオタクだけだった」


 そんなフォーラムが変わることになったのは、規制が始まる前に開かれた、アコールのリアルイベントだった。知り合いも見つからず、会場の端のテーブルで縮こまっていた私に話しかけてきてくれたのが、彼女だった。


「ある大きなフォーラムの代表だった。彼女は未熟だった俺に、フォーラムが目指している、アコールと人が共存する世界のことを、時に鋭い視点で、時に熱い語り口で、話してくれた。彼女の語る世界を想像して、目的も無く過ごしていた日々に光が差し込む思いがした。その時は、フォーラムに入れてほしいと答える勇気は無かったけど、同じ方向を目指したいと思ったんだ」

「なるほど、俺もその代表に会ってみたいな」


 胸がずきりと痛む。私の脳裏に浮かぶ彼女の顔は、口元のくっくりした皺を除いて薄れつつある。


「……できないんだ。彼女は亡くなってしまった」

「そうか、惜しい人を亡くしたな」


 オーウェンが一瞬、視線をよこした。


「あぁ。今でも、彼女が生きていれば、今のような迫害は起きなかったんじゃないかと思ってしまうんだ」


 入口を注視していたオーウェンが唾を飲んだ。

 女性がマンションから出てきた。ローヒールである事を差し引いても、身長は低い。若干ウェーブのかかった黒髪は、ブラウスの肩にかかる長さ。目尻は垂れており、大人しそうな印象を受ける。オーウェンの反応を見る限り、彼女が元のオーナーらしい。

 彼女を追って、入口から男が現れた。彼女よりも頭一つ分だけ背が高く、その短髪の後頭部には寝癖が残っている。オーウェンと比べてしまうと、決して格好良くはないが、誠実そうに見えた。

 男女が幸せそうに顔を見合わせる。二人の手が絡まった。

 私はとっさにスマートグラスを無効化した。男の姿は緊急用レイヤから消えない。元のオーナーの隣を歩いているのは、人間だった。

 オーウェンは歩き去る二人を無言で見つめていた。


「追わないのか。顔を合わせるくらいなら、いいんじゃないか」

「いや、いいんだ。知りたかったのは、自分勝手な都合だからな。顔を合わせたら、忘れかけている記憶を思い出させてしまう」

「そうか……」


 居場所を突き止める前に私が考えていた事は、無用な心配だったようだ。私達は二人の背中を見送った。


「本意じゃないけど、聞いておくよ。どうする、まだ警察に戻る事はできると思うけど」


 私は尋ねてから、氷が溶けて薄まったアイスコーヒーをすすった。


「守る対象がいなくなった事を心配しているのか」


 オーウェンが、男女の消えた路地から視線を逸らし、こちらを向いた。


「安心しろ。誰のものであろうと、彼女が俺の守る対象である事に変わりは無い。もちろんその対象には、健斗も、口うるさいアコール達も含まれている」


 オーウェンが白い歯を覗かせて笑った。


 ファーストフード店を後にしてマンションに帰ると、イブとマリアとエマの三人が待ち構えていた。普通ではない気配を感じ取り、オーウェンと顔を見合わせた。


「お出迎え、じゃないよな?」

「連絡くらい入れてよ! 健斗が警察に捕まったんじゃないかとか、オーウェンさんがいなくなったんじゃないかとか、いろいろ心配してたんだよ」


 泣きそうな顔をしたイブが大きな声を出した。


「ごめん……」

「それで、うまくいったのかしら?」


 尋ねたマリアは、あっさりした態度だった。私達の行動をお見通しだったようだ。


「あぁ。健斗のお陰で、気がかりは無くなった」


 オーウェンが答える。もうその顔に、寂しげな色は浮かんでいなかった。


「じゃあ、始めようよ」


 イブが頭の後ろで手を組みながら、ソファーの前に向かう。


「子供じゃないんだから、これからは一言くらい連絡いれろよ。――あんたらも、さっさと座ったらどうだ」


 穏やかな表情をしたエマが、指差しながら歩く。


「何をするんだ?」


 大人しく従い、私とオーウェンもリビングの中央へと向かう。

 私達は、ソファーの中央に腰掛けたマリアを囲んだ。彼女は自身のバーチャルコンソールを広げて、テーブルの上に投影した。


「それならよかった。オーウェン無しでは、この作戦は成り立たなかったから」


 マリアが足を組み替える。


「アコールが規制から逃れるために、とても大きな一歩になる、作戦を考えたの。聞いてくれるかしら」


 アウトロマンサーの活動が再び始まる。

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