5 落ち着けェェ!

「実は、ブローディ様に初めて会ったのはー、十歳の時であります」


 俯き加減のカミラが滔々と話し始めた。焚火が爆ぜる音とカミラの声が闇に広がっていく中、ブローディはカミラを見つめ、黙って聞いていた。


「父に連れられ王都の宮殿を訪れた際に、冬の祭りの為に稽古する騎士団でお見かけしたであります」

「……剣舞の稽古を見たのか」

「綺麗だったであります。それはもう、見惚れたであります」


 カミラがその時を思い出したのか、口もとに弧を描き、視線を真っ黒な空へとやった。


「ブローディ様はやられ役でありました。当時の騎士団長に斬られ、床に伏せたであります。でも、キレのある動き、流れるような剣筋は、幼い私でもはっきりと分かったであります」


 カミラが視線を落とし、ブローディを見つめてきた。カミラの潤んだ黒い瞳が滲ませる色香が胸の奥がざわざわと騒ぎ立てるが、拳を握りしめることでブローディは耐えた。


「美しかった、であります」


 潤んだ瞳を向けられ、あまつさえ口もとに緩やかな弧を描く笑みを向けられ、ブローディの心は乱れに乱れる。焚火に当てられ仄かに橙に染まるカミラは、地味眼鏡をかけていようが女神の如く綺麗だった。


「……お前も綺麗だがな」

「何か言ったでありますか?」


 ブローディの呟きに対し、カミラが首を傾げた。癖っけの髪がばさりと揺れる。目を閉じたブローディは黙って頭を左右に振った。

 聞こえて欲しかったわけではない。言ってみたかっただけだ。


「いや、そんな昔から知られていたとは気が付かなかった」

「初めてブローディ様を見た時に、体が衝撃で震えたのを覚えているであります」


 カミラが嬉しそうに語る。


「その時から、ブローディ様の横に立つべく、ふさわしい騎士になるべく、特訓を始めたのであります」


 ギギギと音が漏れるほどカミラが拳を握りしめた。


「……十歳のお嬢様が決心する場面じゃねえな」


 やや引き気味のブローディが呟く。


「清楚で品のある灰色の髭。鷲のように鋭く射抜く視線。長身細マッチョで引き締まった身体。何よりも、気配から漂う酸いも甘いも知り尽くした香りに、バシバシっとやられたであります!」

「……いやそれ加齢臭かもしれねえぞ?」


 黒い瞳に怪しい熱を孕ませ視線を注いでくるカミラに、ブローディは頬を引きつらせた。


「そんな事はないであります。幼いころから麗しいオジサマ方を眺めては涎を垂らしていたと、そのことが床に臥せるほどショックだった母上が語るほどには筋金入りのオヤジ専なのであります!」

「……突き抜け過ぎだ」


 固く握った右の拳を天に突き上げ朗々と語るカミラに、流石のブローディもドン引きであった。


「ブローディ様の横に並ぶにふさわしい女性となる為に、血を吐くような訓練を重ねたであります! そしてブローディ様がフリーになった今こそ、待ちに待ったチャンスなのであります!」


 言い終わると同時にカミラが焚火を飛び越え、ブローディに飛びかかってきた。


「ちょ、お前、目指す形が大間違いだ!」

「そんな事ないであります! ハァハァ」

「落ち着けェェ!」


 カミラの剛力によって押し倒されたブローディの頭は固定され、今まさに唇が奪われようとしているその時、背後の木陰から葉の擦れる音が忍び寄ってきた。


「カミラ!」

「ハイであります!」


 カミラが一瞬でブローディから身を離し、背後に跳躍し焚火を飛び越えた。ブローディは転がりざまに右腕を伸ばし、傍に置いてあった愛剣を手にし立ち上がる。カミラも愛用の二本の長剣を抜き身にした。


