第六章 芽吹く災い

「遅いなぁ、二人共。何してるんだろ?」

 月明かりの下、少年二人の帰りを待っている少女がいた。

 火種になる物を探してくると言って、彼らが暗がりに消えてから、もう随分経ったような気がする。だが一向に、二人が帰ってくる気配はない。

 夜空に浮かぶ月の光で、ある程度の明かりは確保されているとはいえ、辺りが暗い事に変わりはない。そんな場所に女の子一人を残して長い時間帰って来ないとは、何とも気の利かない少年達である。

「……別に一人が心細いって訳じゃ、ないもん」

 乾いた地面に膝を抱える格好で座っているリネは、誰にともなく独り言を呟いた。

 もしも今傍らに、例えばディーンがいたら、恐らく彼女にこう指摘しただろう。

 また随分とわかりやすい強がりだな、と。

 そう、本当は心細かったし、恐ろしかった。自分の周りに誰もいないのが。いなくなってしまうのが。


『どうして魔術師に関わろうとする?』


 あの時ディーンに尋ねられ、答えられなかったのもまた、恐ろしかったからだ。

 詳しく話せば知られてしまう。

 自分の過去を。

 自分の、正体を。

 そうなればきっとディーンは、恐らくジンだって、離れていってしまうに違いない。今まで出会った人々と、同じように。

 だがそれでもリネは、自分の目で確かめたいという気持ちを抑える事ができなかった。

 自分が知る『魔術師』とは正反対の、不殺という志を持った少年。彼がそれを貫き続ける理由とは何なのか。それがわかれば、自分も少しは前に進めるかも知れない。


『あの光景』を、忘れる事ができるかも知れない。


 膝を抱えている両手に、思わず力を入れてしまうリネ。一人になると、どうしても余計な事をあれこれと考えてしまうから嫌だ。

 ディーンとジンが早く帰って来てくれれば、この暗い思考の渦から脱する事ができるのだが……。

(……?)

 と、更に塞ぎ込んでしまいそうになっていたリネは、不意に違和感を覚えて顔を上げた。

 何かがおかしい。さっきまで聴こえていた虫の合唱が嘘のように、辺りはいつの間にかシンと静まり返っている。

 余りの静けさに、リネは不吉な予感がした。

 周りの虫達は、何か得体の知れない気配を察知して黙り込んでいるのかも知れない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなってきた。

(何だろう、この嫌な感じ……)

 込み上げてくる言いようのない不安が、少女を立ち上がらせる。どこへ向かえばいいのかもわからぬまま、気付けばリネは走り出していた。

(ディーン! ジン! どこにいるの……!?)




 ◆  ◆  ◆




「変革を齎すだぁ? 人をいきなり斬り付けるような奴が、そんな大層な奴だとは思えねぇけどな」

 眼の前の黒いマントの男を強く見据え、俺は警戒心を強めながら切り返した。

 何だか得体の知れない奴だ。その身から発している雰囲気が、今までに接したどの人間とも違う気がする。

 相手の挙動に注意を払いつつ、俺は肩越しに背後を振り返った。

 地面に片膝を付いたジンの傍に倒れている長髪の男は、見るも無残なほど、紅い血で身体を汚している。左肩から胸に掛けて斜めに走った剣線からは、今も鮮血が流れ出ているようだ。

