その16 新たな出発

 その頃、ゲーペルはというと、執務室で一人、書類を漁っていた。

「せ、せめて、顧客リストを、どこかへ隠さねば…」このまま騒動が続けば、いずれ彼の裏商売は明るみになってしまうだろう。その前に、証拠は見つからない場所へ隠すか破棄しなければならなかった。

「やーっぱり、密猟で儲けてたんだな」部屋の入り口に誰かが佇んでいた。廊下も部屋の中も明かりが無いため、何者かは分からなかったが、そいつはすぐにゲーペルに近寄って来た。

「だ、誰だ!」

「俺はしがない悪党でさ、あんたからちょいと、金を頂こうと思ってね」そう言って、ルートはゲーペルから一枚の紙を取り上げた。

「ふーん、これが顧客か。あのハンター達がとってきた動物を、あんたが仲買人として、こいつらに売ってたんだろ?」

「な、何を言ってるんだ。この泥棒め!さっさとこの屋敷から立ち退かないと、」

「悪いけど、一連の証人の元へ案内してもらうぞ」ルートは彼の言葉を遮って、ダルコから奪ったナイフで脅した。ゲーペルはすっかりおとなしくなって、ルートを人質の元へ連れて行った。


「じいさん、ボリス、無事だったか?」ルートは、縛られているエルマーと子竜に近づいて、それを解いてやった。

「お、お前、ユリアーナが、捕まって…」エルマーは弱々しく言った。

「あの娘のことなら大丈夫だ。俺の相棒がちゃんと保護してる」

「そ、そうか。よかった」老人は、心底安心したのか、縄が解けたのに、まだ座り込んだままだ。そこに、喜びの表情を浮かべているボリスが、きゅい、と鳴きながらすり寄った。

 人心地ついたと思ったのも束の間、がなり声が響いた。


「見つけたぜ!小僧!」ダルコだった。

「ダ、ダルコ、今まで何してたのだ。あいつを早くどうにかしろ!顧客リストを奪われたんだ!」ゲーペルはダルコに命令した。ダルコはゲーペルを一瞥し、ルートに向き直った。

「小僧、あのままじゃ、俺様の気がすまないんだ。仕切り直しといこうや」

「俺は早く金を持ってずらかりたいんだけどね…」

「俺も一緒だ。じゃあ、さっさと決着つけようぜ!」そう言ってダルコは、短銃を取り出し、ルートに向けてきた。

「じゃあな」彼が引き金を引こうとした瞬間、ルートは、また不思議な力を使って影から紐を呼び出し、彼の手指に巻きつけ、動かなくさせた。

「じいさん、早くそこから離れろ!」ルートはエルマーに向かって言った。老人は、子竜を連れて、その場から離れた。

「くそ、右手が動かねえなら」ダルコは左手で銃を撃とうとしたが、それもルートによって阻まれた。そしてルートは、彼の拳銃に差し掛かっている人さし指に巻きつけている紐を、思いっきり外側へ引いた。その瞬間、指の骨が折れる鈍い音がした。ダルコは短銃を思わず手放した。それと同時に、ルートも彼を拘束していた紐を、勢いあまって放してしまった。

「こいつ、思い切ったことしてくれるな…。」ダルコは脂汗を滲ませながら、だがまだ不敵な笑みを絶やさずにルートに向き直った。

「もう諦めてくれねえかなあ」ルートは疲れた調子で言った。

「ふん、まだだ 」そう言ってダルコは左手で何かを取り出し、ルートの方へ放った。ルートは、咄嗟に前に転がって、それを避けた。それは、背後で爆発を起こし、部屋の壁を破壊した。彼が投げたのは手榴弾だったのだ。ルートは、近くで鳴り響いた轟音によって、しばらく耳が聞こえず、動きが固まってしまった。その隙に、ダルコは再び、ルートの首根っこを掴み、穴が空いた壁の外へ彼をぶら下げていた。


