第24話 お使いの少女
***
包帯の下から現れた肌に、桃色の線が走っている。ランタンの灯りに浮かび上がるそれにそっと触れてみると、かすかな凹凸があるだけで傷跡はもう滑らかにふさがっていた。足に負っていた怪我は肩のものよりずっと深かったが、もう痛まない。無理をしない限り数週間のうちには元のように動けるようになるだろう。嬉しさと同時に、不安が胸をよぎる。
花祭まで、十日を切った。けれど、エイラとはあれきり会っていない。こちらから連絡を取ることも出来ず、あの約束が叶うかもわからない。
明かりを消し、ベッドに潜り込む。久しぶりに冷え込む夜だった。冷えたつま先をこすりあわせ、薄い毛布を肩まで引き上げた。口元にかぶせると、息の温みがふわりと広がる。強い風がドアを叩いている。隙間からも吹き込み、目蓋を冷やした。もう怪我は治って、痛みも消えたはずなのに、何故か胸がざわついて眠れそうにない。なんとかして眠ろうと目を閉じたとき、ドアを叩く音が聞こえた。
はじめは風が立てる音かと思ったが、その音は何度も繰り返される。ベッドから立ち上がり、静かにドアへ歩み寄ると、簡素な鍵を回して細く開く。
「あっ……ロタ・ゼネル様、でいらっしゃいますか?」
ドアの前に立っていたのは、小柄な少女だった。片手にランタンを持ち、厚い上着を身体に巻きつけるようにしている。小刻みに震える様は小動物のようで、思わずを落として目線を合わせる。少女は驚いたように身を引き、唇を引き結んだ。
「はい、そうですが」
「と、とある方からのお手紙をお預かりしています」
歯の根も合わないほど震える彼女が心配になり、ほとんど話も聞かぬうちにドアを大きく開いて招き入れる。
「それより、中へ。凍えてしまいます」
「でも」
そのとき、冷たい風がごうと吹いた。
「今夜は冷えますから」
ためらう少女に、なるべく優しく笑いかけてみせる。
「……じゃあ」
恐る恐る、といった風に少女が部屋に足を踏み入れる。風を締め出そうとしてドアを閉じると、少女はその音にびくりと肩を縮ませ、怯えたように身を引いた。
確かにロタは背は女にしては高いし、体つきも女らしいとは言いがたい。けれどここまであからさまに怯えられると少し落ち込む。壁を背にして黙りこんだままの少女を横目に、ロタはランタンに灯りを点した。
「それで、手紙って」
「これです」
せっかく引いた椅子に掛けもせず、少女は慌てて服の内側から小さくたたまれた紙を取り出した。差し出された手紙を受け取り、そっと開く。ランタンの灯りに近づけて中身を確かめ、ため息をついた。
「あの、」
声をかけると、少女は警戒を滲ませた瞳でこちらを見た。
「お願いがあるんです」
「……なんですか?」
「これ、読んで頂けますか? 私、字が読めなくて」
少女は大きな瞳を数度瞬かせ、そろりと近寄ってきた。
「読んでもいいのですか?」
「お願いします」
細い跡は美しいと思ったが、流麗すぎて知っている文字を拾うのですら難しい。
自分の名前すら書くのがやっとなロタには、模様のようにしか思えなかった。
「……それなら」
「ありがとうございます」
少女はもう一度ロタを見てから、紙切れの上の文字を声にだして読み始めた。
「ロタへ。花祭の日は暇が頂けましたので、いつもの場所で会いましょう。始の鐘が鳴る頃に。目一杯おしゃれをしてくること……だそうです」
途端に、胸がいっぱいになる。
「やった!」
嬉しさのあまり、思わず隣にいた少女を抱きしめた。
「きゃっ」
慌てて手を離す。少女の警戒を逆撫でるようなことをしてしまった。
「ご、ごめんなさい。つい」
言いながら顔色を伺うと、意外にもそこには親しげな笑顔が浮かんでいた。
「可愛い方なんですね、あなた」
「え?」
子リスのような愛らしい少女に、自分のような大きな女が言われる言葉ではない。
ぽかんと口を開けてしまう。
「ごめんなさい。実は、エイラ様みたいな上品な騎士様がどうして野蛮で恐ろしい下級騎士なんかに用が、と思ってたんです」
「ど、どういうことですか」
少女はもじもじと指先を絡ませながら目を伏せた。
「だって、下級騎士ってみんな乱暴だって、」
「そんなことないですよ!あ、でも普通の子に比べたらそうなのかな」
言いながら不安になってくる。しかし、少女はこちらを見て、こらえきれないというふうにくすくすと笑い出した。
「何がおかしいんですか……」
途方に暮れて眉を下げる。少女はまだ楽しそうに口元を押さえながら、ぺこぺこと頭を下げた。
「ごめんなさい、あなたがあんまり慌てるから。……あ、私、ハイケっていいます。
宮殿に侍女としてお仕えしてます」
えへへ、と笑ってハイケは小さく一礼してみせた。
「わ、私はロタです」
「知ってます」
「あ、そっか……」
ハイケはまたくすくすと笑い始める。
「そうですよね、エイラ様のお友達なのだから、可愛い方に決まってました」
にこにこと楽しそうなハイケは、ようやく警戒を解いたようだった。
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