麦畑の風

麦畑の風・1


 私の名は、テル。

 私は風。

 語るべき物語を、探し求めている。






 最初に思い浮かべたのは、黄金の麦畑だった。

 穂が風に舞い、大地に渦巻模様を作った。その中に、私は立っていた。


 もう逝かなくちゃ、と思った。


 私は、まだほんの子供で、長命種であるムテ人だから、あと数百年の余命を残していたはずだった。ひどい流行病はやりやまいにならなかったら……だが。

 通常のムテ人は、死から遠い。寿命を察すれば、自ら旅立って、残された人々に心病になるような傷を残さない。

 体中に斑点ができ、もう長くないと悟った時、両親の悲痛な顔を見た。私は、彼らの唯一の娘だった。

 子供心に思った。

 二人の前で命をなくして、長い一生に死の苦しみを植え付けたくはないと。


 だから、私は旅立つことにした。

 普通のムテ人と同じように、寿命を察して旅立つことに。


 もう一週間も意識が混濁し、一度は死んだけれど、最後の寿命を使って生き返った。

 そして、ベッド横で疲れ果てて眠っている母に、心で語りかけた。


「お母さんの子に生まれて幸せだったわ。私の分まで、末永くお元気に」


 ふと見ると、眠っている母の目に涙が浮かび、切なくなった。

 でも、家を出ると、体は風のように軽くなり、どこまでも飛んで行けるような気がした。

 私は、旅立ちの場所に、友達のエリザと一緒に落ち穂拾いをした麦畑を選んだ。

 木々の多い蜜の村にあって、麦畑は丘にあり、視界が開けていて、とても見晴らしが良かったのだ。


「さようなら、皆さん。さようなら、蜜の村」


 最後の最後まで寿命を使った私の体は、骨になり、それもくだけて灰になり、風に舞い、麦畑に散り、気は霊山に戻ってゆくはずだった。


「だめよ、テル! 逝っちゃだめ!」


 聞き覚えのある声が、私を引き止めた。

 振り返ると、銀色の目に涙をいっぱいためたエリザだった。


「最後の最後まで、戦って! 病気に負けないで!」


 彼女には、気がつかれるかも……と思っていた。

 幼い頃から、ムテの力を強く表していたし、特にこういった時には、持っている以上の力を出すことがあったから。だから、驚かなかった。


「エリザ、さようなら。私は充分に戦ったわ。あとは、ゆっくり休ませて」


 エリザは、私にすがりついた。


「逝かせない! 逝かせない! 私があなたを助けるから」


 ムテは、癒しの力を持つ種族だ。

 でも、まだ子供のエリザには、この流行病を治すことはできない。それどころか、下手な技を使ったら、自分自身の寿命を使ってしまう。


「だめよ、エリザ。あなたは長い命が約束されているんだから。尽きる私より、救うべき人がきっといるから。私の分まで生きて。お願い」


 私は、平凡なムテの少女だった。

 でも、エリザは違う。きっと将来は薬師になれるだろう。

 それでも、エリザは私の手を握りしめ、泣きながら、できもしない祈りの言葉を唱え始めた。蜜の村にいる神官代行のまねであって、本人がもう既に私に試していることだった。

 それで助かるはずがないのだけれど。

 エリザの必死さが伝わり、うれしいと思った。でも同時に、彼女の寿命を削りかけていることに焦り、その手を振り払おうとした。

 が、力の使い方を知らない彼女は、私の手を握り締め続けることができず、ふらっと倒れて、そのまま意識を失ってしまった。

 慌てて彼女を抱き上げようとしたが、もうその力も残っていなかった。ただ、風が乾かすように、彼女の頬を濡らした涙を拭き取るしか……。

 無理なのに、大人でもできないのに、私を助けようとがんばってくれた。


「ありがとう」


 私は耳元でささやき、そのまま青い空を見上げた。

 あっという間に、私の体……いや、気は風に舞い上がり、記憶とともに空の青にとけていった。

 最後に地上を見下ろすと、そこは麦畑。銀色の髪を広げて、倒れている少女――エリザが見えた。

 まるで、黄金の海原に真珠が一粒、ぽつんと落ちているようだった。

 


 それが、私の最後の記憶――そして、最初の記憶となったのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る