ショートショート集

倉海葉音

排水口の蓋が消えた

 排水口の蓋が、消えていた。


 なんで気づかなかったんだろう。直径8cmほどの物体が、忽然と姿をくらました。自発的に、なんてことはあり得ないから、恐らくいつかのゴミ出しのときに紛れてしまったのだろう。

 今頃、彼はどこにいるのだろう。もしかしたら、さっき歩いた埋立地の1ピースとして貢献することを、既に期待されているのかもしれない。

 一人暮らしの1Kの部屋で狭いシンクの蓋として活躍していた彼は、その経験を活かして今度は海に蓋をするのだろうか。都内ありとあらゆる所から集まってきた排水口の蓋が、東京湾を埋め尽くすさまを想像してみる。無数の、黒くぬめっとした8cmの円盤は、人間の投棄したあらゆるゴミを海の中に閉じ込める。ゴミに怒っても、お魚さんたちは顔を出せない。排水口の蓋たちはブロック能力に長けているからだ。そして東京の海は蓋をされていく。どんどん閉じ込められていく。

 どんどん、どんどん、どんどん。

 どうか、と願う。無益な諍いや環境汚染には関わらず、彼にはせめて静かな余生を送ってもらいたい、と。


 ただただ、彼のいない部屋で、願った。

 生ゴミの悪臭が漂う狭い部屋で、涙目でシンクに塩素剤を巻きながら。

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