第28話 言いたい言葉

 放課後、私の隣には昨日と同じように朝霧君の姿がある。

 事情を全て聞き終えた朝霧君は、自分が一緒なら、あの蛇がやって来ても少しは対処できるかも知れないと言って、家まで送ることを提案してきた。


 けれど私は、お母さんのお見舞いもある彼にそこまで甘えては申し訳ないと言い、結局、昨日と同じ分かれ道まで一緒に行くという事で落ち着いた。

 ちなみにあれ以来、あの蛇の妖怪は一度も姿を見せていない。


「本当に、ただの勘違いかもしれないよ」


 もしかしたら襲われたのはただの偶然で、朝霧君にも余計な心配をかけているだけかもしれない。


「勘違いだったらその方が良い。けど、何かあってからじゃ遅いから」


 朝霧君はそう言うと、鞄から何か取り出した。


「一応、魔除けの効果があるはずだから」


 それは、紙を折って作った人形だった。手の平に収まるくらいの大きさで、所々に不思議な模様が描かれている。

 多分お守りのようなものだろうけど、私が今まで買ってもらったものとは随分と違っている。どうやら、手作りのようだった。


「朝霧君が作ったの?」

「母さんがこういうの知ってて、教わったんだ」

「お母さん?」


 思わぬ言葉に息を飲む。普通はそんな知識を身につける機会なんて無いだろうし、何より朝霧君の事情を知らなかったら、こんなものを教える事もないだろう。

 という事は――


「じゃあ、朝霧君のお母さんは知ってるの? その……朝霧君が、妖怪が見えるってこと?」


 それは、私にとって信じられない事だった。私だって、今まで家族にだけでも打ち明けようかと悩んだことは何度もあった。けれどそのたびに怖くなって、結局は言う事ができなかった。だから朝霧君も、同じように家族にも秘密にしているものだとばかり思ってた。

 だけど、朝霧君の答えはさらに意外なものだった。


「母さんも昔は妖怪が見えていたらしいけど、今はもう見えないんだ」

「見えないって、どうして?」


 朝霧君の事情を知っているばかりか、お母さんも見えていたという事にさらに驚く。少なくとも、私の両親や親戚には見える人なんていなかった。だけど一番驚いたのは、今はもう見えないという事だ。


「見えなくなる方法ってあるの?」


 もしそんな方法があるのなら、ぜひ教わりたい。けれど朝霧君は小さく首を振る。


「分からない。と言うより、ちゃんとした理由なんて無いのかもしれない。今の俺達くらいのころは普通に見えていたけど、ある時を境にだんだんと見えなくなっていったって言ってた」


 具体的な方法があるわけじゃないのかと少し落胆するけど、考えてみれば当然か。もしそんな方法があるならとっくに朝霧君が試しているはずだ。


「私達も、いつかは見えなくなるのかな?」


 期待と願望を込めて言う。それは、私がずっと望んでいたことだった。いつかそんな日が来たらと、何度願ったかわからない。

 だけど朝霧君に聞いてもその答えを知っているはずもなく、何とも言えない表情を返される。


「じゃあ、朝霧君のお母さんは、妖怪のこと知ってるんだ」


 人には話せない秘密と言っていたから、てっきりお母さんに対してもそうだとばかり思っていた。だけど、一番身近な家族に打ち明けられるのは、誰にも言う事の出来なかった私にとっては、とても羨ましく思えた。


 けれどそれを聞いた朝霧君の表情は、なぜか悲しげだった。


「ああ、知ってる。そのせいで、いつも心配してるんだ。俺に何かあるたびに、すぐに真っ青になっている」


 そう言った瞬間、自分の顔が引きつるのが分かった。


「だから、もし何かあっても、なるべく話さないようにしてるんだ」


 悲しそうに、寂しそうに、朝霧君は言う。それを聞いて、朝霧君のお母さんの気持ちを想像してみた。


 きっと、妖怪の怖さを知っているからこそ、心配も大きいのだろう。今は見ることができないのなら、自分の知らないところで危険な目に遭うんじゃないかとなおさら不安になるのかもしれない。


 私も、家族に打ち明けようかと迷っていた時の事を思い出す。思えば、言えなかったのは、信じてもらえないのを恐れてだけじゃなかった。もし信じてしまったとしたら、私が服を汚すたびに、帰りが遅くなるたびに、何があったんじゃないかと心配させてしまう。そう思うと怖かった。


 今日だって、私が体育の途中で倒れたと聞いた朝霧君は酷く心配していたけど、秘密を打ち明けるということは、それだけ多くの人を心配させるという事にもなる。

 多分それは、信じてもらえない以上に怖い。

 だから言えなかった。大切な人たちだからこそ、黙って隠し通すことにした。


(ごめんね。私、朝霧君のこと、羨ましいと思った)


 知っているからこその不安。自分も何度も考えた事なのに、気づけなかった。そのことが恥ずかしい。

 思わず俯いた私の顔を、朝霧君は不思議そうに覗きこんだ。


「俺、何か変なこと言ったか?」


 そんな的外れなことを言って、心配そうに見つめる。私は恥ずかしさをこらえながら、なんでもないと返した。


 だけど、朝霧君の話を聞いて一つ不安に思ったことがある。


「それじゃあ、私のそばにはいない方が良いんじゃないの?」


 お母さんに心配を掛けたくないのなら、妖怪から狙われているかもしれない私からは、できるだけ離れた方が良い。それに今更かもしれないけど、朝霧君にはこうして私に協力する理由なんて何もない。


