第十二話 アラス!
「どういうこったあ?」
女性訓練生の大量来所以降、明らかに訓練所の空気が変わっている。女性が増えるんだから、良く言えば賑やか、悪く言えばノイジーになると誰でも思うだろ? それが真逆なんだ。最初は確かに賑やかになったよ。でも、すぐに華やかさが消し飛んで、妙に重苦しいムードに変わった。こう言っちゃあなんだが、光が届かない上に水圧がどっしりのしかかる深海底にいるみたいだ。
確かに
食堂で腕組みしたままうなっていたら、キャップが隣にどすんと座った。
「よう、ブラム。どうした?」
「いや、人数が急に増えたから少しはざわつくのかと思ったら、逆に空気が重苦しくなってるんで。どうしてかなあと」
「そりゃそうさ。君以外は自分のことしか見えてない連中ばかりだ。当然こういう雰囲気になるよ」
あっさり突き放したキャップが、顔の毛をぐいぐいとしごいた。
「君はとてもよく頭が回る。ここでは数少ない、探偵のように今と先を解析できるメンバーだ。自分自身のことしか考えない……いや、考える余裕がない連中とは一線を画してる」
「そうなんですかね? 俺は、自分のことを単純バカだと思ってるんですけど」
「そらあ謙遜さ。この前の油の件を考えてみれば分かるだろ。ウォルフなら、油くすねてるやつをぶっ殺してやるで終わりだよ」
さもありなん。
苦笑した俺に向かって、キャップが大仰に両腕を広げて見せた。
「そういう君だから、訓練所の変化に気付いただけでなく、何が変化のソースになっているかを考えているのさ」
「古参のメンバーは?」
「そんなの俺の知ったことか、だ」
げ……。
「いいんだよ。連中はそれで。わがままだと言っても自分の影響圏内限定なんだ。俺を放っておいてくれれば、あとはおまえらで勝手にやれ。それが古参連中のスタンスさ」
「確かに」
「共同生活ってのは形だけ。連中は孤島で暮らしてるのと同じだよ。つまり、普通は上から伝えられるはずの情報が、新入りには何も落ちてこないんだ」
あっ! 思わず持っていたカトラリーを皿の上に落としてしまった。
かちんという耳障りな金属音が食堂に響いたが、誰も俺やキャップを見ようとしない。
「だからこういう重苦しい雰囲気になるのさ」
「それって……」
「まずいよ。思い切りね」
キャップが、苦虫を噛み潰したような表情でがっちり腕を組む。
「ただな。入植が近づいて来たから、微妙な情報はむやみに流せん。Xデイまでは紋切り型の対応しかできんのだ。綱渡りが続くな。胃が痛い」
そう言って。でかい拳で自分の腹をぼすぼすと叩き、大きな溜息をついた。
「ふううっ」
「あの、キャップ。微妙な情報ってのは?」
「君やリズ、フリーゼは薄々気付いてるはずだよ。だが、必ずしも全員には認識が共有されていない。それで察してくれ」
そうか。特に新入りは……知らないだろうな。だから、どうしても疑心暗鬼になりやすいってことか。
訓練服の胸ポケットから
「当たり。そういうこと」
◇ ◇ ◇
微妙な個人情報が絡む。そして、全員の情報を把握しているのはキャップ一人だけだ。つまり、キャップだけが訓練生全員が遅老症であることを知っていることになる。だが、今その情報を全員で共有することは不可能だ。
まだ訓練生の数が少なかった頃は、
そして、新入りの訓練を指導しているのはリズだ。彼女は容姿のハンデがあるから、余計なことを言って自分の印象を損ねることをひどく恐れている。だから、一切の無駄口抜きで淡々と指導せざるを得ない。
訓練生の数が少なければ、キャップがさっき食堂で俺と話をしたような雑談の形でケアすることができる。だがキャップにとっては近付いてきた入植を成功させることが最優先になっていて、個別のメンタルケアに踏み込む余裕がない。
情報提供者およびコミュニケーション補助役の要であるキャップとリズが、全く機能していないんだ。当然、異様な古参連中と、開き直って地を丸出しにしている俺らは、彼女たちの強い警戒対象になる。他者に対してずっと猫をかぶり続けることになるから、そのストレスが半端ないんだろう。
「それだけじゃないんだよなあ……」
俺の懸念はもう一つあった。それは、新たに着任した女性カウンセラーに関して、新入り女性の間で良からぬ噂が流れていることだ。曰く、男を手玉に取るとんでもない
ウォルフの迷惑ナンパを抑え込むために、キャップが本部に要請したカウンセラー。中年のおばちゃんが来るのかと思ったんだが、着任したのはどう見ても二十代前半の若い美人だった。
フェアリー・ロビンス。妖精という名を持つ不思議なカウンセラーは、長いブロンドヘアで目鼻立ちがくっきりしていてスタイルもいい。まるでカバーガールのような素晴らしい容姿の持ち主だ。しかし目立つ見てくれとは裏腹に人当たりがとても柔らかく、名前通りの癒し系。見た目と中身のギャップが大きいところは、リズによく似ているかもしれない。
彼女は着任早々ウォルフに密着ケアしていて、それが功を奏したのかやつのナンパ行為はぴたりと収まっている。それは確かに喜ばしいことなんだけどさ。どうにもおかしかないか?