 外には、城のすぐ隣にある断崖があった。木が密集しているので、もし落ちても、運がよければ助かるだろう。だが、落とされてしまったら、すぐにここまで戻るのは難しい。


 ルートは、毒づきながら抵抗した。しかし、まだ、爆風で受けた衝撃が体に残っており、抵抗するのは難しかった。

「お前のあの力、一体どうやってんのか知らねえが、もうそんな力は残ってねえか。あっちの方で、俺の部下達がお前のドラゴンの相手をしてるだろうが、どうせコテンパンにやられてるだろうな。小僧、お前を人質にでも取れば、あいつはおとなしくなるか?」ダルコは、意地悪く笑いながら、ルートに言った。

「はは、俺を人質に?あいつはそんなんじゃ怯まねえよ。俺ともども、あんたを攻撃してくるさ」ルートは、弱々しくも挑戦的に返した。

「ハッハ!薄情な相棒だな。それじゃ、お前には消えてもらうよ。それと、こいつは貰ってくぜ」ダルコは、ルートのポケットに入っていたリストを奪い、「じゃあな」と言い捨て、ルートを掴んでいた手を放した。

 エルマーは、あっと声をあげたが、どうすることもできなかった。ダルコはルートが落ちたのを見おくった後、領主の方へ向き直った。

「よくやった!あとは…」ゲーペルは嬉々とし、エルマーが抱いているボリスへ目を向けた。館が壊れたことなどどうでもよかった。とにかく、この獲物だけでもとらえなければ、という思いだった。

「ほら、顧客リストだ」ダルコはゲーペルにリストを渡そうとした。突然、腕が後ろへ引っ張られた。彼は驚き、振り返った。そこには、先ほど落ちたはずのルートが立っていたのだ。


「お前、くたばったはずじゃ…」

「あんたに落とされた直後、こいつを軒先にくくりつけて、落ちるのを防いだ後、上がってきたんだよ。こいつは結構便利でね、何でもできるんだ——」そう言って、ルートは、自分から伸びている黒い紐を示した。

「ハッハッハッハッ!まだ気力があったとはな!なあ小僧、俺たちの仲間にならねえか?思いっきり暴れまわれるぜ」ダルコは愉快そうに笑った。

「お誘い嬉しいけど、遠慮しとくわ」

「そうかい。それじゃ、俺様からこれを奪い返せたら、お前の勝ちにしてやるよ」ダルコは左手に握られているリストを示した。しかし、その左手は、ルートが拘束していた。

「いいのか?すぐに決着つきそうだけど」

「ふん、舐めるなよ」そう言ってダルコは、紐を掴んで、一気に引き上げた。ルートの体は軽々と投げ出され、床に叩きつけられた。それと同時に紐も消えてしまった。

 ルートは、横にダルコの短銃が転がっているのを見て、そちらに跳んだ。だが、ダルコはそれを見逃さなかった。ダルコは、瓦礫から石つぶてを掴んで、ルートに投げた。それは、彼の伸ばしている腕に命中し、動きを止めた。その隙に、ダルコは素早く自身の短銃を取り戻した。

そして、ルートに再び銃口を向けたのだ。

「今度こそ、本当に、おしまいだな」ダルコはそう言いながら笑った。

 その時、ダルコの背後から大きな影が姿を現した。次の瞬間、その影から無数の紐がダルコに伸びた。その大きな影にとどまらず、部屋全体のありとあらゆる影がダルコに巻き付いた。彼は再び、影に捕らわれてしまったのだ。


 ルートは、黒い塊になった彼に近づき、ごそごそと探り、顧客リストをあっさり取り返した。

「遅えよ、シーグ」ルートは大きな影の主に言った。

「すまないな。どこにいるか分からなかったのだ」シーグラムは、そっとユリアーナを降ろしながら返した。

「おじいちゃん!ボリス!」ユリアーナは、嬉しそうに祖父とボリスに駆け寄った。

「ユリアーナ、よかった。本当によかった。それにしても、あのドラゴンは、一体……」エルマーは再会を喜びながらも、シーグラムの登場に戸惑っていた。

「再会を喜ぶのはまだ早いぜ。こいつらをどうにかしなきゃあな」そう言って、ルートはゲーペルに目を向けつつ、ダルコの拘束を解いた。

「ダ、ダルコ、こんな奴らにやられおって!早く部下達を呼べ!こいつらの口を封じるんだ!」ゲーペルは怒り狂ってダルコに命令した。その時、ダルコの部下達がどかどかと入り込んできた。ようやく復帰してきたらしい。

