第34話


 その先にあるのは決し楽ではないと分かっていて、それでもこれが私の、私達の選んだ道だった。

 だというのに……


「今更これで良かったのかなどういう了見よ。まさか、この子に生まれてきてほしくないとか言う気じゃないでしょうね」

 殴られた頭を尚もさすっている木葉に向かって言う。すると木葉は大いに慌てた。


「違うって!俺だって生まれてきてほしいし、早く顔が見たい。抱っこだってしたい!」

 力いっぱいに言うのを聞いて、安心するし素直に嬉しかった。


「って言うか、俺がそんなこと考えてると思ってたの?」

 ジトッとした目で見てくる木葉に少し怯む。そりゃ木葉が本気でそんなこと言うはずがないとは思っていた。けれど相変わらず文句はあった。

「だったら何であんなこと言ったのよ」

 だけど、言いたい事があるのは木葉もまた同じだった。

「子供が出来ることは素直に嬉しいよ。でも、そのせいで志保には沢山の物を背負わせることになっただろ。その……ご両親の事とか」

「ああ、そのこと」


 実は私は今、両親と喧嘩している最中だった。いや、喧嘩なんて生易しいものじゃないかもしれない。

 何しろ高校生の娘がいきなり妊娠したあげくに産みたいと言ってきたのだ。おまけに相手の男、木葉については言えないの一点張りだ。もちろん木葉のことを言っても信じてくれたか怪しいけど、そんなことになったら普通の親ならまず怒る。それは私の親も例外じゃなかった。


「本当は俺がちゃんと挨拶に行って何発も殴られなきゃいけないのに、全部志保に任せてただろ。それが情けなくて」

 おかげで両親との間にできた溝は未だ残っていて、特に父親とはしばらくまともに口を聞いていない。

 それでも何度も頼んだ結果、なんとか産んで育てることは認めてもらい、こうして入院までさせてくれたのだから、感謝してるし申し訳なくも思う。

 ただ、その事で木葉を責める気は一切ない。


「アンタの事見えないんだから仕方ないじゃない。こうなるって分かってて、それでも私が望んだんだから、木葉が負い目を感じる必要なんてないわよ」

 問題があったのは両親の事だけじゃない。学校だって、こうなった以上通い続けることはできなくなった。当然友達はそれを聞いて大いに驚いたけど、こちらもやはり詳しい事は何も話せていない。

 親や世間からすれば、私のした事はバカな娘が若さに任せて犯した間違いにも見えるかもしれない。だけど……


「私は絶対に、この子を産むのを間違いになんてさせない」

 もう一度お腹をさすると、中からかすかに衝撃があった。

「あ、今お腹蹴った」

「ほんと?」


 早く外に出たいのか、この子は最近元気良くお腹を蹴ってくる。私の報告に木葉は色めきだちながら顔を近づけ、だけど決して触れることは無かった。これ以上私の生気が失われないためだ。

 そんな木葉を見ていると、ついこんな言葉が口から洩れた。


「私の方こそごめんね」

「なにが?」

 木葉は何故謝られたのか分かっていないよだ。

「だってこの子が生まれても、木葉はほとんど会えないんでしょ」

 一瞬、木葉の動きが止まったような気がした。心なしか顔を伏せているようにも見えたけど、すぐにハッキリした声で言った。

「ああ。この子が生まれたら、俺達は今度こそお別れだ」


 それは子供を作るにあたって二人で決めた事だった。木葉がそばにいる限り私の生気は失われ続ける。そうならないためにも、私達はいつか別れなければならない。そのいつかが、お腹の中の子が生まれた時だ。

 当然、二人ともこの子のそばにいるなんてことはできず、私一人で育てることになっていた。


「俺の方こそごめん。一人で育てさせるなんて、志保には苦労させてばかりだ」

「そんなことない!」

 木葉の言葉を大声で否定する。だって私はそれを負担とは思っていない。もとより苦労なんて覚悟の上で決めた事だ。

 それでも木葉がそう言ったのは、私に変な気負いを抱かせないための気づかいなのだろう。


「そりゃ楽じゃないかもしれないけど、その代わり私はずっとこの子のそばにいられる」

 それを思うと、どんな苦労をしたって頑張れるような気がした。一人で育てる覚悟だってできた。

「でも木葉は……」

 木葉も私と同じく、お腹の中の子が生まれてくるのをどれだけ心待ちにしていたかよく知っている。なのにいざ生まれてきたら私達から離れるなんて、それはどれほど辛い事なのだろう。

 だけど木葉はゆっくりと首を振った。


「いいよ。それが俺達全員のためになるなら。それに、この子は人間の世界で育てる事になるんだろ。だったら、妖怪である俺はあまり近くにいない方がいい」

 私が生む以上、事情を知らなければ木葉は紛れもなく人間として扱われるだろう。それならまずはしっかりと人間としての生活を遅らせた方がいい。それが木葉の意見だった。

「でも……」

 なおも食い下がる私に、木葉は笑って言った。

「その代わり、その子が生まれてきたら俺が真っ先に抱っこさせてもらうよ」

 言われて、その場面を想像してみる。たぶんその時木葉は最高の笑顔でいる事だろう。

 でも―――


「えーっ、一番は私が良い」

 私だって最初に抱っこしたい。だけど木葉もそこは譲らない。

「いくら志保でもそれはダメ。もともとそういう条件だっただろ」

「……そうでした」

 それを出されると何も言えない。子供を作ると決めた時、木葉はいくつかの条件を私に出した。そのうち一つが、最初に抱っこする権利を譲るというものだ。他にも先に挙げた、産まれたら今度こそ別れるというのもそうだ。


 それともう一つ……

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