ウォルフとの付き合いが長い俺は、あのどうしようもなく動物的で能天気なやつをカウンセリングで説得するなんざ、ワインの匂いだけ嗅いで飲むなっていうくらい無茶だと思ってたんだ。あいつはイエスノーで振り分けられる単純な理屈しか理解できないし、理解しようとしない。しっかり考えろ、想像しろってのが一切通用しない。
でもカウンセリングってのは、相手の思考と感情を引き出して示唆を与え、良い方向に導くもんだろ? 引き出せるものがほとんどないのに、カウンセリングが成立するか?
うーん、どうにもこうにも引っかかる。
そして、女性訓練生の間でフェアリーに対する良からぬ噂が流れていることが、ウォルフとフェアリーとの絡みに関係しているんじゃないかと……そう思ったんだ。
もやもやを抱え続けるのは俺の性に合わん。フェアリーがウォルフの専属というわけではないから、俺がカウンセリングを受けてもいいよな。ちょっくらフェアリーに探りを入れてこよう。自室を出た俺は、どでかい医務室の奥にひっそり増設されたカウンセリングルームに向かった。
で。その部屋の前で真っ青になった。
なんでかって? 決まってるだろ。でかいアの音漏れ放題。まさに、ウォルフとフェアリーの愛の戦場になっていたからだ。
◇ ◇ ◇
「キャーップ!!」
俺が血相を変えて所長室にばたばたと駆け込んだ時、キャップはむっつりと何かを考え込んでいた。
「ん? どうした、ブラム?」
「ウォルフのやつ、ちゃんと避妊具つけてヤってるんですかっ?」
「ああ、そっちか」
俺の懸念は、ウォルフとフェアリーの組んず解れつの方じゃない。その結果の方だ。
いいんだよ。内規で禁じられていないんだから、双方の合意があれば好きにしてくれていい。だが、それでフェアリーが孕んじまったら全てがぱあなんだ。妊娠が判明した時点で、双方の当事者は重大な内規違反者として母星に強制送還になる。それは、ウォルフがここへ二度と戻れないことを意味するんだ。
いずれ母星に帰るフェアリーはいいさ。だが社会性の低いウォルフは、母星にいられなくなったからここに逃げ込んだんだ。強制送還されれば、冗談抜きにどこにも居場所がなくなる。ヤバ過ぎだろっ!
ぐるりと椅子を回したキャップは、ドアを閉めて中に入るよう促した。
「まあ、落ち着け。座ってくれ」
俺が着座するのを待って、キャップが静かに説明を始めた。
「食堂で匂わしたが、今訓練所にいるのは全員遅老症さ」
「ええ」
「フェアリーもその例外ではない」
げ……。
「でも!」
「それと妊娠とは関係ないって言うんだろ?」
「ええ!」
「フェアリーは妊娠できない」
えっ?
「母星にいる時に、自らの意思で不妊手術を受けている」
「なんでまた」
ふううっ。キャップの溜息は、これまででもっとも深かった。
「もうすぐ入植開始ということもあって、新規の訓練生はもう来ない。フェアリーが最後だよ。そして、彼女が最後になったのにはちゃんとわけがある」
「どういうことですか?」
「
「もちろんです!」
「だが、フェアリーだけが
ざああっ。全身の血の気が引いた。
「そ、そんな」
「ただ。彼女を有罪にできるだけの十分な証拠がないんだ。だから、
「話が見えないんですが……」
ふっと短い吐息を漏らしたキャップが、唇の上で指を横に引いた。
「口チャックじゃ足らん。開かないようにステープラーでばちばち止めたいところなんだが、あいにく今は紙の時代じゃないんでね」
極力漏らさないでくれということなんだろう。頷いてソファーに深く座り直した俺に向かって、キャップが慎重に事情説明を始めた。
「フェアリーは、すでに二百歳を超えている。俺らの中では中堅クラスだな」
「そうなんですか」
「ああ。だが、外見はご覧の通りでね。恐ろしく男にモテるんだ。これまでに、十数人のパートナーと実質的な婚姻関係を結んでいる」
「へえー」
「それも、相手は大富豪の老人ばかりさ。そして、夫たちは全員腹上死している」
「げええっ!」
それだけで、俺には全容が見えた。そうか。それじゃ確かにここにしか居場所がなくなるわな。
「亡夫の遺産を相続すれば、グレイではなく黒になっただろう。だが、彼女は不妊手術を受けていて子供ができないし、残された遺産は全て相続放棄している。夫を殺害する動機がなにもないのさ。死因は全て自然死だしな」
「自然死……なんですか?」
「本当は違うよ」
あっさりとキャップが否定した。
「それは、彼女の魔女としての性質によるものだ」
「魔女!」
「そう。適切かどうかはともかく、俺はその呼称を使わざるを得ない」
「うーん」
「難しいことじゃないよ。君の
う……わ。
キャップが、俺の驚愕の表情をおもしろそうに見ている。