 血の量から考えても、明らかに命に関わる重傷だろう。容体を見るジンの顔色が、それを如実に表している。

「貴様こそ大層な口の利き方だな。ガキにしては中々見所のある奴だ」

 余裕を感じさせる男の口振りに、俺は視線を戻した。相変わらず表情を覗く事はできないが、恐らく男はその顔を歪め、面白そうに笑っているんだろう。

「だが残念だな。目撃されてしまった以上は、口を封じるしかない」

 まるで冷気を帯びているかのような声で言い、男はマントの内側から、再びロングソードを引き抜いた。

 死神を思わせる出で立ちが、背筋を微かに震わせる。

「恨むも呪うも好きにしろ。せめて一瞬で楽にしてやる」

 戦闘開始の合図だと受け取った俺は、粘り付く畏怖を振り払い、叫んだ。

「離れろジン!」

「!」

 一言でこちらの意図を察してくれたジンが、長髪の男を抱えて後方へと距離を取った。

 それを見計らい、俺は自分の周囲に炎の渦を生み出した。速攻で戦いを終わらせるため、即座に『深紅の流星クリムゾン・レイン』の発動を選ぶ。

 と、その時だった。

 今にも斬り掛かって来ようとしていた黒いマントの男が、唐突にその足を踏み止めた。

 俺の『魔術』に恐れを成したから、ではないだろう。その証拠に、男は小刻みに身体を揺らして、高笑いをし始める。

「クク……、クハハハハハ。クハハハハハハハハッ!」

 男の奇妙な反応に、俺は眉根を寄せた。その声色通り、こいつは何かを楽しんでいるようだ。

「……何がおかしい」

「信じられん! 貴様のようなガキが『魔術師』だという事にも驚いたが……、まさかよりにもよって、『深紅魔法』の使い手とはなぁ!」

「!?」

 俺は驚きのあまり、予備動作の途中で固まった。と同時に、発生していた炎の渦が、尻すぼみに勢いを弱めていく。

 一体どういう事だ? こいつは俺の炎を見ただけで、それが『深紅魔法』であると簡単に言い当てやがった。

 今まで戦ったどんな相手、例え俺と同じ『魔術師』でさえ、これが『深紅魔法』だと気付いた者は一人もいなかった。なのにこいつは……!

「これはまた、随分と因縁めいた巡り合わせではないか。思わぬ所で思わぬ人物に遭遇する。これほど数奇な運命も、そうは起こり得まい」

「あんた、一体何者だ! どうしてこの力が『深紅魔法』だってわかった!?」

「……そうだな。特別に、貴様には名乗っておいてやろう」

 そう言って、男は鎧をまとった左手でフードを捲った。松明の明かりに晒され、男の短く尖った山吹色の髪が露わになる。

 年の功は、三十代前半と言った所だろうか。やや堀の深い顔立ちは、男の武骨さを感じさせるが、同時にどこか高貴な気配を漂わせている。

 不敵な笑みを湛え、男は落ち着き払った口調で言い放つ。

「俺の名は、アーベント・ディベルグ。政府の人間共がテロリストと呼ぶ輩、『反王族軍』のリーダーだ」

「『反王族軍』……?」

 それはつまり、現政権に仇を成す者という事か。

 否応なく、警戒心と緊張感が高められていく。

「なぜ『深紅魔法』だと気付いたのかと問うたな? 何、然して難しい話ではない。単純に、炎の集束の仕方が同じだったからさ。あの女……、ミレーナ・イアルフスが使っていた『魔術』と」

「! あんた、ミレーナと直接会った事があるのか?」

「あるとも。忌々しい仇敵だからなぁ、あの女は」

 ミレーナの事を仇敵と表現する相手。こいつ、まさか……!

