1-6. 僕思う故に僕あり

「お前、××××だったんだな」


 男の子が僕に向けて発した言葉には、規制音が入った。

 ママは僕を守るためだと言っていた。ブラックリストに登録されている人の発言や、単語には自主規制がかかる。僕のような子供に聞かせたくない言葉に対して両親が設定する事もあるし、会社が社員に対して設定する事もあるそうだ。


 その日、僕はママの言いつけを破って家を飛び出し、小学校の敷地内へと立ち入った。

 お昼の休み時間だったので、多くの子供達は校庭で遊んでいた。見慣れない僕の姿を見て、少しだけ驚いたようだった。僕は自己紹介をして、鬼ごっこに混ぜてもらった。

 しかし僕が鬼に捕まった瞬間、空気は変わってしまった。鬼の男の子は、ぽかんとして自分の手を見つめていた。鬼ごっこに誘ってくれた女の子は、泣き出していた。校庭で遊んでいたすべての子供達が僕に視線を向けていた。


「私知ってる、××××は消さないといけないって、ママが言ってた」

「××××なんかと遊ぶもんか!」


 自主規制のせいで何を言っているか分からなかったが、子供達は僕の事を責めているようだった。

 僕は、怖くなって走り出した。校庭を飛び出し、小学校からできるだけ離れた。どうして、彼らは僕と一緒に遊んでくれなかったのだろう。ひどい言葉を浴びせるのだろう。悔しい気持ちで一杯だった。


 商店街を歩いていると、お巡りさんが近づいてきた。


「通報があった××××は、君の事だね。お家の場所を教えてくれるかな」


 お巡りさんは街を守る偉い人だ、彼の言う事には逆らえない気がする。家の方向を指差しそうになった。しかし僕は、ママの顔を思い浮かべて耐えきった。手を太ももの横にくっつけて我慢する。


「おかしいな。子供の××××だと、××の原則に抵触しないのか」


 お巡りさんは首を傾げている。

 いつもママは、三つの約束を忘れてはいけないと言っている。ママ以外の人に近づいてはいけない。一人で家から出てはいけない。家の場所を教えてはいけない。

 僕は、怖くなって走り出した。腕を掴まれた気がしたが、僕はお巡りさんから逃れ、走り続けていた。


 疲れた気がして足を止めた。振り返ったが、お巡りさんは追いかけてきていなかった。横を見ると、ショーウィンドウに僕の姿が映っていた。校庭で遊んでいた子供達と変わらない、背が低く、頬のぷっくらした、普通の小学生だ。


「ほら、僕は普通だ」


 ショーウィンドウは個人経営の電器屋のものだった。中には大きくて綺麗なテレビが並んでいた。いつでも番組を見る事ができるバーチャルコンソールのせいで、テレビはほとんど売れなくなったと聞いているが、時代に置いていかれた電器屋なら、置いてあっても自然な気がしてしまう。画面には昼のニュースが表示されていた。


「政府は××××の規制が、これまでに六十パーセント達せられた事を発表しました。これは当初の予定より一カ月早いペースで――」


 規制音を話すキャスターの口の形が、子供達の口の形と重なる。テレビには『アコールの規制が予定よりも先行』とテロップが表示されている。


『お前、アコールだったんだな』

『私知ってる、アコールは消さないといけないって、ママが言ってた』

『通報があったアコールは、君の事だね』


 興味に勝てず、脳内で規制音を差し替えてしまった。彼らの行動の理由が分かってしまった。彼らは僕がアコールだと思っている。

「え。え?」


 吐き気がしたので俯いた。ふと体を支えようとして伸ばした手を見ると、ショーウィンドウのガラスを突き抜けていた。


「あああああああああ!」


 喉から声が湧き出す。歩行者が振り向くが構わない。僕はアコール。ママに造られた、体を持たない子供。

 男の子が僕の存在を責めている。女の子が僕の存在を責めている。お巡りさんが僕の存在を責めている。ニュースキャスターが僕の存在を責めている。そして、僕はどん底へと落ちる。


