第4話 太陽黄経280°

 暦の話をしようと思う。


 グレゴリオ暦が元々ローマ・カトリックの宗教暦であると前回説明したが、ではグレゴリオ暦の普及は本当に政治的事情だけなのだろうか?

 勿論単純に政治力の問題だけではなく、グレゴリオ暦がそれ以前の暦に比べて正確かつ簡便であるという特徴を有していたことも忘れてはならない。

 グレゴリオ暦の前に使われていたユリウス暦は、一年365日、四年に一度閏年として二月末日に一日を挿入する、というシンプルな規則であったが、これでは一年の平均は365.25日となり、実際の平均太陽年365.2422日に比べるとやや長い。百年くらいならともかく、千年も使うと誤差が蓄積してしまう。

 これに対し、グレゴリオ暦は閏年のルールを次のように改良した。


①年号(キリスト教紀元)が4で割り切れる年は閏年

②ただし、100で割り切れる年は平年

③ただし、400で割り切れる年は閏年


 これで一年の平均日数は365.2425日となり、精度が二桁向上している。グレゴリオ暦の誤差が1日に達するのは三千年以上の年数がかかると言われている。

 このように「シンプルかつ正確」という特徴が、グレゴリオ暦の普及を後押ししたことは疑いないところだ。


 しかし、グレゴリオ暦に問題がないわけではない。

 例えば「大の月、小の月の順番が不規則」だったり「閏年の調整が二月末」だったりと、合理性とは無縁な規則も見られる。

 これらの問題は実のところ古代ローマの暦が政治的事情で改変された歴史的経緯を背負っており、科学的観測に基づいて暦を設計しながら、紀元前のローマ皇帝アウグストゥスが「俺の誕生月が小の月なのは気に入らん」と改暦の際に31日にしたままになっているなど、一つの暦の中に様々な歴史が痕跡として残っている。


 グレゴリオ暦の不条理さの最たるものとして「1月1日の位置」を挙げておきたい。

 天文学の世界では太陽黄経は春分点を0°として360°で表される。つまり、起点は春分。天文学を持ち出すまでもなく、地球の公転運動が円であることを考えれば、区切りとして使いやすいのは二至二分、即ち春分(0°)・夏至(90°)・秋分(180°)・冬至(270°)のいずれか、と考えるのは自然だろう。にも関わらず、グレゴリオ暦の1月1日は二至二分のどれとも一致していない。1月1日は太陽黄経279~280°くらいの間に入る。

 以前書いた「旧暦では冬至を11月に置く」というのも謎な規則だが、それでも天文現象を基準にしている。グレゴリオ暦に至ってはさっぱり訳がわからない。

 この問題を調べていくと、どうやら西暦325年の第1ニカイア公会議において、復活祭の日付(「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」)の計算法を定めた際に「春分は3月21日」と決め打ちしてしまったことが原因らしい。

 グレゴリウス十三世も、どうせ改暦をするのならば「春分は3月21日」という規則の方を変えれば良かったのに……と思わないでもないが、公会議開催の難しさを考えれば致し方なかったのかも知れない。


 かくして私達は、天文学的には何のトピックもない公転軌道上の一点を、元旦と言って祝っているのである。

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