第15話


 私の想い。つまり木葉を好きだという気持ちが命を縮める。鹿王の言ったこの言葉の意味が分からず、私はただただ困惑する。

 彼の方を向き直ると、さっきまでとは態度を改め、真面目な顔つきへと変わっていた。

「どうだい、もう少し僕の話を聞いてみる気になったかな?」

 静かに頷く。彼の言う事はにわかには信じがたいけど、だからと言ってふざけているようにも思えなかった。


「そうだね、まずはどこから話そうか。君は異類婚姻譚というのを聞いた事があるかい?」

 それなら知っている。人間とそれ以外の種類の存在が結婚する話の総称で、鶴の恩返しや羽衣伝説といった昔話がそれに当てはまる。

 こんな事を言ってはおこがましいかもしれないけど、もし私と木葉が彼の言うような深い仲になれば、それらの物語に近いのかもしれない。


「でもそう言った話は悲劇で終わるものも数多くある。それはある種の警告なんだよ、異なる存在とは縁を結ぶなというね。それは理ことわりに反するものなんだ。特に力を持たない人間は、その代償として大きなものを失うことになる」

 異なる存在。それが妖怪の事を指しているならまさにその通りだ。種族として違うというだけじゃない。なにせ彼等は普通の人間には姿が見えず、その存在にすら気付くことができないのだ。ある意味別の世界で生きていると言ってよかった。

 だけど代償というのが分からない。私はいったい何を失うというのだろう?


 すると鹿王は、急に私に向かって右手を伸ばしてきた。何をするのだろう。深く考える間もなく、彼の手が私の頬に触れた。その瞬間だった。


「うっ―――」

 短く声を上げ、膝が崩れそうになる。全身から力が抜けていき、急に込み上げてきた疲労感が体中を襲った。


(生気を吸われてる)


 生気というのは、簡単に言えば誰もが持っている、生きるために必要な、エネルギーみたいなものだ。命そのものと言い換えてもいいかもしれない。

 それが吸い取られているとすぐに分かったのは、これが初めての経験じゃなかったからだ。今までにも妖怪に襲われた時、何度か似たような目にあっていた。一部の妖怪は、人の持つ生気を吸い取る力を持っているのだ。


「…い…や…」

 なおも疲労感が蓄積されていく中、それでもなんとか彼の手から逃れようと必死で体を動かす。だけど、どうやらこれ以上私に危害を加えるつもりは無かったようだ。暴れようとする私を見るや、彼はすぐ触れていた手を放す。

 それと同時に、さっきまであった生気が吸われていく感覚からも解放された。


「ハァ…ハァ…」

 息を荒げながら、そばにある木に手をついて体を支える。生気をとるのを止めたとはいえ、依然として体には上手く力が入らない。

「急に変な事をして悪かったね。吸い取った生気はちゃんと返すよ」

 鹿王はそう言うと、再び私に触れてくる。するとさっきとは逆に、体に力が流れ込んでいくのが分かった。生気を吸い取ることができるのなら、反対に渡すこともできるのだろう。

 間もなくして、私は元の状態に戻った。


「落ち着いたかい」

「…はい」

 しかし、自分で生気を奪っておきながらわざわざそれを返すだなんて、この人はいったい何がしたいのだろう。


「怖かったかい?」

「そりゃ、当り前じゃないですか」

 いくら返してもらったとはいえ、あの力が無くなっていく感覚は恐怖以外の何物でもなかった。実を言うと、いきなりあんなことをされて結構腹が立っている。

 だけど彼はそんな私の反応さえも予想していたみたいで、淡々とした様子で言った。

「ごめんね。口で伝えるよりも実際に似たような体験をしてもらった方が早いからね。で、ここからが本題だ。人間が、僕ら妖怪との繋がりが深くなれば、常にこんな危険が付きまとうんだ」

「……どういうことですか?」

 言っていることは理解できないけど、そこに感じた不穏な雰囲気は私を不安にさせるのには十分だった。

 そして、彼は言った。


「力を持たない人間は、妖怪に触れるたび、想う度、一つ一つ繋がりを持っていくたび、理を曲げた代償として生気を失っていくんだ」


 ゾクリ


 突き付けられた言葉に、今度は不安では無くもっとはっきりとした恐怖を感じた。

「さっき僕がやったことと似ているけど、違うのは故意に吸い取るんじゃなく、勝手に失われていくという事だ。摂理と言ってもいい。止めようと思って止められるものじゃないし、失われるものだから今みたいに返せるものでもない」

 繋がりを深めれば、それだけ生気を、つまり命を失っていく。ここに来て私はようやく、木葉への想いが命を縮めるという意味を理解することができた。

 さっきの、全身から力が抜けていったことを思い出し、思わず身が震える。今までに何度か覚えがあるとはいえ、あんな思いは二度としたくない。

 だけど……


「嘘よそんなの」

 ついそんな言葉を漏らした。それはきっと、信じたくないという願望も多分に交じっているだろう。そうと分かっていながら、それでも私はこの話を素直に受け入れることはできなかった。

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