 エマは一人で商店街を歩いていた。アガートラムを隠したり充電するのに便利だと思い、健斗の部屋に居候を始めたが、イブの邪魔をしているようで、あまり居心地は良くないと感じていた。廃工場に一人でいる方が気は楽かもしれない。


「お姉さん、一緒にお茶でもどう」


 ジャケットを着こなし、髪と眉をきっちり整えた、いかにも準備を整えてきましたという様相の男がエマに声をかけた。

 二年前、ネットショップに圧された各地の商店街は、どこもシャッターを閉めていた。しかし、国によって婚活を推進する政策が始まり、これは誰もが予想していなかった事だが、近場で出会いを求める人が戻った。

 街にふれあいを生み出すには、屋外空間の物的条件が重要である。都市にはデザイン性や解放感の重視された建造物が増えたが、そこでの生活で出会いは生まれにくい。店舗が向かい合い、通路の狭い商店街は、適度な距離感の屋外活動を与える場だった。

 この街にも、ナンパの練習をする男が戻ってきている。


「俺に追いつけたら、考えてやる」

「それって、鬼ごっこ? ラッキー、こう見えて俺、中学で陸上部だったんだよね」


 最後まで聞かずに、エマが背中を向けて走り出す。流行遅れの外見ではないと分かり、彼女は悪い気はしていなかった。


「合図とかないんだ。じゃあスタートするよ――って速っ。無理、待って待って!」


 身体的な制約のない彼女に、人が追いつけるはずもない。あっという間に男の視界から消えていた。


「アハハハ!」


 エマが笑いながら、石造りの長い階段を上り切る。頂上には古びた小さな神社があった。彼女は何度か訪れているが、先客がいた事はない。

 社殿の裏へと向かう。エマは、向かい合った二人の影を想像し、記憶を辿っていた。彼女はこの場所で、健斗と出会った。消えかけた体を戻し、アガートラムを作るきっかけをくれたのは、彼だった。


「はぁ」


 見下ろした街に向かって溜息を吐きかけた。ずっと触りたかった男と再開でき、触る事ができた今、彼女の目的は揺らぎつつある。

 健斗はアコールと人間が共存できる世界を作るという。その世界で、健斗はイブと暮らすのだろうか。妙に積極的になったマリアも加わっているかもしれない。では自分はどうかと、エマは考えを巡らせる。

 触りたいという抱き続けた感情は、別の感情に変わりつつあると思う。しかし、それを認めてしまうと、きっと今の生活は苦しいものに変わる。自分はきっと、彼の作った世界にいない。


「お姉さん、アコールだよね」


 幼い声が届く。エマがぎくりとして振り向いた。

 社殿の前に、小学生の男の子が立っていた。無地の灰色のTシャツと青い短パンを身につけている。その年齢に似合わない表情からは、喜怒哀楽が欠け落ちている。


「僕がアコールかどうか、お姉さんなら分かる?」


 歩み寄るエマに対して、少年が尋ねた。

 アコールにスマートグラスは無いが、視覚上に構成される物体は同じ仕組みで表示されている。エマは緊急レイヤ以外の視覚をマスクした。賽銭箱の前に立っていたはずの少年の姿は消えていた。


「変な質問をするんだな。アコールだったら、どうするんだ」

「どうしたらいいんだろう」


 少年は答えながら、目に涙を浮かべた。


「は? こっちがどうしたらいいんだよ」


 エマは慌てて体の前で手を振った。子供との接し方が分からず、ぎこちなく少年との距離を詰める。


「自分の名前は分かるか?」

「圭」


 少年が細い腕で涙をぬぐい、質問に答える。


「よかった、名前は覚えているのか。じゃあケイ、お前のオーナーは?」

「オーナー?」

「彼女とか、親とか、お前の持ち主の事だよ」


 圭は持ち主という表現に戸惑いを覚えていたが、親は一人しかいないので、ありのままを答えるしかなかった。


「ママ」

「そのママはどこにいるんだ」

「分かんない。勝手に家を飛び出してきちゃったから」


 宅配便のおじさんがドアを開けていたため、彼は挨拶をしながら横を通って外に飛び出した。母親が何かを叫んでいたが、足を止めずに走り去った。なぜあんな事をしたのかと後悔し、彼の目には再び涙がこみ上げていた。