 アーベントと名乗った男の素性に、とある可能性を見出だした瞬間だった。

 呆然とする俺を嘲笑うかのように、アーベントはロングソードの切っ先を、こちらに向けようとする。

 だが――

「『白滅剣はくめつけん』!」

「!」

 頭上から降ってきたのは、猛るかのようなジンの叫びだった。

 彼の両手に握られている、刀身が黒と白の二つの剣。ジンは左手に握った刀身が白い方の剣を、地上のアーベントに向けて振り下ろした。

 直後、白い光と共に衝撃波が押し寄せ、俺の目の前で弾け飛ぶ。

 一瞬両腕で顔を覆ったが、すぐにその腕を退けて前方を見た。

 三メートルほど離れた位置に、片膝をついて静止しているジン。降り下ろされた白い剣は、アーベントの身体――ではなく、乾いた地面を両断していた。

「アーベント、と言ったな」

 回避された事に焦った様子を見せず、ジンは立ち上がりながら、ニヤついた顔のアーベントに告げる。

「反王族、などとふざけた名前を口にする以上、容赦はしない。ここで身柄を拘束させてもらう」

「ほう? ただの旅人かと思いきや、政府の飼い狗だったか。これはまた、随分と若い人間を誑し込んだものだなぁ、元老院は」

「口を慎め。テロリスト風情が調子に乗るな」

「これは失礼。だが生憎、政府の飼い狗如きに興味はない。邪魔をしないでもらおうか!」

 吠えると同時に、アーベントはジンに向かって斬り掛かった。

 上段から放たれた斬撃を、ジンは両手の剣を交差させて受け止める。が、相手の斬撃が重かったのか、彼の身体がややよろめいた。

 その一瞬の隙を、アーベントは見逃さなかったのだろう。鞭のように左脚を振り上げ、ジンの横腹の辺りに蹴りを喰らわせたのだ。

「くっ!」

 怯むジンを嘲笑うかのように、アーベントは再び左脚を振るい、ジンを遺跡の壁目掛けて蹴り飛ばした。

「あぐっ!」

「ジン!」

 叩き付けられた衝撃で、ジンは動かなくなる。意識を失ってはいないようだが、身体が麻痺して立ち上がれなくなっているようだ。

「こちらも問わせてもらうぞ、少年」

「……っ!」

 駆け寄ろうとした俺を遮るように、素早く接近してきたアーベントは、剣の刃先を差し向けてきた。鎧をまとっているとは思えないほど、アーベントは洗練された俊敏さを発揮している。

