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ニコニコとアルカイックスマイルと言うか穏やかな微笑みを浮かべる純白のお稲荷様を、僕がどう思うか。それは一言、不気味である。余りにも淀みも汚れも無い存在と対峙すると言うのは、得てして不確かで掴み所の無い底なし沼に落ちた時の様な感覚だ。不気味で無いことがかえって不気味であり。不思議で無いことがかえって不可解。意図も意味も分からないモノと言うのは心底苦手だ。


「お稲荷様?とは狐ですか?」


ここへ来て、初めて困惑した様な表情の遊坐ちゃんを見ると、まぁそんな感覚も悪くは無いかと思ったりしなくも無いのだけれど。とは言え僕の中に押し寄せる不安感はどうもまだ拭いきれない。自分で言っておいてなんだが、未だに口を開かず微笑むだけのこの七尾の美しいお稲荷様。麗々しい限りで僕には話し掛けることも難あり。遊坐ちゃんが居ても居なくても、僕から声を掛ける事は不可能に近い。手っ取り早く、恐れ多いと言うべきか。


「まぁ話早く言えば狐だけれど。」

「この遊坐が…狐の像を直したからでしょうか?」

「まぁ話早く言えばそうなるかな。」


何とも理解力が早くて助かる。助かるからってこの現状から助かるとはまた別のベクトルなのだけれど。


「狐憑きとは良く言ったものでさ…こんなに禍々しさの無い、曇の無いお稲荷様が憑いているのを見たのは初めてだよ。」


僕は感心しながら遊坐ちゃんの反応を見る。


「とりあえず気持ちの悪いおっさんで無かっただけマシなんでしょうか。」

「その気持ちの悪いおっさん説がどこから来たのかは謎だけれどね。」


チラリと後ろを確認しながらそんな悪態をつく遊坐ちゃんを、僕はまたぞろハラハラしながら見守った。なにせこの子、眼光が鋭い。


「気持ちの悪いおっさん、長いのでキモオにしますが。そのキモオも然る事乍ら、獣のような畜生に憑かれると言うのも…遊坐的には困りものです。」

「中々に辛辣なお言葉。」


一般的な話かは分からないが、動物霊と言うのは本来とても霊障が強く、一体憑いただけでも自殺に追い込まれる程に強力なモノが多い。動物霊の発症としては色々な出処があるけれど、遊坐ちゃんの場合は明らかに神様の遣いとしての狐だろうと思う。変に強い恨みや深い憎悪を持った動物霊ならこんな穏やかな表情で人間に憑く事など有り得ないし、僕は見た事が無い。

一瞬、遊坐ちゃんの切れ味鋭い毒舌はこの狐憑きのせいかな、と思わなくも無かったのだけれど。このお稲荷様を見ているとそれは万二一つも無さそうである。これは彼女本来の専売特許だろう。


「それで、この傍迷惑な狐。天井さんがどうにかしてくれるんですよね?」


遊坐ちゃんは僕の心中なんてつゆ知らず、何処とも分からぬ背後を指さした。お稲荷様が座っている方向は逆なのだけれど、今はそんな事どうでもいいか。何が問題かってそれは、僕にはどうしようも無いと言う事だ。そもそも僕は"視る事"と"寄せ付ける事"をしてしまう体質なだけで、それをどうにかする事など出来ないのだ。つい先週辺りに天來美心と体験した怪談階段は例外として。本来は何にも関与なんて出来ない。存在を確認する事しか出来ない存在。認識する事しか出来ない存在。


「どうにか…と言われても対処に困るんだけど。」

「困っているのは遊坐ですが?」


ごもっともだ。


「と言うか、凄く良心的なお稲荷様だし。困る事なんてあるの?」


これも、ごもっともだろう。知らない内は不気味で不快で不可解な事でも、知ってしまえば逆に有難いのでは無いだろうか?身の回りの世話をしてくれる見えない執事が憑いたと思えば何のことは無い。寧ろ暮らしやすいのでは?