「狼!」


 カミラが叫ぶと同時に藪から牙をむき出しにした狼が飛び出してきた。


「ははッ! ナイスアシストだ!」


 ブローディは襲い掛かって来る狼に対して剣を突き出し、頭から串刺しにした。


「このッ! いい所を邪魔した罪は重いであります!」


 左から飛びかかってきた別の狼に対しカミラが左手の剣で牽制し、右手の剣で首を跳ねた。


「危なかったぜ。俺の貞操の危機だったァ!」


 ブローディは襲い来る狼に対し斬り落としで一頭を。刃を返しての斬り返しでもう一頭を屠っていく。


「そっちの心配でありますか!」

「当たり前だ! お前の馬鹿力には勝てねえからな!」


 怒鳴り合いながらもブローディとカミラは一撃で狼を斬り伏せていく。


「今度こそ力づくで!」

「初めては優しくして欲しいもんだな!」

「それは許可でありますか!」

「ちげェェ!」


 ブローディの絶叫と共に最後の狼が地に伏せた。 





「あ、馬ッ!」


 狼の気配が消えたことを確認した時、カミラが叫んだ。叫びを聞いたブローディは焚き火の木を引っこ抜き、木に繋ぎとめた馬へと駆ける。


「アレは大事な馬だ!」


 馬車を曳いていた馬はブローディの愛馬だ。そして仮に狼にやられてしまったら次の街までは徒歩になる。街まであと少しの所まで来てはいるがまだアジャックス領までは距離がある。失うと手痛い。

 焦ったブローディが駆け寄ると、馬の嘶きが聞こえやや興奮気味にしている愛馬の姿も見えた。


「パッと見、怪我は無いようだが……」


 ブローディは愛馬の首を撫で、興奮をおさめて間に焚き火から抜いた炎で確認した。カミラも馬の胴体を撫で、落ち着かせている。

 馬はブルルと首を振り興奮を表していたが暴れる事は無かった。


「ふぅ、無事でよかったな」

「私よりも大事でありますか?」


 安心から肩を落としたブローディにカミラからの声がかかる。


「物差しが違うもんは比較できねえだろよ」

「やった、否定されなかったであります!」


 ブローディが振り返ると、松明代わりの炎の向こう側で笑顔を橙に染めているカミラが両手をあげた。


「……その前向き過ぎる姿勢は嫌いじゃないぞ」


 腰に手を当て呆れた顔のブローディだが、カミラのポジティブな思考は悪いものではないと思っている。行きすぎなければ、という説明書が必要なことも分っている。


「まさかの愛の告白!?」

「なぜそこに飛ぶッ!」


 目を輝かせて両手を胸の前で組んだカミラの脳天にブローディの手刀が落とされた。





 身の危険貞操の危機を感じたブローディはカミラを馬車の中に押し込むことにした。言い訳は「女を表で寝かせられない」という紳士的な物だったが、実際は何時襲い掛かってくるか分らないカミラを遠ざけるためだ。

 もしくは据え膳を食いかねない情けない自我の為ともいえた。


「ブローディ様のお傍でお守りするであります。出来れば添い寝で」


 俯きながらもチラチラとブローディに視線を送ってくるカミラが、ブローディには自ら調味料を振りかけ「召し上がれ」と言っているご馳走に見えていた。だがここで襲い掛かってしまうと、自分の死後、一人残され涙にくれるカミラが想像できてしまうブローディはひたすら耐えていた。

 据え膳を前に我慢するのは流儀に反するが、それ以上の問題が横たわっているのだ。


「遠征でも徹夜はしてたろ? それにお前が御者をしている間に俺は寝てればいいんだから気にするな」


 ブローディは「添い寝」という不吉な言葉は全力でスルーした。

 少し拗ねた顔のカミラは渋々馬車の中におさめられた。猛獣を檻に入れた気分のブローディは気を取り直して焚き火の前に座り込む。


「やっぱり一緒にラブラブで寝ずの番をするであります」

「せめてあと十分ー」

「お休みのちゅーくらいは」

「いつでもウェルカムであります」


 などと馬車の窓から誘惑の言葉をささやくカミラが疲れて寝入るまで、ブローディは「あーわかったわかった」「また今度なー」と気のない返事を繰り返した。人の気も知らねえで、と心の中でボヤキながら。


「目の前の美味しそうな獲物があられもない姿でお待ちかねだが、手を出すわけにはいかねえよなぁ」


 静かになった馬車を見て、ブローディは呟く。


「あーもったいねぇ」


 ブロ-ディはごろりと横になり、真っ暗な空に浮かび上がる星の数を数えはじめた。

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