「若い男の精を搾り尽くしてあの世行きにしちまうと、それはものすごく不自然だ。言い逃れできないから、確実に
「策、ですか」
「そう。交際の公開性を担保するため、一般男性のアプローチは全て拒絶して自分を超お高く設定した。わたしをあらゆる面で満足させてくれる、スペシャルな人だけ求婚してくださいってね」
「どこぞの民話で聞いたような……」
「月姫の話だろ?」
「ああ、そうか」
「姫との婚姻を誇示できるのは、大金持ちのじいさんだけさ。いつ昇天してもおかしくないよぼよぼのくせして、精力絶倫を自慢する。そんな好色じいさんしか相手にしなかったんだ。じいさんたちにとっても、孕ませる心配のないフェアリーは格好のセックスパートナーだったってこったな」
ひでえ……。
「事情はわかりましたけど、大丈夫なんですか?」
「どっちが、だ?」
「もちろん、ウォルフです」
「大丈夫だよ。フェアリーのこれまでのお相手には、遅老症のやつが一人もいない。恐ろしく生命力が強い遅老症のやつから精を抜き切るには、百万年くらいかかるだろ」
ううう、冗談なんだか本気なんだかわかりゃしない。
◇ ◇ ◇
キャップの中では、ウォルフとフェアリーの睦み合いは些細なことだったんだろう。それよりも、女性訓練生の緊張緩和をどうするかの方が重要課題だったらしい。
確かに、それはひどく厄介なことだと思う。だが、フェアリーに関する噂が女性陣の間に流れたこと……それはメンバー間のコミュニケーションが機能していたから起こったんだ。つまり、情報不足による警戒心が強い自己抑制をもたらしているだけで、決して他者への関心が薄れているわけではないってことがわかる。それなら対処方法があるよな。
ということで、キャップに一つ提案をした。
これから入植にあたってペアを決めなければならないが、同性異性を問わず相手の人となりが分からなければアプローチのしようがない。自己ピーアールのできる所内電子掲示板を作ってはどうかと。その際、健康に関することは大きな関心事になるので、虚偽申告を防ぐために既往症の欄だけは各々の黒板から自動転記する。
「なるほど! そういう手があったか」
キャップは、強制力を伴う通達ではなく、メンバーの自主活動を通じて情報共有が行えることに安心したらしい。俺らが掲示板を利用するかどうかは任意だからね。
でもほとんどの訓練生は、パートナー探しに掲示板を活用するようになるだろう。そこで全員が遅老症であるという事実を知れば、異様な緊張状態は解消するはずだ。
「じゃあ、早速俺の方で整備して、アナウンスを出そう」
「ええ……」
「なんだなんだ。妙案を出したのに浮かない顔だな」
「まあね。掲示板が稼働すると、フェロモン出ちゃってる俺とフェアリーがえらいことになるでしょうから」
げんなり。
「ははは。もてもて君は大変だ」
「止してくださいよ」
「まじめな話、ペアはどうするんだ?」
「俺は消去法でいいですよ。残り物に福、です」
「残り物か……」
「たぶん、フリーゼになるでしょうね」
「は?」
それは、キャップにとってひどく意外だったんだろう。ぽかんとしている。
「なぜだ? 彼女はフェアリー以上に容姿に恵まれているぞ?」
「でも、フリーゼしか女性がいなかった時に、誰もあいつを女扱いしなかったでしょ」
「む……」
「あれからは女性しか増えてませんし、男どもは、あいつがとことん短気で凶暴なのを知ってますからね。あいつが異性をパートナーにしたいのなら、確実に売れ残ります」
「君は……いいのか?」
「俺は一向にかまいませんよ。彼女がどう判断するか、だけです」
「ふむ」
フェアリーは、愛情がどうのこうのではなく、自分が生き延びるために知恵を絞った。だが、俺やフリーゼは違う。俺たちは普通に誰かを愛したかったし、誰かに愛されたかったんだ。母星にいる間は、そのための不毛なあがきをずっと続けてきたのさ。だけど、相方との寿命差だけはどうにもならなかったんだよ。
それは……逃げるだけの生き方をしてきたやつには、どうしてもわかってもらえない。あんたは贅沢だよってね。贅沢? 本当にそうだろうか?
俺は、ゆっくり目をつぶった。
ああ、本当に
「あいつの。フリーゼの孤独は……俺が一番よくわかりますから」
【第十二話 了】
お題:ステープラー、深海、鬼(チャレンジ縛り:九題噺 追加セットは第3ポイントの紋、戦場、妖精と第6ポイントのワイン、孤島、探偵)
BGMは、Ute Lemper の I Am A Vampでお楽しみください。
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