第10話

 初めてそれを意識したのは、高校に入学する少し前くらいだった。その日出会った木葉は、僅かにその輪郭が透けて見えた。それまでは、背中の羽以外は人間と区別がつかないくらいにハッキリ見えていたというのに。


 だけどその時はまさか、自分の妖怪を見る力が無くなってきているだなんて思いもしなかった。むしろ私ではなく木葉の方に何かあったんじゃないかと心配していた。


 次に変化に気付いたのは、木葉の姿をすぐには見つけられなくなった時だった。木葉と会う約束をして待ち合わせ場所に行っても、私から木葉を見つけることがいつの間にかできなくなっていた。それどころか、木葉が私を呼んでもそれに気づかないことが度々あった。


 それでも私は自分に起きた変化を受け入れられないでいた。何しろ物心がつく前から当り前のように妖怪の姿を見てきたんだ。今になって見えなくなるだなんて、そんな事思いもしなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。だって妖怪が見えなくなるというのは、木葉とはもう会う事も話すこともできないという事なのだから。


 だけどこの数か月、私の変化はよりハッキリと分かるようになっていた。


「志保。今は、俺以外の妖怪の姿って見える?」


 再び私の隣に座った木の葉が聞いてきた。私はそれに小さく首を振ってこたえる。

 そう。かつてはあれだけ見えていた妖怪達も、今では明らかに目にする回数が減ってきていた。

 人は成長するとともに持っている霊力が失われることがある。

 自分の変化に戸惑う私に、木葉はそう告げた。思えばそれが、私たちにとって最後の時の始まりだったのかもしれない。


「でも木葉は見えるわよ」


 込み上げてくる不安を抑えながら、私は絞り出すよう言う。それでも、こんなにいるのに木葉の存在を遠くに感じた。


「俺とは長く一緒にいるから、繋がりも濃くなっているんだろうな」

「まあ、そう遠くないうちに木葉のことも見えなくなるんだろうけどね」


 現にさっきは、すぐそばにいるにも関わらずその姿が見えていなかった。こんなことも初めてではない。

 一度何かのきっかけで木の葉がそこにいるという事を認識できれば再び目に映す事は出来た。だけどそうやって見たその姿は、随分と薄れていた。

 私の見える木葉の姿の濃さはその時々で変わったけれど、今ではこんな消え入りそうにしか見えないのも珍しくはなかった。


「あとどれくらい、木葉の姿を見ていられるのかな」


 それがもう残りわずかだと、私も木葉も確信していた。これまで感じてきた感覚では、私の妖怪を見る力は時が経つにつれより急速に失われていた。

 もういつ木葉の姿が完全に見えなくなったとしても不思議はなかった。


「ずいぶん遅いけど、家に帰らなくて大丈夫?」


 木葉が言った。時計を見ると、確かにそろそろ帰った方が良い時間になっている。それでも私は、まだ木葉と離れたくはなかった。


「平気よ。友達とカラオケ行くから遅くなるって言ってあるもの」


 さっき祭りで会った子達の顔を思い浮かべながら言う。彼女達なら、頼めばきっと後で口裏を合わせるくらいの事はしてくれるだろう。

 こんな風にクラスメイトの事を思うだなんて、かつての自分には考えられなかったことだ。


「学校、上手くやってるみたいだね」

「急に何言ってるのよ」


 さっきのクラスメイトのことを木葉も思い出したのだろう。


「友達がいないって泣いてた頃が嘘みたい」

「ホント何言ってるのよ!」


 木葉が言っているのは初めて会った時のことだ。もうずいぶん昔のことだけど、自分が泣いている時の事を語られるのは恥ずかしい。

 そう思った私は、ずっと気になっていたことを木葉に聞いてみることにした。


「ねえ木葉。アンタが私に、高校入ったら友達作れって言ったのって、いずれ私がこうなるってわかってての事なの?」


 思えば木葉がそう言いだしたのは、私が初めて木葉の体が透けて見えた日からほんの数日後の事だった。

 その時は余計なお世話だと言ったけど、今思うとあれは、私が木葉の姿が見えなくなった後一人にならないようにと思って言った事なんじゃないかと思う。


「さあ、どうかな。でも、志保に人間の友達が出来て、俺は嬉しいよ」

「保護者みたいな事言わないでよ」


 とぼける木葉にイラっとする。まるで私との別れの準備を進めているみたいで嫌だったのかもしれない。


「木葉はいいの?このまま私が、木葉の事を分からなくなっても」


 いつのまにか、私の目には涙が滲んでいた。喉の奥から這い上がってくるような痛みをこらえながら、じっと木葉の言葉を待つ。


「嫌だって言って何とかなるなら、何度だって言うよ。でもそうじゃない。人は成長するとともに持っている霊力が失われることがある。そして一度なくした力は、二度と戻ることは無い」


 さっきまでとは違い、木葉は優しく諭すように言う。だけど私はそんな言葉では到底納得できなかった。むしろ、この状況を受け入れているような木葉の様子に酷く腹が立つ。


「……私は、嫌だよ」


 ポツリと、ずっと心に留めていた本音が、とうとう口から零れた。その途端、流れ出た涙が頬を濡らした。

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