 喉許近くに鋭利な物体を突き付けられ、俺は身動き一つ取れなくなってしまう。

「貴様、さも当たり前のように『深紅魔法』を使っているが、一体何者だ? ミレーナ・イアルフスとどういう関係にある?」

「……俺は……」

 眼差しから発せられる、身体を圧迫するかのような凄まじい威圧感。

 この男、やっぱり只者じゃない。この間合いじゃあ、俺が炎を生み出すよりも先に、喉を斬り裂かれてしまうに違いない。

 少しでも距離を取ろうと、摺り足で徐々に後退を試みようとした、その時だった。

 硬直し始めていた空気を振り払うかのような破裂音が、断続的に響き渡ったのだ。聞き間違いでなければ、今のは銃声のはずだ。

 標的にされたのは、アーベントだった。現に彼は切っ先を引いて後退し、周囲の暗がりに向けて視線を送っている。

「まだ別の仲間がいたか。……どうやら長居は無用のようだ」

 ロングソードを仕舞いつつ、不敵な笑みを浮かべて告げるアーベント。彼は懐から鉄製の丸い物体を取り出しながら、俺を見据えた。

「ここで貴様らに会えたのは幸運だったよ。これから先が楽しみだ」

「! 待て!」

 アーベントが握っている物の正体に気付き、制止しようと一歩踏み出したが、遅かった。

 奴が懐から取り出したのは、手榴弾型の煙幕だった。止め金が外され、地面に落下したそれは、周囲に真っ白な煙を充満させ、アーベントの姿を覆い隠してしまう。

「安心しろ少年。俺達はすぐにまた、会う事になる」

 煙幕の向こうから響くアーベントの声が、徐々に遠退いていく。

 後を追うべきか逡巡したが、ジンの様子が気に掛かった俺は、その場に踏み止まった。剣を支えにして立ち上がるジンの許へと歩み寄り、声を掛ける。

「ジン、大丈夫か?」

「ああ、俺の事なら心配いらない。それよりも今は……!」

 やや覚束ない足取りで、ジンは光源の隅の方へと進み始める。どうやらさっきの男の容態が気になるらしい。

「お、おい。無理して動かない方が――」

「ディーン! ジン!」

 明らかに痩せ我慢をしているジンを制止しようとした時だった。ようやく晴れ始めた白煙の向こうから、心配そうな顔付きのリネが姿を現した。

 ふと視線を下げると、彼女の右手には拳銃が握られている。

「……まさかとは思ったけど、さっきの銃撃、お前だったのか?」

「うん、まぁね。何か怪しい感じの人と二人が戦ってるのが見えたから、思わず撃っちゃったんだけど……」

「思わずって……。せめて相手が誰なのか確認してから撃てよ。危ねぇ奴だな」

 銃を仕舞いながら答えるリネに、俺は嘆息しつつそう言った。

 そこでふと疑問に思う。

 こういう時、今までなら即座に何かを言い返してきたはずのリネが、どういう訳か黙り込んでいる。おまけに、何やら神妙な面持ちでこっちを見つめている始末だ。

「……何だよ。何か言いたそうな顔だな」

「ミレーナ・イアルフス」

「!」

「ディーンが捜してるミレーナさんって、『英雄』ミレーナ・イアルフスの事なの?」

 黒真珠のような瞳をこちらに向け、リネは静かにそう告げた。

 彼女の口から、ミレーナ・イアルフスという言葉が出てきたという事は……。

「さっきの話、聞いてたのか?」

 尋ね返すと、リネは無言のまま、どこか申し訳なさそうに頷いた。

 俺は思わず頭を抱えそうになった。何とも絶妙なタイミングで、聞かれたくない話を聞かれてしまったものだ。

 後回しにすれば話し辛くなるだけだ、とジンは言っていたが、まさしくその通り。

 問われている以上、下手な誤魔化しは通用しない。どうやら、腹を決める時が来てしまったようだ。

「……悪かったな、今まで隠してて。『英雄』の一人が師匠だってバレて、騒がれるのが嫌だったんだ」

「ううん、気にしてないよ。むしろ納得しちゃった。あの『英雄』のお弟子さんだから強いんだね、ディーンは」

 隠していた事を責められると思っていた俺は、微笑むリネの姿に面喰らってしまった。

 優しく、可愛らしい笑顔を浮かべている少女から視線を逸らし、俺は黙り込む事しかできなかった。

 俺は決して、強くなんてない。未だに『紅の詩篇フレイム・リーディング』を扱えない未熟者な上、今もこうして――

「おい、しっかりしろ! あの男に何を渡していたんだ!」

 暗い気分に浸り掛けていた俺は、切羽詰まったジンの声で我に返った。

 見るとジンは、地面に倒れている長髪の男に、激しい口調で問い掛けている。あの様子から察するに、恐らく男はもう、永くないのだろう。

「何だ、何が言いたいんだ?」

 男は声が出せないらしく、口をパクパクと動かすだけで、返事が一向に返って来ない。

 次第に緩慢になっていく長髪の男の動き。少しでも手掛かりを掴もうとするジンを嘲笑うかのように、やがて男の身体は、完全に動かなくなった。

 ジンは悔しそうに目を伏せると、右手で男の顔を覆うようにして、開いたままだった瞼を閉じさせた。

 あの野郎……! こうも簡単に人の命を奪うだなんて……ッ!

