第二章
第11話 ひとりよがりのブルース
先月から暮らし始めた新居の最寄り駅に、弾き語りをする少年がいた。
彼は野良犬みたいに痩せぎすで背も低く、駅前の外灯と同じくらい薄い顔色をしていた。服装は大抵が褪せたデニムシャツとぶかぶかのズボンで、いかにも年の離れた兄のお下がりを着せられているように感じさせる。それらの要素を総括するなら、承認欲求に飢えた子どもの肖像画のようだった。
そんな彼の雰囲気は、ベージュのアコースティックギターを斜に構えたときに一変する。
外見の印象を清々しいまでに裏切る、凄絶なストローク。奏者の技法に応えるように八の字輪郭の楽器は雄弁に音を語る。彼はまさしく弾き語りと一体化し、自己完結した機関だった。
恰好良い。その一言以外は蛇足になる。そういう少年。
彼の名前は
「チーズインハンバーグを頼んでもいいですか」
わざわざ僕に了承を得ようとする謙虚さは彼らしさを端的に象徴していた。だがそれを店員が来たタイミングで言うあたりの小賢しさもまた、彼らしさだった。
「いいよ、頼みなよ、チーズインハンバーグ」
「ありがとうございます。店員さん、チーズインハンバーグオンチーズのサイド三倍で」
なんだその謎のコールは。
店員さんも「かしこまりました」って何食わぬ顔で承っているし。知らないほうがおかしいのか。
心折れた僕は無難なハンバーグプレートを注文した。仕事終わりで腹が減っているはずなのに、どうにも食欲が湧かないでいた。
司と面識を持つようになったのはこの周辺に越してきてすぐのことだ。駅前で不定期に弾き語りをしていた司の演奏に足を止めたのが始まり。お互い共通の知人の話題をきっかけに、こうして近所のファミレスで時々夕食を共にすることがあった。
いつどのように見積もっても司は不健康さが前面に出ていて、本当にきちんと食事を摂っているのか心配になる。だから夕飯を奢ってやりたくなる。もしこれが乞食精神による外見詐欺だったとしても、騙された僕が悪いというか、騙されてもしょうがない領域だと思った。
「社会人になってひと月と半分。何か変わりましたか」
ややかすれた声で司が言った。
「変わった実感はないけれど、慣れてきたとは思う」
「どんな業務をされるんですか」
「店頭販売のバナーを工作するとか」
「それ面白いっすね」
「そう思うなら笑ってくれ」
CDショップでアルバイトと並んでレジ接客をするなんて聞かされていなかった。新入社員が受ける研修のなかにも幅があるらしい。が、僕が回されたのは主流から逸れた小売業。
「別に出世欲はないんだけど」
金は必要だ。生きるために、守るために。
「不満があるんですね」
「そりゃあ、まあ、うん」
こんな愚痴を三つ年下の芸大生にするくらいには。
「社会への不満は創作の源泉ですよ」
「僕に作詞でもしろって? 無理だよ」
「でしょうね」
「だったらなんで言ったんだ……」
チーズ浸しになったチーズインハンバーグのプレートが司の前に置かれた。添え物のポテトとキャロットが別の皿に山盛りになって出される。
僕のほうのプレートと比べると、あっちはさながらフードファイターのような大盛り具合だ。
「ほんと、司はつくづく外見詐欺だよなぁ」
「見た目だけで飯が食えるなら、なんだってしますよ」
「逞しいことで」
病人みたいな体格をしているものの、彼の容貌は中性的で童顔。要するにアイドルっぽい顔立ちで、それ目当てで固定ファンもついているなんて噂もあった。
こうして食事をしているときも僕は刺すような視線を感じたりしている。
「あれなのか、きみはいわゆるヒモ男ってやつなのか」
「そんな矜持のない暮らしぶりはしてませんよ。むしろ彼女のために金を使ってます」
「自分のためには使ってないの?」
「まともに使ってると、食費の占める割合が高すぎるんですよね」
ハンバーグを内から外からチーズまみれにしてから、フォークで刺した肉の塊に口をがっと開いてかぶりつく司。太い糸を引き、どろどろと零れ落ちるチーズをひと息にすすってしまった。
司は飢えているのではなく単に大食漢なのだ。つくづく外見とはあてにならない。
それともこういうギャップが今時の女子の心をくすぐるのだろうか。
僕のなかでの司はすっかり腹ペコ属性になってしまっていたが、見ているだけで気持ちいい食べっぷりをしてくれるので、次も誘ってやろうという気分になる。
しばらく無言で食事に集中したのち、だいたい同じタイミングで僕らは食べ終わった。
「遥斗さんは、カクリとはもう会ってないんですか」
それは唐突な話題の切り出し方だった。
僕は視線を動かさないまま、氷の入ったグラスを傾ける。
「接点がなくなったんだ。会う必然性もない」
「彼女はステージで唄っています」
「それは会いに行けるというだけだ。個人的に会うのとは違う」
頑なに会わないと言っているわけではない。しかし僕は気づいた。人ひとりが一生のうちに大切にできるものには限りがある。リソースを割くものは慎重に選ばなければならない。
今の自分には、彼女の存在よりも優先すべき事柄があった。
「あの子にはきみたちが、仲間がいるだろう」
「それ、違います」
きっぱりと司は言った。
「カクリは俺たちのことを仲間だなんて思ってません。それに、ナガサキさんやセトさんは彼女のケアをしているから仲間意識を持っているかもしれませんけれど、俺はあの子を同じバンドのメンバーだとは思っていませんよ」
「……どういうこと?」
「契約なんです。カクリは唄を他人に聴いてもらうために期間限定でボーカルになった。正規のメンバーじゃない」
「でもそれは契約上のことだろう」
「向こうはそう割り切っているんです。きっと彼女は、俺やシマネさんの顔すら覚えてない」
想像できない話ではなかった。彼女の孤独妄想はとても強い。そのくせ不器用に他人との共通点を見つけては安堵することを繰り返す。自分を宥めるのが下手過ぎるのだ。
だからナガサキは彼女を仲間として迎え入れたのかもしれない。そのことを、司に教えてやりたいと思った。
「僕はもうあの子――カクリに何もしてやれそうにない。無責任かもしれないけど。あの子に必要なのは関係性の薄い僕なんかじゃなくて、傍にいるきみたちなんだと思う。だからどうか、あの子をひとりにしないでやってくれないか」
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