『日比月リリィの淫靡なる奇行』(8)ラブホテルでの急変


「――という事態になったから、パルム。あんた、ちょっと絵を描きなさい」


「はあ!? ふざけんじゃねえぞ! てめえ、さっき本当に絵を描く必要はないとか言ってたじゃねえか!」


 パルムが怒る。ま、当然だろう。

 しかし私はすでに、この子をコントロールするコツを把握していた。


「ヤスの魂が乗り移ったペンタブ。欲しくないの?」


「うっ……」


 案の定、パルムは勢いを失う。


「これは強烈な結びつきよ。ヤスは自分にできなかったことを、他の人に託したいと思ってる。もしあんたがヤスのペンタブを手に入れられたら、それはもうヤスと付き合っていると言っても過言ではないわ」


「それは言い過ぎじゃねえかな……」


「いえ、むしろ過小表現かも。だってイラストっていうのは、あいつに言わせれば生命なのよ。あいつのペンタブと、あんたの手によって産み落とされる生命……それはもう、二人の子どもと言ってもいいんじゃないかしら」


「アタシたちの子ども……」


 ぽつりと言ってから、さっと顔を赤くするパルム。

 いまさらだけど、パルムは子どもがどうやってできるかは知っているんだろうか?

 いや、まあセッ●スと聞いて焦っていたわけだし、そこは大丈夫か。まさか、この年齢までコウノトリが運んでくる~みたいなことを信じているはずもないだろう。


「どんな手を使ってもいいから、ヤスのペンタブを手に入れるのよ。大丈夫、私も夜美ほどじゃないけど、イラストは描けるから。教えてあげるわ」


「リリィが?」


「そうよ」


 ……手取り足取りね。

 私は内心で舌なめずりしながら、キラキラと瞳を輝かせるパルムを見つめた。


「そうか! リリィが教えてくれるなら、何だかいける気がしてきた!」


「ちなみに、あんたってイラストを描いたこととかないのよね?」


「そりゃ、ねえよ。習い事はピアノとバレエだけ」


 うーん、この英才教育。

 私はカバンからシャーペンとノートを取り出し、パルムにずいっと差しだした。


「ちょっと何か描いてみて。想像で描いてもいいし、何かを模写してもいいわ」


「じゃあ、お前を描いてやる」


「……へ?」


「動くなよ」


 パルムは「よーし」と意気込んでシャーペンを握ると、私の顔をジロジロと見つめてくる。そしてしばらくしてから、難儀そうな顔をしてぽつりと呟いた。


「……前から思ってたけど、お前って綺麗な顔してるよなあ」


「えあっ!?」


 突如として発せられたパルムの言葉に、意表を突かれる。


「なんか大人っぽいし。髪が長いのがいいのかな? アタシも髪伸ばそうかな」


「ぱ、パルムはそのままで素敵よ……」


 無邪気に八重歯をのぞかせながら、外にはねた自分の髪を指でクルクルと弄るパルムに、私は必死の思いで言葉を返した。

 この子、まさか天然ジゴロ属性まであるっていうの……? でも、ダメよ……落とされるのはあんたなんだから……。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら、手を動かすパルム。ときおりこちらを見つめては、ふむふむと可愛らしく頷いていたりもする。


「――できた!」


「見せて」


 私は引ったくるようにして、ノートを受け取った。パルムの目に私がどう映っていたのか、気になってたまらなかったからだ。

 ノートに描かれた絵を見た瞬間、私は驚きでハッと息を呑んでいた。


「ぱ、パルム……あんた、ほんとに絵を描くのは初めて……?」


「そうだけど」


 そこには、あまりにも写実的に切り取られた私の似顔絵があった。


「ま、まさかこんなに上手いなんて……」


「それ、上手いって言っていいの? そっくりの絵なんて、写真でいいってなるじゃん」


「何言ってるのよ。見たものをそっくりに描くのが、絵の世界でどれだけ大変か……」


「あるものをそのまま描くなんて、誰でもできるだろ? 夜美はないものを描いてるからすごいんじゃねえの?」


「夜美がすごいのはまた別の話として、絵の基本はなによりも模写なのよ。模写に始まり、模写に終わるって言うくらい。それが初めてでここまでできるってのは、とても信じられないことだわ……」