「いやいやいやいやいや。天井さんは馬鹿ですか?愚鈍ですか?与太郎ですか?愚人の三太郎ですか?右も左も分からない赤子ですか?頭に何か悪い虫でも湧いているんですか?」

「酷い言われようだな、僕。」

「幾ら美しいだ、幾ら神様の遣いだ、幾らキモオでは無いだ、幾ら身の回りの世話をしてくれるだ言いましても。見えもしない得体の知れない獣と暮らしていける程、遊坐は呑気な阿呆ではありませんよ。」


ごもっとも返しだ。これは視えている僕だから言える事なのだろう。遊坐ちゃんからしてみれば、僕の言葉を全て信じるにしろ信じ無いにしろ視えないものは視えないのだから、今後もポルターガイストよろしくの生活を送らなければいけない訳だ。"得体の知れないモノ"と一緒に。それがどれ程の期間なのかは分からないが、そんな生活していれば、いつか精神が参ってしまうかもしれない。まさか毒舌娘の遊坐ちゃんに限ってそんな事は無さそうだけれど。年頃の女の子が常に誰かの監視下に置かれるというのは些か酷だし、新手の拷問とも言えるだろう。


「それにちょっと像を直したからといって、ここまで懐かれても迷惑です。」


肩に擦り寄りゴロゴロ言っているお稲荷様を他所に、遊坐ちゃんはキッパリとそう言った。


「そこまで言われてしまうと…僕としても何とかしてはあげたいんだけれど…。」


如何せん、そこまで言われても離れそうに無いこのお稲荷様である。どうしたものか。これは話し掛けることを畏れている場合では無くなってきた。遊坐ちゃんの険しい視線が僕に突き刺さるのだ。今は無害なお稲荷様より突き刺さりそうな遊坐ちゃんの実害をどうにかしなくてはいけない。


「何とかして下さい。遊坐は天井さんを信頼してはいませんが、貴方を紹介してくれた美心ちゃんは信頼しているんです。美心ちゃんを落胆させたくない。否、させないで下さい。」


伏し目がちに遊坐ちゃんは言う。さらっと僕に暴言を吐いたのはこの際水に流すが…もうこれはデフォルトとして受け取るしか無いのだろう。初期設定であり、通常運行だ。そして、お稲荷様の懐き加減も気になる所だけれど、この遊坐ちゃんの天來美心に対する心酔具合も気になる所ではある。天來美心は僕が言うのもなんだが、対人関係に置いてさほどその性格が向いているとは思えない。真っ直ぐで率直で、正しすぎて痛々しい。

僕に対しても、竜西先輩に対しても、壊れてしまうんでは無いかと思うほど強く重くぶつかってくる。人に対して遠慮なく配慮なく、そんなものなんて端から知らないとでも言うかの様に突っ込んでくる。土足どころかスパイクで、チャイムも鳴らさずドアを蹴破って心に入ってくる。下手をすれば勝手に冷蔵庫を開けて居間でお茶を飲んでいる。遊坐ちゃんは僕が見る限り、そう言った天來美心の様な人間が一番苦手そうなタイプなのに…。


因みに遊坐ちゃんの事は分からないにせよ、僕的には苦手なタイプ一位である。

然し不思議な事に、そんな苦手タイプ一位である天來の名前を引き合いに出されると、僕は動かざるを得ない。それは天來が僕の負の遺産を知っているからだとか、まだ話を聞けてないからだとか、怪談階段で多少なりともお世話になったからだとか、僕がロリィな趣味に目覚めたからだとか、そんな事では無い。

開けっぴろげに人にぶつかってくる天來美心。そんな彼女自身の心もまた、開ききっているからだ。なぜそこまで図々しく踏み込まれて、僕が天來を嫌いになれないのかと言われればそこだ。天來は清々しい程に何も無い。恐ろしい程に純粋無垢。生まれたての様に天真爛漫。こんな事、本人に言えないし、言うつもりも毛頭ないが。それが僕にとって反面教師の様に痛くもあり、また僕には無い部分に触れるのが心地好くもあり、彼女の為に動く事の理由に成り得る。

もしかしたら遊坐ちゃんもそうなのだろうか?まぁきっと彼女は教えてはくれないのだろうけれど。僕もこんな事口が裂けても言えないのだから、お互い様と言うやつか。


「天來の為…か。」

「……何か言いましたか?」

「いや、何でもないよ。とりあえず、どうにか出来るかは分からないけれど…話だけはしてみるよ。」


僕は決意を固めるには少し情けない、頼りない返答を遊坐ちゃんに返した。それでも遊坐ちゃんは珍しく、出会って初めて毒舌や暴言を吐かずにただ一言「宜しくお願いします。」と頭を下げたのだった。

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