 アーベントと名乗ったあの男への憤りが、激しい感情の渦となって、胸の内で暴れ回る。それをどうにか鎮めていた時だった。

「あ……」

 不意に背後から聞こえた、弱々しくか細い声。何気なく振り返った俺は、そこで妙な光景を目にした。

 ついさっきまで、普通に会話していたはずのリネが、顔を蒼白く染め、何かを凝視しながら佇んでいる。その身体は、まるで何かに怯えているかのように震えている。

「あ……、ああ……」

「おい、リネ……?」

 徐々に大きくなる身体の震え。後退りし始める華奢な両足。明らかに、彼女の様子がおかしい。

 リネの視線を追って前方を見た俺は、そこでようやく気が付いた。彼女が凝視し続けているのは、絶命し、地面に横たわっている長髪の男の遺体だと。

 ある程度の修羅場を潜ってきた俺やジンと違って、リネは普通の女の子だ。何の訓練も経験も積んでいないであろう少女に、人の死に様を見せるのは衝撃が強過ぎたのだろう。

 とにかく、このままにはしておけない。

「見るなリネ。お前はここにいなくていいから――」

「いや……っ! いやああああああああっ!!」

「!」

 リネの腕を引き、その場を離れようとした瞬間だった。俺の手を振り払い、突然悲鳴を上げたかと思うと、リネは意識を失って地面に倒れ込んでしまった。

「お……おい、リネ! どうしたんだ、しっかりしろ!」

 訳がわからないまま、俺は倒れたリネの傍らに膝をつき、その華奢な身体を抱き上げた。

 柔らかい感触と共に、彼女の体温が腕を通して伝わってくるが、今はそれに気を取られている状況ではない。

 意識のないリネの身体を抱え、俺は何度も強く呼び掛ける。

 しかし、少女から返事が返ってくる事は、なかった。




 ◆  ◆  ◆




 やがて夜が明け、太陽が東の空に昇り始めた頃。俺達は再び、荒野の真ん中を歩いていた。



 あの後結局、リネは明け方になるまで目を覚まさなかった。

 出発の直前、俺とジンは、彼女に倒れた理由と体調を尋ねてみた。

 だが返答は――

「……う~ん、よくわかんないや。あ、でも体調はもう平気だから心配しないで。とにかく今は、早く『首都』を目指そうよ」

 というものだった。

 そんな彼女の言動から、俺とジンは言葉を交わさずにして、ある事を共通認識としていた。

 話せない、或いは話したくない事が彼女にはある、と。



 そして俺達は、半ばリネに急かされる形で首都行きを再開させたのだった。

 肩を並べて歩く俺とジンの前方。十メートルほど離れた位置には、どこか元気のないリネの背中がある。昨夜の一件が気不味いのか、彼女は終始距離を保ったまま、俺達に近付こうとしない。

 まるで昨日の自分を見ているようだと、俺は他人事のように思った。

「一体何を隠しているんだろうな、彼女は」

 しばらくリネの様子を窺っていた俺は、その声を聞いて右隣を見た。

 ジンは心配そうな表情を浮かべて、少女に視線を送っている。

「……さぁな。聞いたって答えねぇんだ。なら気にしたって仕方ねぇだろ」

 然して深く考えず、突き放すような言葉を口にした瞬間だった。ジンがやや不満そうな表情を浮かべ、問い掛けてくる。

「お前は気にならないのか? 知り合ってまだ日が浅いとはいえ、ここまで旅してきた仲だろう?」

「そりゃそうだけど、今はあいつの事よりも先に、考えなきゃいけない事がある。お前だって、それはわかってるはずだろ?」

「……」

 複雑そうな顔付きで黙り込むジンを他所に、俺は肩越しに背後を振り返った。俺達が野営した遺跡の姿は、もうかなり後方に霞んでいる。

 昨夜、リネが意識を失った後、俺達は息を引き取った長髪の男を、地面に埋葬して弔った。その上で、『首都』に着いてから遺体の回収を正規軍に依頼しよう、という結論に達したのだった。

 俺が視線を戻すと、それを待っていたかのように、ジンが口を開く。

「あのアーベントという男、お前の師匠と顔見知りのような口振りだったな」

「ああ。多分、あいつも列車テロを起こした連中と同じ、『倒王戦争』の生き残りなんだ」

 その身から放たれる威圧感と、ジンを軽くあしらうほどの力量。手合わせはほんの数分だったが、なるほどあれなら、『倒王戦争』の生き残りだというのも頷ける。

 と、昨夜の攻防を思い出したのか、ジンはやや顔をしかめながら言う。

「自らを『反王族軍』のリーダーだと称していたが、つまり奴こそが、今回の一件の首謀者だという事か?」

「あれだけ堂々と宣言してやがったんだ。誰かの身代わりでもない限り、そう考えるのが自然だろ」

「……」

 確信を持って答える俺を他所に、ジンは難しそうな表情を浮かべて黙り込む。

「何だよ。お前まさか、まだミレーナがこの件に関わってるって疑ってんのか?」

 彼の沈黙をそういう意味だと受け取ってしまった俺に、ジンは少々慌てた様子で頭を振る。

「ああいや、そうじゃないんだ。あの男について、少し気になる事があってな」

「気になる事?」

「奴のセカンドネーム、『ディベルグ』と名乗っていただろ? 俺の記憶違いでなければ、以前どこかで、その名を耳にしたような気がするんだ」

 ジンはどうにか記憶を引き出そうとしているようだが、やはり上手くいかないらしい。眉間に寄った皺の数が、それを物語っている。

 とはいえ、彼が他人の情報を耳にしそうな所と言えば……。

「もしかして、『ギルド』で指名手配でもされてる人間なんじゃないのか? あいつが『倒王戦争』の生き残りなら、お前の仕事に関係した人間の可能性が一番高いだろ」

「ああ、恐らくな。……だが、これ以上考えても、答えを導き出せそうにない。とにかく今は、一刻も早く『首都』に到着するのが先決だ。元老院の方々に、昨夜の件を報告しなければならないからな」

