土の天秤

せん

第1章 再会

第1話 皇都にて

 灰色の雲がうごめいていた。

 影を作らない平坦な明るさが、街を冷たく照らしている。装飾性に欠けた男物のような礼服の隙間から、風が忍び込む。腰から下げた剣の柄に触れる。とうに冷えきったはずの指から更に熱を奪うほど、柄は冷たかった。

「どうしたんだい、エイラ」

 数歩前を行く主人が、石畳を踏みながら振り返る。端正な眉が、揶揄するように上がった。

「君が何かを見上げるなんて、珍しい」

 風雅な衣装が揺れる。からかう口調とは裏腹に、彼の目は僅かも笑ってはいなかった。

「いえ。……ただ、雪が降りそうな気がして」

「雪か。こんな日に国を上げての剣闘大会とは、父上も酔狂な方だ」

そう言って主人、アスタルは乾いた笑い声を立てた。皇帝の血統にありながら、愛妾の子ゆえに政治からは離れて雅を愛する風変わりな文化人。宮殿中で、ひいては都中でそう通っているこの男に別の顔があることを、エイラは知っていた。

 路地を抜けた風が、ひゅうと二人の間を通り過ぎる。一つに括ったエイラの細い茶髪が、ふわりと舞い上がった。

「しかし、寒いな」

 アスタルは大げさにぶるりと震え、襟元を寄せた。

「ですから、馬車を出せばよろしいのにと申し上げたはずです」

「だがエイラ、久々の外出だ。散歩でもと思ってしまう気持ちもわかるだろう。それとも、なんだい。避けられる人目は避けたい、そう言いたいのか?」

 穏やかな口調は、いつもと変わらずどこか底知れぬ恐ろしさを滲ませている。変わり者の庶子と陰気な護衛の女騎士。二人に向けられる視線が決して好意的でないことくらいわかっているし、とっくに慣れた。それでもいいと、決めていた。

「そういうわけでは、」

 言いさした時、前方からざわめきが風に乗って聞こえてきた。

「おや、思ったより集まっているね。顔を見せて父上に存在を思い出してもらおうかと思っていたけど、これでは紛れてしまうな」

端正な顔を笑みで歪ませ、アスタルは言った。

「お戯れを」

 アスタルが公に姿を見せるのは稀だ。現れるだけで注目の的になることは間違いがない。エイラにすら、その効果が大きいことはわかるのだ。この男がそれを利用するつもりでないはずがない。


 一歩進むたび、人々のざわめきが大きくなる。たどり着いた会場には、城下の民はもちろん下級騎士から大臣まで、様々な人々が大勢集まっていた。その輪に一歩を踏み入れると、警備の下級騎士が一斉に膝を折る。エイラは、跪く彼らの間を、アスタルの背を追いながら歩んだ。

 皇族の為に用意された豪奢な観覧席に、アスタルはゆっくりとを下ろす。高くなったその場所からは、全ての人々が見下ろせた。エイラより位の高い大臣ですら、下に見ている。

 たとえ辺境の寒村に生まれようと、孤児であろうと、この男の側にいさえすれば、この国の中枢とも言える人より高い場所に立てるのだ。何年もかけて邪魔者を蹴落とし、這い上がってきた。ならば、這い上がり続けるだけだ。

 浮き立つような喧騒の中、エイラは唇を引き結ぶ。

 今にも雪の振りそうな空の下、国中の騎士が名乗りを上げた剣闘大会が始まろうとしていた。

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