無理にでもついて行くべきだったのに、と彼女は拳を握る。
五限目の授業は、二つある体育館のうち、小さいほうの体育館で行われる進路説明会。
内容自体は退屈だけれども、隣のクラス、つまり、
その関係で、お昼は食堂で四人一緒に食べることになっている。
いつも通り賑わっている食堂へいばらと一緒に訪れれば、二人はすでに席をとってくれていた。
手を振られて、私たちは振り返す。
食券を発券し、受付の人に渡す。
水をコップに入れて、いったん二人の元へ。
「薫、またスムージーなの? たまには他の物食べようよ」
「野菜スティックとかどうかな。食感は楽しめそうだと思うんだけど……」
薫は今日、紫色のドロッとしたスムージーを飲んでいる。
それを見た私といばらが言えば、薫はゆるりと目を細める。
「ふふっ、おすすめありがとうございます。今日はこれだけと決めているので、また機会があれば頼んでみますね」
「あ、それ知ってる。あれだ。絶対頼まないやつ」
「知ってるってなによ」
薫の横でカツカレーを頬張りつつ話に入ってきた了に、私は返す。
「あれと一緒だろ? どこそこおすすめ、いいよー! に対して、あんまり行きたくないけれども、相手の気分を害したくないときに言うやつ」
「あ、それ、女子あるあるだよね? この間読んだ雑誌に書いてあった」
「そうそう、たぶん、俺が見たのも、それだと思う」
隣の会話を聞きながら、なるほど、と納得する。
つい先日。いばらに誘われて一緒に図書館に行った。
そこで本を読むのかと思えば、彼女は一目散に雑誌コーナーへ駆けていったのだ。
理由を訊けば彼女は、自分はまだちゃんと同じ年代の女の子がどういう風に感じて、どういう風に生きているのかわかっていないから、と。
それを知るためには雑誌がいいと薫から聞いた、とも言っていた。
もちろん、そんな会話をいばらと薫がしているところを見たことはない。
それを面白くないと思う自分に、内心ため息を吐く。
番号を呼ばれて、私はオムライス、いばらはハヤシライスを手に、席へ戻る。
そのまま雑談をして、いい時間になったから移動しよう、というときだ。
「あ」
あらかじめ持ってきておいたノートと筆記用具一式を持って、いばらが不穏な一音を発する。
私たち三人は同時に彼女の手元を見る。パッと見たところ、なにかを忘れているようには見えない。
「なに、どうしたの」
「……授業後に提出するプリント、教室に置いてきちゃった」
「もー、ちゃんと確認しなよって言ったじゃん」
「したもん。たぶん、一回机の上に並べて確認したあと、そのまま忘れてきたんだと思う。とってくる」
一人で走り出そうとしたいばらの腕を、急いで掴んで止める。
「さ、沙也加ちゃん?」
「単独行動禁止だって、前に決めたでしょ? 私も行く」
「私も行きますよ。了だって、一緒に行くでしょう?」
「当たり前。教室はたぶん、人が少なくなってるだろうし、危ないから一緒に行くよ」
「ごめんね、ありがとう」
申し訳なさそうに謝るいばらに、今度は気をつけてね、と私は返した。
自分たちのクラスメイトとすれ違いなら、私たちは教室へと向かう。
だいぶ人通りがなくなってきた廊下に来て、その異変は起きた。
「……っ!」
いばらの腕から床へと落ちたノートと筆記用具が、大きな音を立てて叩きつけられる。
その上に、いばらが膝をつく。
呼吸は酷く荒くて、胸元を、力を込めすぎて真っ白になった小さな手がギュッと握りしめている。
知ってる。
この光景を。私は、私たちは、何度も目にしてきた。
「いば――っ」
しゃがみこんでいたいばらが、勢いよく私に飛びかかってくる。
受け止めることも、受け身をとることもできなかった私は、そのまま身体を固い床に打ち付ける。
「い……っ!」
「
歯をむき出して私を噛もうとするいばら。
いばらの首に薫は腕をかけて、なんとか止めてくれる。
今だ。
スカートのポケットから注射器を取り出して、いばらの二の腕に勢いよく刺し、中の液体を流し込む。
いばらの身体は数度痙攣して、そのまま力が抜けたのか、くたりと身体を薫の腕と私の身体に預けてきた。
「……薫、ありがとう」
上半身をなんとか起こして、いばらを胸に抱える。
遠くで授業開始のチャイムが鳴る。
一瞬まずい、とは思ったものの、花人に襲われた場合の遅刻や欠席、早退は、出席扱いになることになっている。
だって、不可抗力だから。
腕にいばらの息があたる。
そのことに安心して、私は少しだけ力を抜く。
「礼には及びませんよ。沙也加は身体、大丈夫なんですか?」
「うん。打身にはなってるかもしれないけれど、全然大丈夫」
心配されると申し訳ないので、なるべく明るく言うけれど、女の子がそんなこと言うんじゃない、と薫に責められる。
「もっと、自分の身体を大切にしてくださいな」
「……心がけます」
ふ、と薫のうしろを見れば、了が険しい表情をして床を睨んでいる。
「了……?」
呼びかければ、了はハッと顔を上げる。
表情を緩めはするけれど、目元は険しいままだ。
思えば普段なら、こういうとき真っ先に相手に薬を刺すのは了だ。だから、こういった状態になっているのがとても珍しい。
心なしか、顔が青ざめているような気もする。
「大丈夫? 顔、青いけど……」
「大丈夫。ごめん、考え事してた。いばら、部屋に連れていっておくよ。だから二人とも、先に授業に行きな」
これは普段通りと言えば普段通り。
襲い掛かってきた花人は、薬を刺したあと、四人の中で一番力持ちな了が保健室なり教師の傍なり、場合によってはそのまま地下室へと連れていく。
だけど、今日襲ってきた相手はただのクラスメイトでもなければ、見ず知らずの他人じゃない。
「私も行く」
「駄目。授業に参加しなよ。あんまり大人数で行くと、授業はどうしたんだって寮監さんに怒られちゃうだろ」
「そうだけど……でも、一人だけだと了、危ないから。いばらを連れていくってことは、両手がふさがった状態ってことでしょ? なにかあったときに抵抗もなにもできないよ?」
焦げ茶色の瞳をじっと見つめる。その目は逸らされずに、細められる。
「大丈夫だよ、策はあるから」
「どんな?」
「内緒」
「ねえ、薫」
自分じゃ無理だ。
薫に協力を求めることにする。
薫は困ったように眉尻を下げる。
「……ついて行きたいのは山々ですが、今は急に人がいなくなることが異常に多くなっています。このまま無断で授業にさらに遅れることになれば、いらない心配を担任やクラスメイトにかけてしまうんじゃないでしょうか」
「……つまり?」
「沙也加、一緒に授業へ行きましょう。了なら大丈夫です。いばらを寮の部屋へ送ったら全力疾走で来てくれるでしょうから」
ね? と口の端をクイッと上げて薫が了に同意を求める。圧の強い表情に、了は苦い表情をして頷く。
「本当?」
「約束する」
「……わかった」
渋々頷いて、いばらの身体を了へと渡す。受け取った了は軽く会釈をすると、そのまま寮の方向へと歩いていった。
「ほら、私たちも行きましょう」
「……うん」
薫に促されるがまま立ち上がって、私たちは体育館へと向かった。
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