 見るからに覇気を漲らせているジンから視線を外し、俺は脳裏に、昨夜の出来事を思い浮かべてみる。

 アーベント・ディベルグ。

 対峙した際、奴は確かに口にした。ミレーナ・イアルフスは、自らにとって忌々しい仇敵だと。

 それはつまり、かつてミレーナと戦ったという事。しかも俺の『魔術』を、一目で『深紅魔法』だと見破った点から考えて、相当深い関係であるのは間違いない。

 もしもあの男が、事件の本当の首謀者で、ミレーナの目撃情報が偽装されたものだとすれば。

 あいつに聞けば、ミレーナの居所がわかるかも知れない。

 この一年、何の成果も上げられなかった師匠の行方。そこに今、一筋の光明が差し込もうとしている。まだ確定した訳じゃないが、これまでの徒労を思えば、少しは報われた気分になるというものだ。

 何にせよ、次にあの男と遭遇した時こそが、ミレーナの事を問い質す機会だ。

 と、内心で気を引き締め直していた、その時。

「なぁ、ディーン」

 しばらく黙り込んでいたジンが、再び声を掛けてきた。

 その声色、その表情から、何となく次に飛んでくる台詞が予想できるが、とりあえず俺は返事をする。

「……何だよ?」

「このまま『首都』に着けば、恐らく俺もお前も慌ただしくなって、他の事に気を回す余裕がなくなるだろう。だからせめて、今の内に少しだけでも――」

「リネに気を回してやれ、って言うんだろ?」

 ジンの意図を先読みし、俺は淡々と結論を告げる。そしてもう一度、前方を歩くリネの様子を窺ってみた。

 彼女の背中は相変わらず、近寄らないでほしい、と言いたげな雰囲気を醸し出している。

「さっきも言ったけど、本人に話す気がねぇんだ。なら何をしたって無意味じゃねぇか。……悪ぃけど俺は、そんな事で時間を浪費するつもりはねぇよ」

 少し冷たいかも知れないが、あいつが事情を話そうとしないのは事実だ。本人に話す気がない以上、周りが何を言っても無駄な事は、それを実行してきた俺自身が、一番よくわかっている。

 それに正直な所、俺にはリネとの距離感が、いまいちよくわからない。

 一人旅をしている俺にとって、人付き合いはかなり軽薄なものだ。意識的にそうしていた面もあるし、根無し草で大陸の各地を転々としていたせいでもある。

 だからこそ、初めてできた旅の同行者に対する接し方を、上手く図る事ができずにいる。

 それに今は、自分の事で頭が一杯だ。ミレーナの事も『深紅魔法』の事も、元を辿れば、そこにはどうしようもない事実がある。

 ミレーナを捜しているのは、自分が可哀想だから。

『深紅魔法』を気にするのは、自分が未熟者だから。

 俺の根底にある行動理由は、全て自分のため。

 我ながら、何とも自己中心的な人間だ。そんな自分の事しか考えられないような人間が、一体誰を気に掛けてやれるって言うんだよ。

 他人を気にする余裕なんて、今の俺にはない。自分が何をするべきなのかも、わからないんだから。

「……そうか。なら、もう俺は何も言わない。だがな、ディーン。これだけは覚えておいてくれ」

 俺の正面に回り込むようにして立ち止まると、ジンはやや厳しい表情を浮かべて、こう言い放った。


「何かを抱えて生きているのは、お前だけじゃないんだぞ」


「……!」

 瞬間、俺は全身に電流が走るかのような感覚に囚われた。

 気付いていなかった訳じゃない。ただ、ずっと目を逸らし続けていただけ。その事実を、今更のように自覚させられてしまった。

 人は誰しも、多かれ少なかれ問題を抱えている。不安を、柵を、憂いを抱えて生きている。

 かつての師匠が、そうだったように。

 ならばジンの言う通り、きっとリネにも抱えているものがある。

 だが俺は、彼女が語ろうとしない事を『言い訳』にして、それを認めようとしていなかった。目を逸らし、気付かないフリを続けていた。

 確かにリネは、何も語ろうとしない。ならばせめて、彼女が話したくなるまで、待つ事はできないだろうか? 彼女の傍らに寄り添い、見守る事はできないだろうか?