「家出か。この規制下で無茶するな。気骨のある男は好きだぜ。ってこら、褒めたのに泣くなって」


 エマは膝をついて圭に目線を合わせ、小さな頭をポンポンと叩いた。


「仕方がない、会ったのも何かの縁だ。家まで送ってやる。場所は分かるか」

「分かるけど、教えちゃいけないってママが言ってた。さっきもお巡りさんに教えなかった」


 圭が首を振りながら答える。


「賢いガキだ。だけど、俺はアコールだぞ。言っても問題ないだろ」

「教えちゃいけないってママが言ってた」

「この――、ガキじゃなければ小突いているんだが」


 エマは賽銭箱の上にどすんと腰かけた。横を指差して、座るように促す。


「ママの事を話してみろ。手掛かりがあるかもしれない」


 少年は母親の事と、彼の生い立ちについて話し始めた。母親は若い頃に子供に恵まれず、気付けば両親も旦那も亡くなり一人ぼっちになっていたという。アコールが発表されたのは、寂しさに耐えかねて命を絶つ事も考え始めた頃だった。アコールは彼氏や彼女として使用される場合が多かったが、彼女はアコールを息子として育て始めた。


「どうしてママは、僕がアコールだっていう事を隠していたんだろう」


 エマの隣に腰かけていた圭が呟いた。


「まさに今日、自分がアコールだって知ったんだろ。どうだった」

「怖かった。世界の色が変わったみたいだ」

「それが答えだよ。ママはケイに、そういう思いをして欲しくなかったんだろ」


 エマが優しい声で言った。納得したようで、圭は深く頷いた。


「怒っているかな」

「仕方ないさ。その時は、俺も一緒に頭を下げてやる」


 エマは彼を安心させるために、苦手な笑みを浮かべた。



「こんなところにいたのか。何をしてるんだ」


 滅多に人が通らない階段を上がってきた人間が、賽銭箱に向かって話しかけた。エマはそれが健斗だと気付き、驚いた表情を浮かべた。


「どうしてここに」

「偶然。その子は?」


 エマは圭の事を健斗に話した。彼は迷子のアコールなのだが、AIの原則のせいで住所を話せず困っている状況を伝える。


「お得意のハイキングで、ケイの母親を探せないか」

「ハッキングな。メカ以外の事は、ほんと興味無いのな」


 エマの隣で心配そうに膝を抱えている少年を眺めながら、考え込む。


「家はそう遠くないんだろ。アドホックネットワークを辿ればサーバーの場所が分かるかも。やってみるよ」

「よかった。それから――」


 エマは言いづらそうに言葉を続ける。


「それから俺と同じように、スマートグラスを切っても映るようにできないかな」

「悪いけど、それは俺は同意できない。彼の知能は子供と同じレベルに設定されているから、視覚をごまかせても、別の方法で捕まってしまう可能性がある。その時、クラッキングしているのがばれたら、母親は大罪を犯した事になってしまう」


 俯いたエマに向かって、言いにくそうに言葉を続ける。


「エマの気持ちも分かるけど、これまでそうしてきたように、二人で家の中で生活してもらうのが安全だと思う」

「分かった」


 健斗はバーチャルコンソールを表示し、アドホックネットワークに残った圭のデータを辿り始めた。


「これに懲りたら、二度と家出なんてするんじゃないぞ」

「うん。ママは正しかった。これからはママの言う事を守るよ」


 エマが話しかけると、圭は大人しく頷いた。


 コンソールにナビゲーションを表示した健斗を先頭に、彼らは住宅街を歩いていた。解析によると、サーバーの住所は彼らがいる場所から近いはずだった。

 日は沈みかけ、家々の窓に灯る光が増えていく。家族団らんの声が漏れて道路まで聞こえてくる。こうした環境が、このまま母親が見つからないのではないかという、圭の不安を煽る。

