詩篇 興福寺阿修羅幻影

泊瀬光延(はつせ こうえん)

第1話 興福寺にて



俺は東京から奈良に来て阿修羅像の前に佇んでいた

新聞に載っていたこの興福寺の脱活乾湿像の写真を見た時

俺の心は打ち震え

ふらりと列車に乗った

ここが俺の人生の終着点になるとは思いも寄ろうか

俺は闇に紛れこの宝物庫に誰も居なくなる時を待った

廻りの八部神将達は知らぬ振りを続けていた

俺は阿修羅に声を掛けた


お前はいづくより来た


阿修羅は静寂の中にゆるりと顔を俺に向けると答えた


・・・私は遠い昔にこの国に月と日輪を持ってきた

・・・私は追われて逃れて来たのだ


追われて?


・・・遠きインドラの世界から

・・・あるときはギリシャの大理石の少年となり

・・・あるときは莫高窟(ばっこうくつ)の天使となった

・・・皆が私にあくがれその面影を追った


俺の前世もお前を追ったのか?


・・・そうだ、忘れたか

・・・私は『お前』から逃れてきたのだ


俺は思い出した!

そうだ!そして遂に捕まえた!

黴臭い息が詰まるこの宝物倉に隠れ

千二百年もお前は佇んでいたのだ

お前はその姿に封印され身動きも出来ず

やってきた俺の前で恐怖(おのの)いているのだ!


  阿修羅の目は遂に大きく見開かれた


・・・ふふ・・・私がお前を怖れる?

・・・お前にまた、犯されることをか?

・・・お前にまた、魂の全てを奪われることをか?

・・・やってみろ!私の呪いを解いてみろ!

・・・遠い昔のように私を犯せ!

・・・私をお前の肉体の奴隷にしろ!

・・・お前の思い上がりを思い知らせてやる!


  阿修羅の長い腕(かいな)が蠢(うごめ)いた


・・・見ろ!上の腕の月と日輪はお前の心の陰と陽(おもて)を照らし出す!

・・・中の腕は優しげにお前の顔をなぜるじゃろう

・・・そしてお前は負けるのじゃ

・・・また千年の永き年月を私を求めて彷徨うが良い


俺は四本のかいなに抱かれて阿修羅の口を貪った


  阿修羅の右の顔が嗤った

  阿修羅の左の顔が泣き出した


阿修羅の真中の顔が悲しみの眼で俺を見る


そのとき凄まじい快楽と苦痛が俺を引き裂いた

阿修羅の合わせた下の腕が

俺の心臓(こころ)を掴み出したのだ



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