 所詮、不器用な自分にできる事なんて、高が知れている。ジンのように、気の利いた台詞なんて思い浮かばない。

 だが、それでも。

 前を歩く少女との距離は、決して絶望的なものではない。

 隣に立つには、今からでも充分、間に合う距離だった。




 ◆  ◆  ◆




 それは途轍もなく、恐ろしい光景だった。

 紅黒い血溜まりに沈む人々。どことも知れない虚空を見つめたまま動かない、見開かれた二つの瞳。辺り一面に飛び散り、視界を染める血の海。

 恐ろしくて恐ろしくて、堪らなかった。

 泣き叫んでいただろう。

 喚き散らしていただろう。

 無理もない話だ。

 なぜなら、死が蔓延している景色の中心で、膝をつく少女の両掌は。

 鮮血で紅く、どこまでも紅く染まっていたのだから。




「……っ」

 凍り付くような寒気を感じて、リネは両腕を抱えるように抱いた。微かに震えている身体を、必死に押さえ付ける。

 こんな状態でいる事を、後ろの二人に気付かれる訳にはいかない。余計な心配をさせてしまっては、いけない。

(……違う。きっとあたし、怖がってるだけだ)

 本当に恐ろしいのは、二人に迷惑を掛ける事、ではない。

 本当に恐ろしいのは、過去を知られてしまう事だ。

 少女の過去を知れば、きっとあの少年達も、今までの人間と同じ反応を見せるだろう。

(それだけは、絶対に嫌だ……!)

 身体の震えによって、歩みを何度も止めてしまいそうになる。それでもどうにか、前へ前へと進み続けていた、その時だった。

「ようやく見えてきたな」

 後ろから聞こえたジンの声で、やや俯いていたリネは、ゆっくりと顔を上げ、立ち止まった。そして眼前に広がる景色を見つめ、微かに息を呑む。

 隆起した地面が連なる荒野の中に一点だけ、白く巨大な構造物が屹立しているのが見える。距離はまだ少し離れているが、ここからでもその存在感は強く、はっきりと感じられる。

「あれが、『首都・テルノアリス』……」

 思わず独り言を呟くリネ。『首都』の姿に意識を向けたせいか、いつの間にか身体の震えは治まっている。

 と、その横を通り過ぎたジンが、十数メートル先で立ち止まり、地面に膝をついた。どうやら少し先は崖になっているらしく、ジンは下の方を覗き込むような仕草を見せている。

「どうだ、ジン。降りられそうか?」

 ジンに続き、ディーンもリネを追い越すと、問い掛けながら崖下の様子を窺おうとしている。

「ここからだと、少し高低差がある。別の場所を探した方がいいだろう」

 言いつつ立ち上がったジンは、周囲を見回しながら口を開く。

「探索は俺が行うから、二人はここで休んでいてくれ。この辺りに『ゴーレム』はいないと思うが、一応警戒は怠るなよ」

「えっ? いや、だったら尚更三人で探した方が――」

「いいから休める内に休んでおけ。『首都』が近いとはいえ、まだ距離があるのは確かなんだからな」

 引き止めようとするディーンを労うかのように、ジンは優しく笑って背を向けると、崖沿いを一人で歩き始めた。

 風になびく銀色の髪が、徐々に遠ざかっていく。

「――立ちっぱなしで待ってるのもなんだし、とりあえず座ろうぜ」

 しばらくジンの背中を見送っていたディーンが、不意に声を掛けてきた。

 彼はリネの返事を待たずに、崖の際に腰を下ろす。谷の方へと足を投げ出している辺り、高い所は平気なようだ。

「そんな所に座ったら危ないよ?」

「……とか言いながら、お前だって座ってんじゃねぇか」

 リネが隣に腰を下ろすと、それを横目で見ながら切り返してくるディーン。相変わらずな仏頂面に、クスッと笑い返し、リネは視線を前方に向ける。

『首都』までの距離は、あとどれ位だろう? 目的を果たすため、『魔術師』である少年に同行した結果、今まで一度も訪れた事のない未知なる領域へ、少女は足を踏み入れようとしている。

(『英雄』のお弟子さん、か……)

 物静かに景色を眺めている隣の少年に、リネはそっと視線を送ってみる。

 彼の正体は、『英雄』ミレーナ・イアルフスの弟子にして、『深紅魔法』の使い手だった。

 ディーンが普通の『魔術師』と違う理由。それはきっと、大陸の歴史を塗り替えた『英雄』の、弟子であるが故なのだろう。師匠の事を大切に想うその姿勢からも、彼の優しさや心根の深さが窺える。

『魔術師』は、人殺し。

 容易く奪い、消し去り、破壊する者。

 五人の『英雄』の存在によって、『魔術師』を高尚な存在と崇める人間がいる反面、ただの略奪者だと侮蔑し、恨みや憎しみを向ける人間も少なくない。

 だが今、隣に座している少年はどうだろう? 己が師匠に掛けられた嫌疑を晴らすべく、テロリストに立ち向かおうとしているその姿は、人殺しと揶揄されなければならないような人間だろうか?