 かく言う私も、ここまでの模写はできない。パルムの画力は、すでに間違いなく私を超えている……。

 そんなことを考えている間に、パルムは私の手からひょいとノートを取り、今度はラノベの表紙を模写し始める。

 白紙のページに、徐々に彼女のお気に入りだという「あまみ」の顔が出来上がっていく……。


「このまま描いてもつまんねえな。身体は、ちょっとポーズを変えてみたい」


「描けるの?」


「だから、見ないと無理だって……あ、そうだ! そしたらリリィがここでポーズを取ればいいじゃん!」


「ど、どういうこと?」


「『あまみ』の顔の下にお前の格好を模写するってこと。それだったら、見ながら「あまみ」の違うポーズを描けるだろ?」


「『あまみ』と私じゃ、等身が違うと思うけど……」


「お前の身体は、ちょっと小さく描くし。あ、でも、胸がでかすぎるか……」


 パルムは、うーんと唸った。


「その胸、サラシで潰したりできねえ? 邪魔なんだけど」


「……してもいいけど、ここじゃ無理よ。二人っきりになれる場所じゃないと」


「二人っきりに?」


「……いい場所を知ってるわ。パルムがどうしてもそこに行きたいって言うなら、連れて行ってあげてもいいけど?」


「ほんと? そしたら、そこに行こうぜ」


 ――何という急展開! こちらが邪な目を向けているとも知らずに……パルムは墓穴を掘り、自らを窮地に追いやったわけだ。


 ※


 しばらくして、私たちはラブホテルの一室にやってきていた。

 未成年だけれど、まあ私たちはサキュバスだし。人の法など、サキュバス界闇の権力にかかればどうということはないのである。


「な~んだ、二人っきりになれる場所ってホテルか~」


「ただのホテルじゃないのよ。ここは愛し合うことに特化した場所なの」


「愛し合う? どういうこと?」


「つまり、セッ●ス用ってことよ。場所がないことには、やりたくてもできないでしょ? ここは人々の、そういう需要を満たしてあげてるってわけ」


「は、はあ!?」


 案の定、パルムはすっとんきょうな声を出す。

 それから、見る見るうちに顔を真っ赤にしていった。

 私は素知らぬふりをしながらベッドに腰掛けると、一つずつシャツのボタンを外していく。


「お、おま! ななな何脱いでるんだ!?」


「何って、脱がないと胸をつぶせないでしょ?」


 わたわたと慌てふためくパルムにもよく見えるよう、私は下着姿のまま胸を張った。


「ねえ、そこのバスタオル取ってくれる? それをサラシ代わりにするから」


「わ、わかったけど、ちょっと待っ……」


「なんでそんなに慌ててるの? 別にここには、やましいことをしに来たわけじゃないっていうのに」


「そ、そうだけど……」


「……それとも、ひょっとしてそういう気分になっちゃった?」


 下着姿のまま、ずいっとパルムに迫る。


「な、何言ってんだ、ばか! アタシたち、女同士だぞ!」


「それが? さっきも言ったじゃない。同性同士の行為こそ、より崇高な営みだって……」


 パルムはパクパクと口を動かしたものの、そこから言葉が出てこないようだった。

 ……あ、これはいける。いままでの経験上、この雰囲気ならおそらく、流れのまま最後まで突き進むことができるだろう。


 ――と、そのとき。

 パルムの瞳が潤んでいるのを見て、私はなんだか急に胸が締めつけられるような息苦しさを覚えた。


 この感情が何なのか、はっきりとわからない。

 しかし、このまま進んではいけないという確かな直感だけがあった………。

 私は誤魔化すようにして、にっこりと笑顔を張りつけた。


「……じ、冗談よ。本気にした?」


「……ふぇっ……?」


「……バスタオル巻くの手伝って。一人じゃ上手く締められる自信ないわ」


 しばらくすると、ようやく心が落ち着いてくるのを感じた。

 いまの息苦しさはいったいなんだったのだろう?

 色々と考えてみた結果、これはきっと、私がパルムの自由意志による堕落を望んでいるからだろう、と自分自身を納得させた。

 そうだ、もう少しというところで、パルムの心に傷をつけてしまうところだった。

 それではダメ。あくまでもパルムには、自発的に私の胸に飛び込んできてもらわなければならないわけで……。

 それからイラストのモデルとして私を見るとき、パルムは少し恥ずかしそうな顔をしていた。

 そんな彼女はとても可愛らしい。

 突如として自分の中に芽生えた息苦しさの正体に困惑しながらも、私は改めてこの箱入りサキュバスを、己の欲求のために利用しようと決意するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る