「ボ、ボス!あのドラゴン野郎が…」手下たちは、部屋に空いた穴から姿を見せているシーグラムの姿に悲鳴をあげた。

「おいお前ら!撤退だ!」ダルコは部下達に命令した。

「へ?で、でも獲物は…」部下達は困惑した。

「いいから撤退の準備をしやがれってんだ!」ダルコがそう叫ぶと、部下達は「へ、へい」と慌てた様子で駆け出した。

「小僧、今回は俺たちの負けだぜ。その子供のドラゴンは諦めてやる」ダルコはそう宣言した。

「お前、何を勝手なことを!今まで私がどれだけ便宜を図ってきたと」ダルコはその言葉を遮るように、領主に一撃を食らわせた。彼は、気を失って倒れてしまった。

「お、おい、いいのかよ」ルートは呆気にとられた。

「ここまでの騒動を起こせば、こいつは早い内に捕まるさ。そうしたら、手を切るだけよ」そう言いながらダルコは、壁をまさぐっていた。すると、壁の一部がするりとひっくり返った。一同は驚いた。

「え、そんな所に隠し扉が…?」

「そうよ、密猟で儲けた金は全てこの部屋の金庫さ。ま、一部は、物に化けちまってるがな。だが、現金はそれなりにあるだろうよ」ダルコは、隠し部屋の中から金庫を見つけて、その怪力でひきずってきた。

「ドラゴンさんよぉ。これを破れねえか?俺とあんたらで分け前といこうじゃねえか」ダルコは、シーグラムとルートに、そう持ちかけた。

「む、お前らなんかと」

「いいじゃねえか。シーグ、これを破ってくれ」ルートは、申し出を断ろうとしたシーグラムの言葉を遮った。

「————。ま、いいか」シーグラムは、最終的は同意してくれた。


 彼は、朝の陽光を自らの額の水晶クリスタルに集めた。すると、体が熱を帯び、赤らんできた。爪も同様だった。彼は部屋に半身を入れ、金庫に近づいた。そして、その熱を帯びた爪で、金庫をゆっくり切り裂いた。金庫は割れ、中の金が姿を見せた。ダルコは、先ほどシーグラムが切り裂いた部分には触れずに、金を全て取り出した。

「それじゃ、仲良く半分こだぜ」ダルコはそう言って、大量の札束をルートに渡した。自身も大量の札束を体に押し込みながら、窓に向かった。外からは「ボス!」と呼ぶ部下達の声がしていた。

「それじゃ、あばよ!」と言いながら、ダルコは外に向かって跳んだ。下では、オートバイの音がしてそれは次第に遠ざかっていった。


「それじゃ、俺たちもそろそろとんずらしますか」ルートはやっと終わった大騒動にため息をついて逃げる算段を考えた。

「じいさん、こいつがリストだ。それじゃ、ボリスは預かっていくぜ」ルートはリストをエルマーに渡して、ボリスを預ろうとした。だが、ボリスはルートに抱かれるのが嫌なのか、エルマーから離れたくないのかぎゃんぎゃん泣き出した。

