第12話 養女のエイラ

 熱い紅茶をカップへ注ぎ、客人の前にそっと置く。逃げ帰りたい気持ちを押し込め、その人に一礼した。


 顔を上げたその人は、紅茶を持ってきたのがエイラだと気付き大げさに驚いた。


「おおなんと、久しぶりだな、エイラ!お前だとは気づかなかったよ。さすが、アスタル様の側でお仕えすると気品が違ってくるなあ。元気にしていたか」


 アスタルの屋敷の応接間で椅子に掛けているのは、ヘディン家の当主テナードであった。エイラにとっては養父だ。テナードは陽気に笑い、立ち上がってエイラを抱きしめる。はじめからエイラに会えることがわかっていながら、この反応だ。きっと、今日は『久々の親子の再会』を楽しみたいに違いない。エイラも抱擁に応え、向き合って微笑みをつくる。


「お久しぶりでございます。こうしてアスタル様のような高貴なお方にお仕えできるのは、みなお義父様のおかげです。……アスタル様もそろそろおいでのはずですよ」


 エイラの言葉で満足気に笑み、テナードはエイラの頭を撫でた。


「それでこそ我が娘……。ヘディンの名に恥じぬというものだ」


 リボンできっちりと結わえたエイラの茶髪に指を通し、テナードは懐かしそうに目を閉じる。


「初めてお前を見たとき、必ずこうなると私にはわかっていたよ……。美しくなったね、エイラ」


 テナードは嘘を言っているわけではない。本当にそう思っているのだろう。けれど、彼の言葉の一つ一つはあまりにも空虚に響く。


 ――綺麗になりましたね。そう言って微笑んだ友のことを思い出す。同じことを言っているはずなのに、どうしてこれほど違うのだろう。テナードが次々と紡ぐ美しい言葉達は、エイラにとっては限りなく無色で、味がしなかった。


 そのとき、扉が開いてアスタルが姿を現した。そちらを見た二人に、穏やかに微笑んでみせる。主人の底知れぬ笑みを助けに思う日が来るとは思わなかった。養父から逃げるようにさっとアスタルに臣下の礼をとる。


「やあ、親子水入らずのところすまなかったね」


 アスタルに向き合い、テナードも慇懃に礼をとった。


「とんでもございません。お呼び頂いたこと、誠に光至極。エイラのことも大変大切にして頂けているようで、」


「エイラは優秀な護衛だよ。有事には頼りになる剣術の腕に加え、知識も教養も申し分ない。さすがはヘディン家の息女だ」


 言いながら、アスタルはこちらにちらりと視線を送った。おおかた皮肉であろう。意地の悪さにこっそりため息をつく。


「もったいないお言葉でございます」


「さあ、今日の本題に入ろうか。エイラ、すまないがしばらく入り口を守っていてくれないか」


「かしこまりました」


 聞かれたくない話でもするのだろうか。言われるまま部屋の外に出る。ドアを閉めると、中の声はほとんど聞こえない。


 テナードから離れられて、ようやくほっとする。テナードは、僻地で摘み持ち帰った一輪の花などに、本当は興味などない。気まぐれで移ろいやすい慈悲の心は、寂しさだけを育てる。


 ふと、ロタと食べたサンドウィッチの味を思い出した。粗末で、しかし、この上なく美味しい温かな味。あれをもう一度、二人で食べたい。だが、アスタルがどうするつもりであれ、次の聖戦までには間に合うまい。半月後に迫った聖戦を思い、エイラの胸は、汚れた傷のようにじくりと痛んだ。

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