第18話 兵の帰還

 帰還した皇都騎士団は、およそ半数が城壁内のはずれにある宿舎へと戻り、残りの半数は傷病者棟に運び込まれたと、すれ違った騎士に聞いた。彼らは皆一様に疲れきった顔をして、エイラが高位騎士であると気付くと忌々しげに目を逸らした。荷物を置くついでに羽織った黒い外套の襟を寄せ、胸につけた紋章を隠す。


 嫌な予感がして傷病者棟へ向かうと、聖戦前はあれほどがらんとしていたその場所は、傷ついた騎士たちで溢れかえっていた。心臓が、気持ちが悪いほどに激しく打つ。外でしゃがみこんだり、うろうろと歩いているのは、傷の軽い者達だろう。それでも、彼らはあちこちに血の滲む包帯を巻きつけている。その間をすり抜けながら、エイラはひたすら自分の求める顔を探した。


「嬢ちゃん」


 聞き覚えのある声にはっと振り向く。すぐ後ろに、肩に包帯を巻いたフレックが立っていた。


「おう、やっぱりあんただった。最上級騎士がどうして来た? 皆気が立ってる。一人じゃ危ねえよ」


「ねえ、ロタは」


 駆け寄って問うと、フレックは目を逸らした。


「……ああ、あいつか」


「ロタはどこ。無事なの」


 言う間に、悪い想像ばかりが頭のなかを駆け巡る。それでも、聞かずにはいられなかった。


「ついて来い」


 フレックは浮かない顔のままエイラに背を向け、歩き始めた。言われるままにその背を追う。


 傷病者棟の中は、ベッドの上でうめき声をあげる重傷者達と、急ぎ足で動き回る看護の女達とでいっぱいだった。消毒液と布を抱えて通り過ぎる女にぶつからないよう気をつけながら、周りを見回す。


「ひどいもんだろ。これでも、ここにいるのは運の良い奴らなんだぜ。帰って来られなかったのも、たくさんいた。死体もほとんど持ち帰れなかった」


 フレックは苦々しげに息をつくと、エイラを振り返った。大部屋の一つに足を踏み入れる。


「ほら、ここだ」


 いくつも並ぶベッドの全てに、怪我人が横たわっていた。ふらりと一歩進み出て、一つ一つ、顔を見ていく。どの顔も、苦しげに歪んでいたし、そうでなければ力尽きたように眠っていた。表情が見えないほど包帯を巻かれた頭もあった。髪の色を見て、亜麻色でないことに喘ぐような安堵を覚える。次のベッドを見たとき、ふとその先に目をやって、エイラは弾かれたように駆け寄った。窓から差し込む陽に柔らかそうな髪を輝かせ、ぞっとするほどに血の気の無い白い頬で、ロタは昏々と眠っていた。どうやって傍らに近づけたのかわからない。ただ、気付いたときにはロタの隣でへたりこんでいた。震える指先で、ロタの首にそっと触れ、拍動を感じる。熱い。生きている。


 下級騎士が一人、怪我をして、傷病者棟に収容されている。それだけのことなのに、全身から力が抜けて、息をするのがやっとだった。風が吹き込み、頬に伝っていた温かな雫を冷やしていく。冷えきった雫は次から次へとこぼれ落ち、外套の上を一瞬転がり、染みこんでいく。上掛けから出たロタの肩には、包帯が巻きつけられていた。


「肩と、足だ。肩は矢傷、足は斬られた。運が良かった。倒れこんだのに、とどめを刺されなかった。その傷で本陣まで戻ってきたが、それから意識が曖昧だ。目が覚めたかと思えば、なにか呟いてまた眠る。傷が膿んだり熱が長引けば、弱って死ぬかもな」


 フレックの言葉を、ただ涙をだらだらと流しながら聞くことしかできない。よろめきながら立ち上がって回りこみ、傷のないほうの腕を探り、上掛けの中から手を見つける。ぼうっと熱い大きな手を、両手で握りこむ。誰のものとも知れぬ血がこびりついたその手は、ただ温かいというだけで何よりも大切だった。この温もりが消えてしまうかもしれないことが怖くてたまらない。ロタの手を自分の頬にあて、温もりに縋る。何も見たくない。温かさだけを感じたくて、目を閉じたときだった。


「エイラさん」


 手を握りこんだまま、エイラは顔を上げた。ロタの頬は相変わらず恐ろしいほどに白い。けれど、その目蓋は薄く開き、深緑の瞳がこちらを見ていた。


「また、来てくれたんですね」


 かすれた声が、聞こえないほどの音で言葉を紡ぐ。


「ロタ」


 名を呼ぶ。目が、壊れてしまったようだ。水がこぼれるのを、どうしても止められない。


「ロタ、」


 片手をロタの手から離し、そっと頬に伸ばす。血と泥で汚れた頬に、指を添わせる。


 また、名前を呼ぶ。


「泣かないで」


 エイラの指に頬をすり寄せ、ロタはいつものように微笑んだ。一度目を閉じ、再び開いてエイラを見つめる。


「ね、泣かないで。ちゃんと帰ってきましたから」


 もう、名を呼ぶこともできなかった。唇が震える。ぎゅっと目を瞑る。


 押し殺した声でむせび泣きながら、エイラはただこの手を握るひとのことだけを想った。

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