「はー、やっぱり俺には懐いてくれないのな…」ルートは嘆息した。

「どれ、私に任せてくれないか?」シーグラムがそう申し出た。

「あ、ああ」エルマーはシーグラムに近寄って、ボリスを渡した。ボリスは落ち着きを取り戻し、次第に笑顔を取り戻していった。

「エルマー殿、だな。私はシーグラムという。この子は私が責任を持って野生に返す。親になってくれそうなドラゴンの友達がおってな、その者に任せてみようと思うんだ」

「そうか。お前さんになら、安心して任せられる気がするよ——」エルマーは穏やかな口調だった。

「ボリス!」ユリアーナはボリスに駆け寄った。

「一晩だけだったけど、あなたとお友達になれて楽しかったわ。シーグラム、あなたも。いつかまた、会える?」

「ああ、もちろんだ」シーグラムは、優しく彼女にそう言った。

「さて、もう街は起きだしている。俺はなんとか逃げ道を探すから、お前はボリスを連れて先に行ってろ」ルートはそう言った。

「いや、私に乗っていけ。その方が早いだろう」

「いや、でもお前の背中に乗ると…」

「なら角を掴んでいけばよいじゃろう。ドラゴンの方は多少苦しい姿勢にはなるだろうが、短時間だったら大丈夫じゃろうて」エルマーが口を挟んだ。

「なるほど。それは考えなかったな」ルートは得心がいった。

「さすが、エルマー殿はドラゴンのことがよく分かっておる。さぞ、いい交友関係を築いておられたのだろうな。それと比べて、この乱暴者ときたら…」シーグラムはルートに物言いたげな表情で見つめた。

「こいつ、口の減らない野郎だぜ。後で覚えてろよ」ルートは握りこぶしを作って言い返した。

「ふん、お前が私に勝てたことが一度でもあったか?」

「この野郎、言わせておけば…」二人の口ゲンカをエルマー、ユリアーナ、そしてボリスまでもが笑って見ていた。


「さて、もう行かないとな」ルートはシーグラムの背中に飛び乗って、エルマーとユリアーナに別れを告げようとしていた。

「ルートさん、シーグラム、色々ありがとう。お礼は何もできないけど…」ユリアーナは残念そうに言った。

「別に、報酬は領主からは頂いたからな」ルートは札束を見て満足げに言った。

「私も、君のような可愛いお嬢さんと会えて嬉しいよ」シーグラムは、ユリアーナに言った。その様子をルートは呆れた顔で見ていた。

「ボリスも、またね。成長した姿を、いつか見せてね。ほら、おじいちゃんも」ユリアーナは、祖父に別れの挨拶を促した。

 老人は子竜に歩み寄り、何も言わず、そっと抱きしめた。子竜も嬉しそうに一鳴きした。

「————。シーグラムよ。どうしてお前さんは、五十年前の大移動に加わらなかったのだ?」エルマーはシーグラムに訊いた。

「………。私は、ドラゴンだけの、狭い世界に閉じこもるよりは、この広い世界にいたかったのだ。それに、多くの友からの贈り物がたくさんあるのだ。それを捨てて、この世界を去ることはできなかったのだよ」

「友からの贈り物、か——。ふふ、死ぬ前に、お前さんらと会えて愉快じゃったよ」

 シーグラムはその場から次第に離れてた。腕の中のボリスが、きいきいと悲しそうに鳴いていた。だが、エルマーとユリアーナは優しい笑みを浮かべて見守るだけだった。それが最上の別れだと思ったからだった。

 エルマー達が見えなくなったからも泣き続けているボリスにシーグラムは歌をうたってやった。それは、昨晩聞いた、はじまりの歌だった。朝日に溶け込むかのような、低く落ち着いた歌声は、ボリスの心を満たし、彼は徐々に泣き止んだ。


〽︎ 夢より覚め なれは行く

  萌ゆる草 流る雲 囀る雲雀

  総てはしるべとならむ

  汝は行かむ 海山へだつかの国へ

  我は行かむ いくとせ月日重ねつつ


  いはひ給ふ 汝のみち

  打つ波 しづかな地 明かる山

  総てはひかりにならむ

  汝は照らせ 暁を待つほどの闇を

  我は行かむ いくとせ月日重ねつつ



 ルートとシーグラムは無事、ボリスを野生に帰した。シーグラムの友人だという雌ドラゴンが引き取ってくれたのだ。彼らは、人里離れた所で暮らすということだった。

「そういやお前、爺さんとあんなあっさり別れちまって良かったのか?結構会いたがってたじゃん」

「うむ。それだがな、十分すぎるほど話したよ。いや、見せてもらったというべきか——」

「はぁ?だってお前、それはやらないって…」

「だが、氏が同意してくれたのだ。それに、ふふふ——」

「あ、お前まさか、爺さんがドラゴンの水晶を持ってるかどうか知ってるな?」

「さて、それはどうかな?」

「それは絶対持ってるって顔だろ?くっそー、爺さんからも報酬をせしめとくんだった!」

シーグラムは、はぐらかすような笑みを浮かべて黙っているだけだった。

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