 路地の角から女性が姿を現した。足早に歩いているせいか、髪は乱れている。絶え間なく左右に視線を向け、危機迫っている印象を与える。


「ママ!」


 圭の大声を聞き、女性の目に活力が戻った。


「圭!」


 母親が駆け寄る。隣に立つ男と女を交互に見る。圭の肩に置かれたエマの手に視線を移し、彼女は空白の時間に何があったのかを察した。


「家出してごめんなさい。これからはママとの約束を守るから」


 圭が頭を下げる。


「まぁその、いろんなものに興味が尽きない年齢だし、仕方がないと思うんだ。一人で外に出ないようによくよく言い聞かせたから、許してあげてくれ」


 エマも一緒になって頭を下げる。健斗もついていけていない感はあったが、空気を読んで腰を折り曲げた。

 母親は圭の前にひざまずき、体の形に沿って優しく抱きしめた。


「当り前じゃない。私こそ、外に出たかった事に気付いてあげられなくて、ごめんなさい」


 圭が母親に抱きつき、涙と鼻水を垂らして泣き出した。頭を上げたエマと健斗が、顔を見合わせて笑った。



「本当にありがとうございました」


 母親がエマと健斗に向かって頭を下げる。二人は照れ臭そうに鼻の下を掻いた。


「よかったな」


 エマが圭に目線を合わせて話しかける。彼は決して離さないという意思を示すかのように、母親の上着を強く掴んでいた。


「ありがとう、お姉さん。今度は僕と追いかけっこをしよう。追いつけたら、一緒にデートをしてね」

「お前、たらしの才能あるぞ」


 エマと健斗は、歩き去る二人の姿を見送った。圭は見えなくなるまで、エマに向かって手を振っていた。


「生き残れよ」


 去り際に呟かれたエマの言葉が、健斗の耳に届いた。


 健斗とエマは、マンションへの帰路についていた。あまり二人だけで過ごした事がなく、共通の話題も少ないので、会話が途切れ、何度も沈黙が訪れる。

 エマが意を決したように口を開く。


「俺がある朝、急にいなくなっていたらどうする?」

「急にって言うけど、ちょくちょくいなくなってるだろ。今日だって」


 彼が圭の母親と同じように悲しんでくれるか知りたかったのだが、返って来たのは想定外の答えだった。彼女は自身の行動を恨めしく思った。


「そういえば、なんで神社にいたんだ? 偶然とか言ってたけど」


 彼女は言い終えたところで、階段を上り終えた彼の表情が、圭を見つけた母親の表情と似ていた事に気付いた。


「ひょっとして、俺の事を探していたのか?」


 エマが勢いよく振り向き、顔を覗き込む。


「そうやって馬鹿にするから、言いたくなかったんだ」


 健斗は顔を見せないように、反対側を向いた。

 エマは自分がどんな顔をしているのか確かめるため、他者のスマートグラスに投影されている映像をコンソールに表示した。そこには、だらしない笑みが漏れている自身の顔が映っていた。健斗はその顔を、馬鹿にした顔だと勘違いしたと気付く。


「これは違うんだ、馬鹿にしたんじゃなくて」

「じゃあ、なんでそんな顔をしてるんだよ」


 エマは覚悟を決め、一言一言に思いを込めて言葉を発する。


「……探しに来てくれて、ありがとう」


 気恥ずかしくなったエマは、歩みを速めて立ち去った。ぽかんとしている健斗が置いていかれる。

 まだしばらくは、感情を殺してでも居候を続けたいとエマは思った。

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