(……それは、違うと思う)

 ディーンは違う。自分が知っている『魔術師』とは、思想も行動理念も違う。

 彼はきっと、壊す為ではなく、守る為に『魔術』を使っている。以前耳にした噂通り、彼は人殺しを是としない、ある意味異質な『魔術師』なのだ。

 だからこそ、リネにはわからなくなる。

 目の前の『魔術師』と、自分の記憶に刻まれている『魔術師』。一体どちらが正しい存在なのかという事が。

(やっぱり、ちゃんと話すべきなのかな。あたし自身の事を、ディーンやジンに……)

 やや俯き、難しい顔を浮かべるリネ。

 偶然だったとはいえ、ディーンは隠していた事を明かし、素直に謝ってくれた。ならばこちらも、最大限の誠意を持って応えるべきなのではないだろうか。

 だがリネには、どうしてもあと一歩が踏み出せない。自分の過去を知られてしまうと思うと、怖くて堪らなくなる。

 また失ってしまうかも知れない。

 また、独りになってしまうかも知れない。

 ならばせめて、あともう少しだけ彼らと一緒に――

 と、暗く重い思考を巡らせていた時だった。

「……まだお前に、ちゃんと礼を言ってなかったよな」

「えっ?」

 突然、隣の少年がそんな言葉を口にした。

 礼とは一体何の事だろう? と首を捻りそうになったリネは、ふと気付く。昨夜アーベントと名乗る男に襲撃されそうになったディーンを、自分は銃で援護したのだと。

 リネとしては、仲間を助けるために当然の事をしただけであり、礼を求める気など一切ない。むしろ今、初めて気に留めたくらいだ。

 思わず目を丸くするリネを他所に、ディーンはこちらに視線を向け、やや頭を下げながら言う。

「昨日はありがとな。お前のおかげで助かった」

 顔を上げ、リネから視線を逸らすと同時に立ち上がったディーンは、何かに気付いた様子で先に歩き始めてしまう。彼の進行方向に目をやると、少し離れた所でジンが軽く手を振っている。どうやら降りられる場所を見つけてくれたようだ。

 しばし呆けて座り込んでいたリネは、どこか気不味そうにしている少年の姿を、可笑しく思ってしまった。

 リネは意地の悪い表情を浮かべながら、立ち上がって少年の後を追う。

「相変わらずぶっきら棒な言い方だなぁ。あっ、もしかしてディーン、照れてる?」

「悪かったな無愛想で。って言うか、照れてねぇし調子に乗んな」

 隣に追い付いた所でそう言うと、ディーンは鬱陶しそうな顔で言い返してくる。その反応があまりにも予想通りだったため、思わずリネは、クスッと笑ってしまった。

「……何笑ってんだよ」

「べっつにー。何でもない」

 無愛想で冷たい態度。でもそれだけが、ディーンの本心という訳ではない。彼はきっと、ただ不器用なだけなのだ。

「ほらほら、早く行こ! あたし『首都』に行くの初めてだから、もっと近くで見てみたいんだよねー!」

 リネは笑顔を浮かべつつ、ディーンの右手を握って走り出した。

「お、おい! 危ねぇだろ!」

 引っ張られながら迷惑そうに言うディーンは、それでもその手を振り払おうとはしなかった。

(……そうだよね。信じなきゃ、二人の事を)

 握った右手から、ディーンの体温が伝わってくる。その温かさが、躊躇う少女の背中を押してくれた。

 この件が解決したら、二人に聞いてもらおう。包み隠さず、全てを打ち明けよう。

 自分の過去と、正体を。

 軽やかに荒野を駆けながら、リネは密かにそう決意した。

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