「近くにいたせいで朝霧君まで危ない目に遭うんなら、そんなの嫌だよ」


 両親が死んだ時の事が頭をかすめる。もうあの時のように、自分のせいで誰かが傷つくのは見たくなかった。


 だけどそんな私を見ながら、朝霧君は言う。


「五木が、俺がいて迷惑だって思ったなら言ってほしい。妖怪のことなんて、今まで誰かと話したこと無かったから、どこまで踏み込んでいいのか分からないんだ」


 それは私も同じだった。人から妖怪の事で心配されるのなんて初めてで、どこまで頼っていいのか、あるいは全て断った方がいいのかなんて分からない。


「けれど、巻き込むのが嫌だからとか、危険だからとか、そういうのは考えないでほしい。もしかしたら、俺でも力になれるかもしれない。そう思いながら、何もできないのは嫌なんだ」


 それを聞いて、私は少しの間固まる。何それ、そんな言い方ずるいじゃない。


 迷惑かと聞かれたら、そんなことは決して無い。むしろ嬉しいと思ってる。迷惑なら断ってなんて、そんな事を言われたら、むしろ頼ってしまいたくなる。


 動揺している私を前に、朝霧君はそこまで言うとサッと顔を伏せた。そして、詰まりながら小さな声でつづけた。


「だから……五木が嫌じゃ無ければだけど……力になりたいんだ」


 なぜか、最後の方は消え入りそうなくらいの小さな声になっていた。顔もさっきから下げたままで、一向に上げようとしない。

 いったいどうしたのだろう。さっきまで抱いていた迷いも忘れ、朝霧君の顔を覗きこむ。すると朝霧君は、顔を真っ赤にしながら目を泳がせていた。


「なんか俺、すごく恥ずかしいこと言ってる気が……」


 そう言って、口に手を当てながら照れている。たしかに、さっき自分に掛けられた言葉を冷静になって思い返してみると、私も少し気恥かしくなる。

 だけど朝霧君の動揺はそれ以上だった。今の表情を見られたくないのか、必死で顔を逸らそうとしているけど、残念ながら全部見えている。


「……ぷっ」


 朝霧君のそんな姿を見て、私は小さく噴き出した。力になりたいと言ってくれた時はかっこよく思えたのに、その後にそんな顔を見せられたら台無しだ。


「……五木、もしかして笑ってる?」


 恥ずかしがる朝霧君の姿を見て、これはいけないと思って口を押さえる。押さえてはいるけど、塞いだ口からは噴き出た吐息がしっかりと漏れだし、笑っているのを全く隠せてない。

 恥ずかしいというのは分からなくないけど、なにもこのタイミングでこんな照れ顔なんて見せなきゃいいのに。


「ご……ごめんっ。そんな……つもりじゃ……くっ」


 完全に笑いのツボに入ってしまい、吹き出すのは一向に収まらない。

 一方朝霧君はというと、ますます顔を赤くしながらじっと抗議の視線を向けてくる。さすがにこれ以上笑い続けるのも悪いと思い、後ろを向きながら、必死で呼吸を整えた。

 それにしても、朝霧君の照れ顔は今までにも何度か見てきたけど、意外と感情がそのまま顔に出るタイプみたいだ。


「と……とにかく、迷惑とか、巻き込むとか、そんなこと気にする必要はないから」


 まだ顔に赤みを残しながらも、それを断ち切るように言う朝霧君。真面目な話をしていたはずなのに、なんだかおかしな空気になってしまった。それでも、変な緊張感が無くなったのは良いことかもしれない。


「……頼っていいの?」


 私も、真面目な顔に戻って言う。力になってくれるのなら、心強くて、ありがたくて、嬉しい。


「頼ってほしいんだ。俺も今まで、妖怪が見えるせいで辛い思いもしたし、怖い目にもあった。だから、五木が同じように危ない目にあっているのに、それを黙って見ているしかないのは悲しい」


 返答に迷う。朝霧君はそう言うけど、そのせいで危険な目にあわせたくはない。たとえ本人がそれを受け入れていたとしても、私は嫌だ。

 だから、一つ条件を出す事にした。


「約束して。もし危ないと思ったら、絶対に逃げて」


 これが私の決めた頼り方だった。一人で立ち向かえるような勇気もなく、だからと言って全てを預けて寄りかかりたくはない、中途半端なものだ。


 けれど朝霧君はそれに頷いた。


「いいよ。五木が迷惑って思ってないなら、それで」


 それを聞いてやっぱり嬉しくなる。こんな風に誰かを頼れるなんて、今まで考えたことも無かったから。

 でも、朝霧君の言い方に一つだけ気に入らない所があった。


「それ、やめて」

「え?」


 朝霧君は何の事だかわかってないみたいだけど、私にとっては重要なことだ。


「迷惑掛けてるのはこっちなのに、なんで朝霧君がそんなこと言うのよ」


 私が頼ってるんだから、「迷惑と思ってないなら」なんて、朝霧君が言う事じゃない。


「ごめん」


 だから、どうしてそこで謝るのよ。私は謝ってほしいんじゃなくて、ただ自分が言うべきことを言いたいだけだった。それなのに朝霧君がこんな調子だと、とても言い出せなくなる。


「そうじゃなくって、私は……」


 なんだかまた変な空気になってしまった。

 もういい。話の流れも脈絡も関係ない。さっさと言ってしまおう。

 私は、朝霧君に顔を近づける。朝霧君は驚いた顔をしたけど、話にならない君が悪いんだから、これくらいいでしょ。

 そう思いながら、一言告げる。


「私はただ、ありがとうって言いたかっただけよ」


 伝えたかったのは、ただそれだけ。朝霧君があんな言い方をしなければもっと素直に言えたんだから、言い方が強引になった責任は知らない。


 私は前を向くと、もう残り少なくなった帰り道を再び歩き出した。

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