1.3 僕らとの出会い

 男性達がテーブルから立ち退こうとしたそのときに、ちょうど女性が後ろにズッコケた。

 女性が持っていたビールグラスは宙を舞い、ビールは見事に私の脚にかかった。女性の厚底でヒールの高いサボサンダルも脱げて、こちらに転がってきた。いかにも歩きにくそうなスタイルだけど、この女性にはとても似合っていて、可愛いと滝藤は思った。

 滝藤はサンダルを拾いあげ、一人の男性に抱えられて起き上がろうとする女性の足元に差し出した。

「あ、ありがとうございます。」

「いえ、どういたしまして。」

 女性にお礼を言われた。

「そちらまでビール飛んでますよね?」

「あー、まあ、少しかかりましたけど、今日洗ってしまえば大丈夫ですから。」

 滝藤はベージュのロングスカートにかかったビールをハンカチで押さえつけながら、拭き取る。

「ほんと、申し訳ないです!クリーニング代お支払いします!」

「いえ、色染みしないと思いますから、結構ですよ。」

「それじゃあ、私の気が済まないので、よかったら一杯おごらせてください!」

 女性から一杯おごってもらうのって、あまりないな、と滝藤は考えた。男性も何人か申し訳なさそうにこちらをみている。

「では、お言葉に甘えさせてもらおうかな。私、滝藤桜といいます。」

「私、大塚おおつかみずえ!何飲みたいです?」

 大塚は水を得た魚のように声のテンションをあげてきた。

 

「すみません。」

 男性陣からも謝罪され、ずっと彼らはこちらを見ている。

「私、ビール!桜は?」

「では、私はカシスオレンジで。」

 高校の友人くらいしか下の名前で呼んでこないから、滝藤は目が点になった。大塚は非常にフランクだ。

「おまたせしました。」

 店員は片手ずつグラスの底をスライドさせて、サーブしてくれる。

「よかったらあっちのテーブルで飲まない?」

 大塚は顎をつかって、男性陣のテーブルのほうを指した。

「(さっきの話、聞けたりするのかな。)ええ、よければ。」

 大塚はグラスを両手で持って、ゆっくりと歩く。きっと二度と転けまいと考えているのだろう。


 男性陣の一人が大塚に駆け寄って、そっとグラスを取り上げて運ぶ。少し狭いがテーブル席に7人が着いた。

「みずえが転んだことによって生まれたこの出会いに乾杯!」

「うーっす」 

「うぇーい」

「よろしく」

「では、あらためまして。私、滝藤桜といいます。仕事は情報セキュリティの仕事をしています。」

 いつも、知人や友人にはこのレベルの自己紹介しかしない。


「へー、具体的には何をやってるの?ペンテスター?フォレンジッカーとか?」

 一人の男性が口を開いた。そうか、ここは情報セキュリティに関わりのある人が集まる場だった。


 なお、ペンテスターとは特定のサイトに対して、実際の攻撃を仕掛けて脆弱性を発見することを目的とするものをいう。

 フォレンジッカーとはハードディスクやメモリ、またログと呼ばれるコンピュータのアクセス履歴やイベント履歴等から、分析するものをいう。


「えっと、とあるECサイトの運営会社でメインはネットワークエンジニアですが、最近はインシデントハンドラーとしての仕事も少し担当しています。」

 ネットワークエンジニアとはネットワーク機器等のシステム運用や保守を行い、何かしらの障害、あるいはインシデントが発生した際に対応を行う。

 インシデントハンドラーとはインシデントが起きる予兆、あるいは起きてしまった際に素早く対応し、該当するシステムの管理者と連携の上、安全に復旧を行うものである。


「へー、担当者間の調整とか大変っしょ。わいもいつも難儀にしてるんやわ。」

 関西弁の男性、関西人色が濃い。この人も同じインシデントハンドラーなのか。滝藤はほんの少し親近感が湧いた。

「そうです。ただ、色々と職場に嫌な思いをしていて、仕事を辞めようかと考えているんです。」

「あら、勿体無いじゃない。といっても、あなたの仕事を理解してないから、なんとも言えないけど。」

「もし、事情を説明してくれたりするのなら、少しは何か手助けできるかもしれないけど。」

 もとは今日は仕事の愚痴を言うために渋谷に来たのだ。しかも、この人達は情報セキュリティの仕事をしているみたいだし、もしかすると?そう思った滝藤は、飲み始めた二杯目のカシスオレンジを一気に飲み干す。酒の力を借りて愚痴りたいところだった。

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